平成22年12月23日(水)
一歩通りを進むとどこか懐かしい風景が飛び込んできます。この木造の橋も間もなく取り壊されそうです。

大榎木が見えます。

ここを反対側から見た風景です。

薬局だったのでしょうか。剥げかかった大きな看板が残っていました。

ちょっと裏通りに入ってみました。




漁業の街らしい雰囲気が漂っています。街灯の付いた恵比寿像が至る所に祀ってあります。漁業で生活してきた人々の息づかいを感じます。どこかひっそりとしてうら淋しい感じもしました。



明日の大漁を願って漁船は静かに係留されていました。

一歩通りを進むとどこか懐かしい風景が飛び込んできます。この木造の橋も間もなく取り壊されそうです。

大榎木が見えます。

ここを反対側から見た風景です。

薬局だったのでしょうか。剥げかかった大きな看板が残っていました。

ちょっと裏通りに入ってみました。




漁業の街らしい雰囲気が漂っています。街灯の付いた恵比寿像が至る所に祀ってあります。漁業で生活してきた人々の息づかいを感じます。どこかひっそりとしてうら淋しい感じもしました。



明日の大漁を願って漁船は静かに係留されていました。

日本中からワラ屋根の家がなくなってしまいましたね。
探せばまだあるのでしょうが残っているのは移築されたり、
特別に保存されたりしているものだけになっているようです。
でも古き良きものがいい形で残っているものに出会えると
どこかほっとする安らぎを覚えますね。
まあそれだけ歳を重ねている証かも知れませんがね(笑)。
いつの間にか
浦島太郎みたいになってます。。。
私の周辺で
すぐ近くの体育館の裏通り
新興住宅地になってました・・・
古いものはどんどん取り壊されて
いつの間にか
忘れ去られてしまう運命にあるのでしょうね~
長洲の裏通りに似ています。
長洲は例の日立造船の進出時に漁業権を放棄してしまいましたので
一気に漁業が衰退してしまいました。
「キャッポ」は有明辺りでは「ニシッポ」と言います。サザエなんて目じゃないほど美味しいですよね。
貝殻はサザエでなくキャッポですね。同級会では「サザエよりキャッポがうまか」という会話になります。
広い干拓地での米作やい草栽培もありますが
第一次産業への従事者は13%台だと聞いています。
観光だけではやっていけない要素も多いようですが
この美しい景観と美味しい鰻料理は残していって欲しいものですね。
都会へ都会へと流れていく人口流動を
差し止める大きな政治力に期待したいものですが
何ともはや頼りない政治ですね。
柳川、漁業の町だったんですね
そんなことも知りませんでした
舟と柳とウナギそんな認識でした
高齢社会、過疎化でしょうか
寂しい風景ですね
日本はこれから縮小して行くのだとか言われていますが未来の縮図?
でも植木鉢が沢山並んでいたり、こんな風景にほっとします
都会にばかり集中して終電車まで超満員という図と
過疎化していく田舎の淋しさが好対照のような気がします。
日本はどこへ行っても似たような風景が重なりますね。
だからホッとするのかも知れません。
おっしゃるようにひっそりと寄り添っていく所では
タンスなど老いた親の死体を放り込むようなことは怒らないでしょうね。
漁師町と言うか漁業をされてる所の風景は
何処でも何となく似ていますね??
隣近所肩寄せ合いながら??って感じかな??
裏通りにはこのような所があるんですね??
若い人が少なくなり寂しさを一段と感じています
そんな歌を口ずさみたくなりました。
木造の橋は補強を重ね、だましだまし使われてきていたようで
素人目から見ても限界のようでしたよ。
そう言えばあの豆腐売りのラッパの音を聞かなくなってしまいましたね。
日本のどこかで今も鳴っているのでしょうか?
老朽化だからとしようがない、と言うのも寂しいですね。
柳川の街にあった橋ができますように。
裏通りでは
お豆腐屋さんが吹くラッパの音が聞こえてきました(笑い)
トーフー、トーフー・・・・。
裏がある、と言いますが
同じ場所でも昼と夜の違いもありますよね。
♪紅い灯 青い灯のまたたく都会のネオン街も
昼見ればウソのように薄汚れた感じの雑多な街角だったりして・・・
でも柳川の裏通りにはちょっぴり淋しいけれど
恵比寿像には全て傘のある電球が付けられていました。
豊漁を願う熱い願いが込められているのでしょうね。
何回か繰り返し読ませていただきました。
きょうはテレビで渋谷の大型店舗開店のニュースが流れていましたが
場末の駄菓子屋の店頭で
鼻水すすりながらおばちゃん相手に群がっていたガキの頃を思い出します。
引けども引けども当たらないクジや
ニッケの棒をかじりながら遊んでいると
どこからとなく「はよう帰らんかぁ、飯ばい」と叫ぶ声が聞こえ、
ガキどもは渋々散っていったものです。
都会なのに田舎者の私が言ってさえ
向島などはふと懐かしさを覚えたものです。
通りすがりに「どけ 行くとかん?」(どこへ行くの?)と言う柳川弁を聞きました。
「そげんたんのも」(そうなんだよね)
柳川弁は独特のイントネーションがあり、心が和らぎます。
実際は行ったことがない土地なのに
どことなく見たことがあるような
懐かしい感じを抱く風景に良くであいます。
こうした日本の原風景を探すことを楽しみにしていますが
もう行動力が狭くなってしまいました。
そう思うほど違いますね。シャッター通りどころか廃屋通り・・・。
前回の記事の方は私も行った事があり 魚屋さんの店先とか見たことがあります。
ボーっと歩いていたらぶつかりそうなくらい車も通っていました。
びっくりしました。あととりさんがいないのかな。。
>街灯の付いた恵比寿像
初めてみました。。。
何から何まで 真っ暗闇よ
筋の通らぬ ことばかり
右を向いても 左を見ても
古い奴だとお思いでしょうが、
古い奴ほど新しいものを欲しがるもんでゴザンス。
今じゃ、押せばつぶれるようなウサギ小屋、
屋根から屋根に配い伝いする藤のつる、サビの出た看板も
昔は、この俺も(古い長屋、小障子、板塀・・・など)≫街の中では一二を争った、街道一の親分、見れば見るほど惚れ惚れした街でござんした。
風雪流れ旅ではござんせんが、歴史が時代をつくり流れ流れてこのような風体になったぜゴザンス。
前置き・センテンスがながくなりました。
懐かしさのあまりこんなせりふになってしまいました。
先日下町≪向島≫に足を運びました。
下町で唯一戦災を免れた街です。
そこには人情が、人の会話が、軒先々、はみ出した植木からも詠みとることができました。
柳川旅情 (その二) 「懐かしさの残る裏通り」もいたる所に人情の漂いがあることでしょう。
40年近く昔、熊本の「百貫港」というところへ取材に行ったけど思い出します。
朽ちてゆく建物もなにか心を捉えるものがありますよ。
一歩裏通りに入れば随所に見られますね。
私は写真を撮らなくてもぶらぶら歩いてだけで
楽しいです。
昔は狭い路地から子どもたちが飛び出してきて
追いかけっこをしたりして
賑やかな声がしていたでしょうが
平日のせいだけではなくて、子どもの姿は見かけませんでした。
今は幼児たちも保育所や幼稚園に行っていて
おばあちゃんがねんねこ姿で赤ちゃんを負ぶっている姿もなくなりましたね。
渡り鳥の宿命。いつも鳥インフルエンザが取りざたされると胸が痛みます。
このような所が増えましたね~
やっぱり、代々の家業で生活することが難しくなったという事かもしれませんね!
鹿児島県出水市のナベヅルの鳥インフルエンザのニュースに心を痛めています。
島根や鳥取のコハクチョウのニュースから、しょっとして・・・と思っていたら、やっぱりというか
どんこさんの出水の写真をテレビのニュースと重ねて、早く治まってと祈っていますが