すでに撮影を始めているはずが、権現様を作っている。ギャンブル依存症について報道されている。ドーパミンがそうさせているらしい。2011年、一度目の『三島由紀夫へのオマージュ男の死』の前、知人に喫茶店でそれだけは止めろと説得された。二つのギャラリーに、何をやっても良いが、それだけは、とかいって断られていたし。しかし説得の言葉も、その時の私には、妙なる音楽に聴こえた。仕組みは似たような物かもしれない。それはともかく。 写る所しか作らない場合、それこそ数度もふれないほど作らない。それだけ構図も決まっていて、どう撮ろう、と悩むことはない。制作時間も短い。そのかわり一カットのためだけに作ることになる。久しぶりに展示を意識して全体を作っている。そうすると、今度はこちらからも、あちらからも撮りたくなってしまう。
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