竹竿に骸骨の『初烏』と連作になる『一休和尚酔臥図』は寝ている一休の傍らに門松を考えていたが、室町時代の門松は、現在とは全く違うようで、正確な所は判らない。本当のことなどどうでも良い、といいながら、こだわる部分はこだわらずにいられない所がある。幼稚園児の頃、台風の休園日に佃の渡し船の絵を描いていて、煙突のマークと同じものがある、と母が止めるのも聞かず、マンホールの東京都のマークを見に行った、あの頃、すでに私になっていた訳で、ほとんど生まれつきといってよく、従って父母には申し訳なくあるが、私には全く責任はない。年内に母のいるホームに行くつもりだが、一休の首を持って行くつもりでいる。おそらく母は、私がねだって大人向けの一休禅師を買ってもらい、熱心に読んでいた事を覚えているだろう。初烏というタイトルとカラスで正月感は充分である。門松は要らないだろう。