先月、椅子に座ってではあるが、生まれて初めて坐禅したような、そんな私からすると、ある宗派の、ある寺の開祖など、創建からそれなりの年月以降、新たに手掛けられることなく埃を被ったままのモチーフの宝庫に思える。90年代に写真のことなど何も知らず、相談する相手もおらず、廃れた写真技法オイルプリントに孤軍奮闘していた頃、画像がなんとか出た小さなプリントを持って、紹介された人に会いに行くと「いつかヨドバシなどの写真用品店でなく薬種問屋に通うような人が現れると思っていた。」といわれたのを覚えている。今はそんな人は大勢いるけれど。 こんな夢想をする。ボロボロの雲水姿の私が、ある寺の開祖を描いた作品をたずさえ、山深い寺を訪ねると白いモヤとともに山門から現れた老和尚がいう「いつかこんな御仁が現れると思っていた。」