村に飛来したガメラにびっくりする老人、左卜全にしか見えない一休禅師、ようやく雲水姿に、頭陀袋などの装備に。 陰影のない第一作は三遊亭圓朝だったが、当時、肌は重ね塗りをしていた。見た目にはその方が明らかにリアルに見えるが、陰影を出さずに撮影してみると汚れにしか見えず、慌ててその場でベタ塗りした。一休の雲水姿は汚らしくボロボロで良いのだが、そう考えると、陰影のない浮世絵、かつての日本画は、形状はともかく、着彩で汚し表現はあまり見かけない。 先日リアルなフィギュアの制作工程をYouTubeで見たが、被写体として考えた場合、リアルだ、ということ以上のことは伝わらない気がした。私の作品が質感など、言いたいこと以上のことは作らないのに、拡大するほどリアルに見えるのは理由がここにあるのかもしれない。ドラマの葛飾北斎の西洋画を見てのセリフ「見たまんま描いていやがる。」私はよほどこのセリフが気になっているようである。北斎は以後、見たまんま描こうと余計なことを始めてタイムアップとなった。と思う。