明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



イラストレーターの内澤洵子さんが、ブログ『空礫絵日記』で右と左の区別がつかない話を書いている。私の友人にも、右といいながら左を指すのが、男女それぞれ1名ずついる。2人の共通点は他にもあり、水平垂直に弱い。ポスターをまっすぐ貼れないし、壁にかけた額は曲がっている。自転車で転んでハンドルが曲がっても、タイヤとハンドルを垂直に直せない。私は幸い左右の区別はつくが、奇数偶数の区別をマスターしたとはいいがたくはあり、彼等は私に「お前、そこ曲がってるじゃねェか」と鬼の首をとったようにいわれる筋合いはないのである。内澤さんはさらに、東西南北の区別のしかたを小学校の高学年になって、ある方法で見つけ、これで小学校が卒業できると涙が出たそうだが、私が想像するに、世界地図でヨーロッパが左でアジアが右、北極が上で南極が下をマスターしたのではないか。世界地図など低学年でも見るので違うかもしれないが、私はそうであった。というか、未だにそうである。何かの場面で東西南北にどうしても触れなければならないとき、薄っすらと、世界地図が目の中に浮かんでいる。 街中の地図を見るとき、人さえ見ていなければ顔を地図なりに曲げてしまう話は以前にも書いたが、極度の方向音痴はフライボールは取れないし、プールのとんぼ返りターンはどのくらい返っているか判らないなど、子供時代は不都合が多々あったものである。しかし齢は取るもので、今ではフライは取れなくても構わないし、とんぼ返りターンの機会もない。反面大人になると、社会人として常識的にマスターすべきことが出てくるわけだが、知ったかぶりして遠くを見る目でもしていれば、解ってないことなどバレないものである。少なくとも私はそう思い込んでいる。

01/07~06/10の雑記
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