最近、モニターが壊れ、Wi-Fi機器の電源入らず(熱のせいで冷ませば大丈夫とのこと)様々な理由で懸念していた臨済義玄が順調に完成し、なのでまったく腹立たず。 当初いつもの陰影なしで撮影して肝心の〝喝!”の激しさが引き出せず。かつて『ゲンセンカンの女』の半裸の女に行燈の灯りによる陰影を出す出さないで悩んだ経験により、躊躇せず適度に陰影を与えることにより、かつての『大魔神』(大映)の憤怒の表情はここから来ているのでは、と本気で思った表情が出せた。緊張感をより出すため、僅かに額の血管を加えたが、これも微妙に効果が出た。作った所は出来れば効果として反映させたい。この塩梅こそ、被写体制作と撮影の二刀流ならではである。何しろどうなれば被写体制作者が満足するかは、撮影者である私は知っている。さらに歯応えあるご馳走が私を待っている。