核戦争が起こった後の世界や、タイムスリップ、ヤクザ社会をモチーフにして始めて描ける世界がある。そういう意味では、元々私小説嫌いでもあったが、あまりリアルな世界より、江戸川乱歩のように“夜の夢こそまこと”タイプの作家の方がやりようがある。そうなると、寒山拾得など仏教や道教の人物を描いた道釈画の世界は、やりようという意味では、一人の作家がイメージした世界以上であろう。 問題があるとするならば、室町や鎌倉時代に流行ったモチーフを今時、と考えると多少流行遅れの感がしないでもない。しかしそれはこれまでの作家シリーズと大差ない。例えば室生犀星の懐からヌルリと金魚が顔を出しているのは、犀星の『蜜のあはれ』を知らなければ意味判らないし、三島由紀夫が何故唐獅子牡丹の刺青を背負っているかというと、市ヶ谷に向かう車中、みんなで歌ったからであり、それを知らなければ何で?ということになる。今さらそんなことを気にする私ではない。それよりモチーフ、作品の変化すなわち私自身の変化であることが肝腎であろう。