明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



私が最初に泉鏡花に触れたのが小学生の時にテレビで見た『白夜の妖女』であったように、エドガー・アラン・ポーはやはり同じ頃見たロジャー・コーマン監督の『恐怖の振り子』(61)である。猟奇少年であった私が“恐怖”や妖女の“妖”の字をテレビ欄から見逃すはずがない。 怪奇映画で欠かせないのが絶叫クイーンである。数々いる美女の中で、ことゴシックホラーに限っていえば、なんといっても『恐怖の振り子』にも出ていたバーバラ・スティールが私にとってのクイーンであ。マリー・ラフォレを少々デフォルメした感じの美女である。そのデフォルメ具合がフェリーニが使いたがった、というだけある個性的な顔である。まずなんといっても大きな目。バーバラ嬢の場合、絶叫クイーンといっても、恐怖に怯え見開く場合と、恐怖を与えるために見開く場合がある。つまりSもMもいける両刀使いである。そしてツンとした高い鼻。しかし人の顔に対して、常にああだこうだしている立場からいうと、その広く張り出した額が個性にかなり貢献しているように思える見ている側からすれば、毎回雷鳴とどろくゴシック調の城や屋敷のセットの中で、さぞ楽しくやっていたのかと思いきや、二度とくそ忌々しい棺に入りたくないといっていたそうである。

外装が徐々に砕けてきた携帯電話。ついにはチョウツガイの部分ま砕けて取れて、開け閉めも手で中身が出ないように押さえないとならなくなった。写真で残しておけば良かったが、まるで大魔神が最後、娘の涙で崩れていく。あんな感じである。そうとう様々切り詰めた製造のせいであろうか、型に樹脂を充填する際のなんらかの不具合であろう。このロットを調べれば、間違いなく同じことが起きているはずである。ただショップとしては、私が落として壊したようにしか見えないだろう。砕けた破片ともどもメーカーに行くことに。ここの自転車なんて乗ってて大丈夫なのか?

世田谷文学館展示中

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