飲茶の昼食をご馳走になり、女房殿のいとこの息子の奥さんが運転する車でいとこ宅に向かう。息子のほうは昼食の後、仕事に戻った。
いとこ宅はマカオの北のほうで、中国との境界に割りと近い。
マカオには第二次世界大戦に大陸から狭い国土に大量の難民が押し寄せたこともあって、現在人口密度は世界一である(参考:ウィキペディア「マカオ」、「国の人口密度順リスト」)。
というわけで、住宅は上へ上へと伸びていかざるを得ない。
【案内されたいとこのアパートから撮影】
上の写真のような高層アパートが林立している。アパートにはエレベーターもあり、ガス・水道・電気は当然通っている。富裕層ではないにしても、決して貧困層でもない。一般庶民の類であろう。
この高層アパートの間取りは大体どこも同じようなものだと推察するが、リビングは広くない。寝室も2つだけだった。
ただ、リビングは狭いながらも祖先を祀る祭壇は立派だった。祭壇は3段に別れている。
【上段】
【中段】
【下段】
現代の中国では祖先崇拝が昔ほど大事にされていないような印象を持っているが、マカオの女房殿のいとこ宅では伝統が守られていることを実感した。
ここでふと疑問に思ったのだが、いとこ一族は「容」氏である。ところが、コスタリカに移住した、女房殿の祖父は Rafael Con と呼ばれていた。後に、フルネームが Rafael Con Yong であることがわかったのだが、コスタリカ式(スペイン式)では Con は父方の父姓で、Yong は母方の父姓である。
これはおかしい。いとこたちとの会話の中で、Con 爺さんの中国名は「容麟啟」であることがわかった。「容」は広東語では Yong になるのだろう(普通話では Rong。r の発音が難しい。日本語や英語の r とは全然違う)。そうすると、Con という名前はどこから出てきたのだろうか。ひょっとすると、母親の姓だったのかもしれない。それとも名前の「啟」が「コン」のような発音だったのだろうか。マカオの親族や香港在住の女房殿の友人に問い合わせてみなければならない(結果は後日、発表)。
さらに話が進むうちに中国広州市にいとこのおじ(コスタリカの中華料理屋の親父さんの弟)が住んでいるという。今回の旅では中国に行く予定はなかったが、おじさんは90歳以上の高齢なので、行ける時に行っておかないと、もう会うチャンスはないかもしれない。今では中国には日本のパスポートがあれば、短期滞在の場合、ビザなしで行くことができる。幸い女房殿も日本のパスポートを持っているので、問題はない(コスタリカのパスポートだったら、ビザが必要になったかもしれない)。
急遽、翌日、訪問することにした。この日は香港には戻らないで、マカオのホテルに泊まる。いとこの息子の奥さんがホテルの予約をしてくれた。香港のホテルの1泊分がもったいないが、そんなことは言っていられない。
積もる話しはたくさんあるが、翌日も時間があるし、マカオの見物もしたいので、いとこ宅を後にした。
【いとこ宅の窓より】
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