平成19年3月2日(金)
白川郷だけで100枚近く写真を撮りました。その中からどれを選ぶかはむずかしい作業です。やはりどっしりとした合掌造りは欠かせません。日陰には雪が溶けずに残っています。

つららには歓声の声がしました。

こんな可愛らしいミニ石橋を白川郷で見られるとは思ってもいませんでした。

神田家を見学しました。養蚕の道具等も残っていて、生活の一端を伺い知ることが出来ました。

展望台の天守閣レストランでの昼食は朴葉味噌定食でした。

今月のポストカードが出来上がりました。自作の俳句を添えています。

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白川郷だけで100枚近く写真を撮りました。その中からどれを選ぶかはむずかしい作業です。やはりどっしりとした合掌造りは欠かせません。日陰には雪が溶けずに残っています。

つららには歓声の声がしました。

こんな可愛らしいミニ石橋を白川郷で見られるとは思ってもいませんでした。

神田家を見学しました。養蚕の道具等も残っていて、生活の一端を伺い知ることが出来ました。

展望台の天守閣レストランでの昼食は朴葉味噌定食でした。




この辺でも子供の頃は ツララを見ましたが
懐かしいですね。 食べた記憶があります。
小さな石橋・・・かわいいですね。 欲しいです。
それとお正月飾り もっと見たいですね。(大きい写真)
金盞花 ほんとに 何かいいたそうに私を見ています。目が合いそうな感じです。平凡な花なのに。
ガイドさんも小さい頃つららをへし折って食べた記憶があると話していました。雪国の子どもたちが幼い頃必ず共有する思い出なのだそうです。いいお話ですね。
本格的な石橋マニアのmomoさんには物足りなかったかも知れませんが・・・。
今年は金盞花の開花も早くなっています。
飾りの写真、後でお届けしますね。
異郷の地、秘境の地に行きますと物珍しさが手伝って、ついパチ、パチと枚数がふえます。
でもデジカメは其の点便利ですが、消すことはできるがせっかく撮ったんだからとついつい保存、選定に苦労します。
やはり白川郷は、1月は雪が似合うのでしょう。
神田家に泊まられたのですか。養蚕道具、なんだか懐かしさがこみ上げてきました。寝る所もないほどに繰り広げられた蚕、・・・・今は其の影すらない。幼少の頃。
ポストカード、今月作りました。公開するほどでなく、また其の機会がありましたら致します。
若葉マークで御免なさい。
宿泊施設にはなっていません。重文の和田家から分家して、江戸時代後期に当時の技術の粋を尽くして建てられたのだそうです。
養蚕は各家々で行われていたそうです。ほとんどの道具が残っていて、私も懐かしかったです。
縄文人さんの家でも蚕を飼われていたのですか。幼少の頃はわが家もそうでした。
ポストカード、拝見したいですね。
どんこさんちは大丈夫だろうかなんて??老婆心でしたかしら??
投稿されてるんだから大丈夫ですよね!!
この季節風も強いから注意して貰いたい物です。。
大切な・・熊本のシンボル阿蘇山ですものね~~~??
何事もなくてよかったで~~す
風情がありますね。
つらら景色、面白いですね。
嬉しいショットです。
ミニ石橋も、いいですね。
朴葉味噌定食、美味しそうですね。
地元のものは、いいですね。
ポストカードに、俳句ですか。
お見事です。
どんどん続けてくださいね。
楽しみにしています。
3泊4日の北海道旅行を私は
途中中断もありましたが、1ヶ月続けましたからね。
大事に続けてください。
一つ一つこんなに丁寧に見るのは
初めてです。ありがとうございます。
養蚕の部屋、母の実家にありました。
父が家を建てるまで、私も住んでいました。
ちょっとした不注意で広大な原野を焼いてしまいました。天然記念物になっているミヤマキリシマの大半が焼けてしまったとのことです。観光シーズンを控えて地元の人たちは頭を抱えています。
近火お見舞いありがとうございました。
だいぶ離れておりますので、類焼の心配はありませんでした。ご心配をおかけいたしました。
白川郷はどれをとっても絵になりますね。汲めども尽きぬ泉のようです。
朴葉焼きの味噌は格別の味でした。飛騨牛が混じっていてこれまた舌鼓を打った次第です。
ポストカード、いかがでしたか?そろそろ4月分のアイデアを考え中です。
蚕のザワザワと桑の葉を食べる音を枕元で聞きながら眠った記憶があります。あの頃は蚕様が座敷まで独占していて、人間様は狭い部屋へ押し込められていました。
母が供出へ出した残りのくず繭で、糸を紡ぎ、機を織っていた姿を思い浮かべています。
momoさんも同じ思い出を共有されていたのですね。一層親しみが湧いてきました。