いいたいことがある訳でなく、頭に浮かんだイメージを可視化して確認したい、それだけである。しかし、幼い頃から溺れ続けている快感物質に支配されていることは認めなくてはならない。 小学生の時、始業のチャイムが鳴っているのに図書室から出て来ず騒ぎになった時も、実はチャイムは聞こえていた。椅子に正座し、尻は上がって、これはまずいとハラハラしていながら、本から目が離せなかった。 母はいち早く危険を察し、学校に相談し、授業中妙な施設に連れて行かれ、教師も私の声が聞こえてないようだ、と耳鼻科受診をけほ勧める始末であった。母の心配は当然で〝ある種“の犯罪者にも同種の物質が作用しているとしたら、その不運に同情せずにはいられない。 あの快感物質をより得るには孤独が必要不可欠であるが、私と同じようなものだ、と思っていた友人等が社会人になり、止めるのも聞かず家庭を持ち。と不思議に思っていたが、肝心なことに気付いていなかった。彼らはあの物質に取り憑かれてはいないのである。なので私に対し、何でそんな状況なのに笑っていられる?何で寒山拾得なんだ?と不思議がるのは当然である。大谷翔平の存在は、あの物質抜きには説明が付かないように私には見える。