平成27年2月27日(土)
荒尾総合文化センターの正面玄関に大きな看板がかかっています。
原節子追悼映画祭に関連して「懐かしの映画看板展」が開かれています。
「めし」「女であること」の2本が上映されます。入場料は一般800円、ペア1,400円、シルバー(65歳以上)600円。高校生以下600円。<当日は各200円増>。近郊の方は是非お越し下さい。詳しい上映時間等は0968-66-4111へお問い合わせ下さい。
寅さんもお出迎えです。
館内展示は小型サイズです。作者の松尾さんは玉名市在住でお馴染みの方です。私の何回かこのブログで紹介しています。
掲示されている作品を紹介します。「裕次郎ってだあれ?」と言う若者も増えつつあるそうですが、まだまだわが裕次郎は健在!です。
松尾さんの絵は生き生きしています。
高倉健も松田優作も彼岸に旅立ってしまいました。
やっぱりモンローは濃艶!5人の中で今なお活躍中は加山雄三だけです。
寒かった2月が逃げて弥生・3月がもうすぐやってきます。
荒尾総合文化センターの正面玄関に大きな看板がかかっています。
原節子追悼映画祭に関連して「懐かしの映画看板展」が開かれています。
「めし」「女であること」の2本が上映されます。入場料は一般800円、ペア1,400円、シルバー(65歳以上)600円。高校生以下600円。<当日は各200円増>。近郊の方は是非お越し下さい。詳しい上映時間等は0968-66-4111へお問い合わせ下さい。
寅さんもお出迎えです。
館内展示は小型サイズです。作者の松尾さんは玉名市在住でお馴染みの方です。私の何回かこのブログで紹介しています。
掲示されている作品を紹介します。「裕次郎ってだあれ?」と言う若者も増えつつあるそうですが、まだまだわが裕次郎は健在!です。
松尾さんの絵は生き生きしています。
高倉健も松田優作も彼岸に旅立ってしまいました。
やっぱりモンローは濃艶!5人の中で今なお活躍中は加山雄三だけです。
寒かった2月が逃げて弥生・3月がもうすぐやってきます。
渥美清・・・けして男前とは言えないが、仕草、動作、言葉の端はしから寅さんだけは憎めない!!
生まれも育ちも葛飾、柴又です。
裕次郎・健さんは銀幕のスターとしておなじみでした。
松尾寿夫さん、ハイ ぺーじをめくりて27,1、 21,2と改めて見せてもらいました。
むかしは看板絵師と言う方がおられた。
我が家の目と鼻の先にも看板絵師の方がおられ、あの方に筆を取らせたらと言う方がおられましたが・・・・その方の看板を見ること無くして亡くなった。
看板絵師=松尾寿夫は貴重な存在です。
今も現役の看板絵師を続ける。いやはや荒尾市の宝物です。
何本も放映されましたね。
寅さん(渥美清)没後は
都内の各映画館で特別ロードショーがあり
私も上京中、上野の映画館で
何本も見ましたよ。普通は笑い声がするのに
あの時は館内ですすり泣きの声も聞かれました。
下駄の音が聞こえたり、トイレのにおいがする映画館も途絶えて久しいですが
往年の大スターの思い出は消えませんよね。
松尾寿夫さんは玉名の人ですが
高校生の頃は玉名に通っていましたので
あの頃あった多くの映画館の看板も
松尾さんの作品だったのでしょうねぇ・・・。
映画ポスターは写真よりインパクトがありますね。
今は映画スターという、ちょっと雲の上みたいな方が
いなくなり寂しいですね。
みんなに親しまれる人を世に出すからでしょうか。
小さなサイズですが、本物はやはりすごいですよね。
雲の上の人的存在が薄れていくのも
時代の流れなのでしょうね。
野球選手なども然り。少年時代に会った遭った巨人の川上などは
子どもたちを寄せ付けませんでした。
サインをねだると「あっちへ行け!」と睨みつけられました!
今は握手会、サイン会などサービス満点ですが・・・。
全ての作品がプロとは言え、本人そっくりに
描けています。
学生時代は学校の規則で親の同伴でないと
映画館には行けませんでしたがTVでの昔の
映画番組は時々見ていましたね。
ところで一番下の菜の花畑はどこで撮られた
のでしょうか?
春の訪れを一番に感じる風景です。
生の看板・ポスターがご覧になれますよ。
校則が厳しかったのですね。
私の高校は大らかでしたね。
テストが済むと真っ先に駆け付けたのが映画館でした。
三つ四つははしごしましたね。
菜の花は上天草市の松島町です。
ここは1月から菜の花が咲いています。
百万本の菜の花畑が売り言葉です。
10時から1回きりの上演という企画があって
今回原節子さんの映画だから行くって姉が言ってました。
子供の頃 学校に行く道筋に映画館があり
こんな絵をいつも描いておられましたよ。
懐かしいですね~
裕次郎・・・・そうそうこんな絵でした。。
菜の花畑 気持ちが明るくなりますね。
今日は同級生との食事会で楽しいひと時でした。
懐かしい顔が並んでいますね!♪(^^)
>少年時代に会った遭った巨人の川上などは
子どもたちを寄せ付けませんでした。
どんこさんは お若い頃 川上選手に出会ったのですか! 子供の夢が・・・怖い存在だったのですね(^^;)💦
原節子、一緒に行かれないのですか?
今思うと、各映画館にはそれぞれ専属の絵師さんが
いらっしゃったようですね。
描かれているそばで眺めていた記憶があります。
手本になるポスターや写真を手に取っていました。
原節子からAKB48へ、裕次郎から嵐へ、若者たちの
スターへのあこがれは変遷していきますネ。
川上さんは熊本の出ですから小学高学年の頃が初めて公式戦を見ました。
汽車の中で友だちがサインを頼んだらひどい剣幕で怒鳴られました。
あれから友だちは「川上はいっちょん好かん。」と言っていました(笑)。
引退後、しばらく「少年野球教室」を開いて、全国行脚をしていましたよね。
近くであったの参加しましたが、高校生がユニホーム姿で身に来たら
「高校生は来るな!」と怒鳴りつけましたネ。高野連とプロの関係が厳しい時代だったからでしょうが
あんな叱り方はしなくてもと思ったことでした。