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明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



近々古本屋に来て貰い、制作に関係のない、作家関連以外の物を処分するつもりである。本箱、棚は大小6つあるが、持って行くのは2つだけに決めた。この本箱を観音開きの遮光カーテンと緑のダイヤガラスにして、その前に本を積んでしまったおかげで、紫外線というより、私から本を守りことになり、開かずの扉の中を何年も見る事が出来なかった。数年ぶりに扉を開けたら、土蔵に閉じ込められた娘が涙を溜めた瞳をこちらに向けた気がしたくらいであった。 本は積んだらお終いだ、これからは肝に命じて生きて行く事にしよう。知り合には、賽の河原よろしく、本を積まずにはおれない人がいる。他人事で本当に良かった。 明日は集めている2つの物の一部を処分に出かける。もちろんそれで本は買わず、包丁、鍋釜などに変えよう。 私が心を入れ替えた証についていずれ糠漬けを再開しようと思う。母方の祖母の糠床は、聖路加病院の近くだったおかげで爆撃を免れ、一体いつから始めたのか不明な糠床をいとこが守っている。再び貰って来よう。

タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第16回『トラウマ』
『石塚公昭 幻想写真展き続ける作家た18年7/25~9/2 リコーイメージングスクエア銀座ギャラリーA.W.Pyoutubeこ2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界
 


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しばらく続いた負の連鎖も、母の入院と、スマホの充電機の故障で終わったかのようである。母はまたもふくらはぎの炎症で、抗生物質ですぐ良くなるだろう。 朝、懐かしく聞き覚えのある音を聞いた。夢なのか本当の音だったかは定かではない。子供の頃、葛飾区の日曜日の早朝、布団の中で聞いた近所のドブさらいのスコップの音である。定期的に、近所の奥さん方が集まり行うもので、浅いドブでも結構体積物は溜まっている。母や隣のおばちゃんも当然参加しており、話し声とスコップの音が実に懐かしい。 その頃、叱られてばかりいた私の母への唯一の仕返しは、セールスマンに、母がうちにあるので間に合ってます。と聞いたとたん走って来て母の背中から、それウチにないよ。というものであつた。嘘をついているのは母なので、私を叱る訳にもいかない。懐かしい。東京オリンピックの前頃だろう。今度のオリンピックはホントにやるとしたら、本当に馬鹿な国である。前回のオリンピックを私は良く覚えていて感激が忘れられないが、その代わり東京の変わりようが甚だしく、私にとっての東京はオリンピック以前の思い出でしかない。以来、東京というものはそういうものだ、と諦めの境地で、その後の東京は、どう変わろうと関心がない。私にボク、口開けつ放しにしてると埃がはいるよ、といった隣のおばちやんはボクが生きている間には、もう日本でオリンピックやることないだろうね。といつていたが。それにしても、もう少しドブさらいの音を聴いていたかった。

タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第16回『トラウマ』

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『石塚公昭 幻想写真展 生き続ける作家た18年7/25~9/2 リコーイメージングスクエア銀座ギャラリーA.W.Pyoutubeこ2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界

 

 



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中学生の時に小説を読んでいると、映像が浮かび続けるものだと思っていたら、皆はそうではない、と知って驚いた事は何度か書いたと思うが、ではその間何が浮かんでるのだ、と聞くと何もない、と言う。瞑想中の坊さんじやあるまいし、そんな馬鹿なことがあるかよ、と。考えて見ると、特に作家シリーズとなってからは、文章から、イメージ化してきた。本日も暑さ逃れに図書館にいたが、普通の人のように、読みたいから読む、などと脳天気にしている訳には行かないのである。何故なら浮かんでしまうからである。読んだら浮かぶし、浮かんだら作りたくなるからである。以前はお構いなしであつたが、残された時間を考えると、横方向に拡げている時間はあまりない。よって正岡子規や萩原朔太郎の評伝など、気軽に手にしてはならないのである。小学校入学以来の伝記、評伝好きが自主規制することになるとは思わなかった。これだけ時間をかけて、この程度の人達しか手掛けられない私が悪い。 タウン誌深川次号用に、トランペットを吹くリー・モーガン。90年代初めの作品である。この頃の作品が印刷物になるのは何十年ぶりであろう。

 

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ここ数日、スマホのや行が出ず、案外不便でブログを書かなかった。私のブログをご覧の方々は、私が何処で何を食べようと興味は無いだろう。ではバカバカしくも、大事な事で葛藤した話を書くことにする。それでこそ当ブログである。 三島由紀夫が初めて悪癖?に手を染めるきっかけとなった聖セバスチャンの殉教図は、後に三島が再演したように、頭上で手をクロスし縛られている。つまり脇の下が露わになっている。しかし私が日本版セバスチャンとして考えたのは、椿説弓張り月の後ろ手に縛られている裏切り者武藤太である。こちらは弓ではなく、竹釘を打ち込まれている。というのはそんなポーズの三島がすでに手元にあるし、ああ、セバスチャンね、と簡単に言われてしまうのも何だし。 ところが三島は、脇の下が露わになっているからこそ、と言う気もするのである。三島をご存じない方も多いだろうが、そう言う人なのである。逞しい同級生の腋毛に欲情してしまう。仮面の告白を是非読んでいただきたい。 三島にウケる事を常に考えている私としたらどうすれば良いか。つまり後ろ手に縛られ脇が隠れているのと、バンザイ状態で露わになっているのをどちらにしたら良いかで真剣に悩んだ、いや悩んでいる、と言う本日のブログである。私が何食べて美味しかった、なんて誰も知りたくないだろう。

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私ならば、寝床から這い出し、盆の上の果物ににじり寄る正岡子規が作れるだろう。子規が野球をしているところだって可能である。養老孟司が、人は思い付いた物を作るようにできている。と言っていた。実に恐ろしい仕組みである。私は思い付くと、そんな顔をするそうだが、周囲には、一度深呼吸して落ち着けと言われている.。犀星と金魚が思いどおりにでき、これを持って新たな作家の制作は終了とする。依頼される分にはまた別の話しだが。 今年、江東区に小津安二郎についで収蔵された松尾芭蕉像は、芭蕉記念館の催事により展示されると言う。今は小川芋銭の隣に並んでいると聞いた。おそらく直筆の句だろう。予算さえ出れば芭蕉の木のもと、芭蕉庵で物思いにふける松尾芭蕉も作れるが、何しろ江東区はただ今文化事業よりオリンピックである。

 

タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第15回『美容院には行かないで』

 

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三島が様々な人物(三島好みの文学など興味がなく躰は逞しいヤクザ、兵隊、魚屋等)になって、様々な様子で死んでいる所を篠山紀信に撮らせ、出版契約書まで交わしながら、死後奥さんの反対に合い未刊となった『男の死』だが、あの壮絶な死の直後、世間は三島が魚屋に扮し魚をぶちまけ、出刃包丁を腹に刺して死んでる姿を見る筈であった。その衝撃は計り知れず、ザマアミロと、想像しながら三島はさぞ愉快だったろう。未完となり三島の無念を私は一人思い続けてきた。直後に出るからこそ、であるのはいうまでもない。私はこれ以外に三島でやりたいことは何もない。 三島本人は、単純に自分の好みの人物になりきり演じたが、それは本人がやる分には良いが、私がやるのなら、三島作品、もしくは語られ、本人が言及した事に基づいて制作するべきであろう。それだから面白くもあり〝あなたがなりたい、と書いた糞尿運搬人〟にも私がならせてさしあげましたよ。三島の「君、ちょっとやり過ぎじゃないか?」という笑顔を想像する私である。やり過ぎはあなたの専売特許でしょ?さすがに、肥桶からこぼれるのは糞尿ではなく血液にしたけれども。室生犀星展搬出の本日、さっそく、いやに飛ばしている私である。暑さのせいか。

【タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第15回『美容院には行かないで』

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大江戸線に乗っていて、知り合いが来ている、と金魚坂から電話、そろそろ着く頃、と思ったら大門。反対側に乗っていた。着くとT千穂の女将さん、娘さんにお孫さん。金魚娘の浴衣は女将さんに着付けてもらい、赤いリボンも貰った物を着けた。帯は金魚の尻尾をイメージし、材質、長さの違う物を二つ絡ませて貰ったが上手くいった。そんな作業も随分前の事のようであるが、これで私には珍しい金魚とおじさまこと、室生犀星の可愛らしい物語は終わった。 今日は、リコーイメージングスクエア銀座の池永さんが息子さんと来てくれたが、ふげん社の個展は、三島由紀夫で、というのは、引き合わせてくれた池永さんも聞いていたので聞き間違いではないだろう。 子どもの頃、父親の書斎だかで聖セバスチャンの殉教図を見て初めて〝気をいかして〟しまった三島。苦しみながら死ぬ事を決めた瞬間であろう、と私は考える。挙げ句に下手くそな介錯のせいで、自ら舌を噛み切ろうとした。美しく死ぬのであれば介錯人の選択は明らかに間違いである。三島歌舞伎『椿説弓張り月』にどさくさに紛れて聖セバスチャンを紛れ込ませたのを見つけた私は、これによって〝陰影なければ何でもできる〟と言う事を三島が愛した血みどろ絵調に描く事により証明したいと考えている。私の〝悪癖〟である、もっともっとという部分も、三島なら全く問題なく受け止めてくれるであろう。

【タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第15回『美容院には行かないで』

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昨年に続き、猛暑の中の個展となった。金魚だから、と考えていたが、実際は、ようやく外で金魚釣りをした有様である。案外面白く、近所から来た連中は、景品のメダカを貰って喜んでいた。 次の個展は、来年1月か2月三島由紀夫とその他で、と言う事になりそうだが、三島が様々な状態で死んでいるという、三島にウケる事だけを考えているシリーズで、かつて街宣車その他が怖い、と言う理由で何カ所か断られた。何とぼけた事を言っている、と思ったが、結局女性がオーナーのオキュルスで実現した。そしてふげん社も女性社長である。オキュルスには鈴木邦男さんにお出で頂いた、生誕祭には無事出席されたようで、またお出で頂きたい。 考えてみると市川市を背景に永井荷風を撮る、世田谷を背景に、ちなんだ作家を撮る、または乱歩の朗読ライブなど、ユニークな企画をするのは女性ばかりである。大体今どき、どこの文化施設も女性ばかりで、そこにサンドイッチの薄切りのキュウリのように挟まっているのが、定年まで無事に過ごすことしか考えていない男性職員というイメージである。しかし今日来た付き合いも長いNさんは珍しくチャレンジする某所職員であるが、女性ばかりの職場も楽ではない、と。見えないところで、白鳥は水をかいている、などとずうずうしく、自分を白鳥に例える中年男である。そして私と飲むと、話す相手がいない、と、最後は必ずソウルミュージックの話になる。レイ・チャールズを江東区に呼んだ事を誇りにしている。 明日4日日曜日は最終日である。

『我が肌に魚まつわれり』 (蜜のあはれより)

 7月17日~8月4日本郷三丁目『金魚坂』にて。8月1日は犀星生誕130周年。

 

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夕方、アートコレクターズ誌。昨年陰影のない手法を載せて貰っている。 隔月で4年続き、私が表紙を担当した交通局発行の『中央公論Adagio』http://kimiaki.sakura.ne.jp/adagio.htmの本文担当の藤野さん来る。当時、編集長と、日本一のフリーペーパーにしよう、と話しあったという。町歩きマガジンとして、現在の都営地下鉄沿線を背景に、特集人物を配しなくてはならない。3号でチャップリンが海老天を何十本も食べた、と言う縁?だけで日本橋に、チャップリンを配さねばならなかった。その天ぷら屋が現存するならまだしも。そこで人形を持って行って現場で撮る〝大リーグボール1号〟では15万部の表紙は無理、と悟り、背景を先に撮り、それに合わせて人物を造形する〝大リーグボール2号〟を駆使することになる。私が最も恐れたのは、二本刺しの侍を現代の風景に立たせる事であった。『坂本龍馬と大手町を歩く』頓智でも働かさないと切り抜けられず。 さらに私の初出版の『乱歩 夜の夢こそまこと』(パロル舎絶版)と『貝の穴に河童の居る事』(風濤社)の編集者鈴木さん来る。たまたま、私にとって共に戦った、数少ない同士が集い、帰りに3人で盛り上がることに。鈴木さんは、昔私が人形雑誌のインタビューで、デジタルなど興味がない的な発言したのを未だ覚えていて、今日も言われた。人は生きている限り、変化していくべきである。私の陰影のない作品を3年程前の私が見たら、お前写真から、肝腎の陰影、空気感捨ててしまって何をやってる!となるんじゃないか、と思うと、そんな私に向かってざまあみろ、といってやるのが私の生き甲斐である。 残り2日、明日は昼ごろ金魚坂に顔を出す予定である。

『我が肌に魚まつわれり』 (蜜のあはれより)

 7月17日~8月4日本郷三丁目『金魚坂』にて。8月1日は犀星生誕130周年。

 

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やはり連日の嫌な夢は猛暑のせいである。今朝の夢も〝実演〟絡みであった。私が先日、寄席の出演をすっぼかしてしまい、よりによって三遊亭円朝と志ん生の二人に散々絞られ、最後のチャンスだ、と私の十八番を明日、二人に披露しなければならない。そうだ稽古しないと。ところで私の十八番ってなんだ?例によって、存りもしない物にもだえ苦しめられるパターン。汗だくで目が覚める。あの二人、私が作った二人じゃねえか。作り物の分際で。目が覚めながら子供に裏切られた親の気分が少々残る。 区役所に行き用事を済ませ、昨日に引き続き8×10展を覗こうと思ったら飯沢耕太郎さんよりこれから金魚坂へ、とのメールをいただく。初めてと言うくらい長くお話し出来た。ド素人の私が孤独にピクトリアリズムに立ち向かっていた頃、現行で読めたのは飯沢さんの「芸術写真」とその時代、だけであった。私としては私の大リーグボール3号はピクトリアリズムの系譜の内だと考えている。この手法に、名前を付けて頂くとしたら飯沢さんしかいない。改めてお願いする。 初めて個展に来て頂いた時、某有名ミュージシャンが何故?と思ったライターの納富廉邦さん。相変わらずの見巧者ぶり。本日はお二人のおかげで、ようやく作品について語ることができた犀星生誕130年目であった。

『我が肌に魚まつわれり』 (蜜のあはれより)

 7月17日~8月4日本郷三丁目『金魚坂』にて。8月1日は犀星生誕130周年。

 

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先日、人形は作っていたが、まだ写真を始めていなかった頃からの知人から、最初の頃の写真が良かった、今の写真は好きじゃない、と面と向かって言われた。まあそんな言い方をするとしたら、女性だと相場は決まっている。同意見の人は多く、現在の陰影のない作品は、支持者は未だ少ない。 「Tokyo8x10exhibition」のオープニングにお邪魔した。ここに来る度、私は随分土俵を割って、国技館の外へ出てしまったな、と思う。そう言えば誰だったか、ギターを弾きながらステージを降り、会場から外へ出て、弾きながらタクシーに乗ってしまったブルースマンがいた。どれだけ長いシールドを使ってる。 今から20数年前、アナログ中のアナログ、時に画面に獣の毛がへばりつく、修験者の技のようなオイルプリントに血道を上げていた私であるが、一時期横道にそれた、と思い込んでいたが、あれは、通過するべくした事だったと今では思う。アナログな人達の活動を見ていると、それに気付かされるのである。地道に枝葉を伸ばすように積み重ね変化してきた。今さら下層の物を引っ張り出す気にはなれない。その突端にあるのが犀星である。明日8月1日は室生犀星生誕130周年。三時前には会場に行く予定である。

 

『我が肌に魚まつわれり』 (蜜のあはれより)

 

 7月17日~8月4日本郷『金魚坂』にて。29日はお休みです。8月1日は犀星生誕130周年。

 

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フェイスブックから2年前の、三遊亭円朝出演中の寄席の前を、円朝作〝牡丹燈籠〟の出演者お露とお米が行く。私が考えそうな調子である。その前は、円朝が立っていた。『鏑木清方作〝三遊亭円朝像〟へのオマージュ』がいきなり完成し、これからは陰影を一切取り去るぞ、と勢い込んだものの、寄席から漏れる光を円朝に当てたい。矛盾を受け入れられない私は悩んだ。さらにその後、つげ義春作品『ゲンセン館主人』では、行灯の光を半裸の女に当てたい。それはそうしたものであろう。しかし川瀬巴水の新版画の、モチーフによって陰影を描き分けているのを見て、同一画面に矛盾さえなければ良いのだと思った。 だがしかし。今回の室生犀星では、気が付いたら、人間の女性と、いかにも人形の犀星が腕を組んで歩いている。同一画面に矛盾だらけである。人形を被写体としながら、ある種のリアルさを追求してきた私が今回は〝だって人形だもの〟となった。これには娘が実は金魚であり、その多くでその実体である金魚を付き添わせて、もはや嘘も本当も人形も金魚も陰影もないだろうと考えたからである。私にとっては、〝思えば遠くに来たもんだ〟という心境である。ところで、円朝をどかしてお露とお米を配した作品。幽霊なら、寄席の灯りも当たらないだろう、実に真面目に考えていた2年前であった。

 

『我が肌に魚まつわれり』 (蜜のあはれより)

 

 7月17日~8月4日本郷『金魚坂』にて。29日はお休みです。8月1日は犀星生誕130周年。

 

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以前から不思議であったが、写真やデジタル、何かを参考にしながら作るなど、嫌ったり、苦手な物に限ってやる事になってしまった。嫌いな物には必ず自分の要素があると言ったのは、友人の精神科医であった。それにしたって、と言う話である。その中でも、何かを観ながら作るというのは足を洗いたい、と昨日のブログで書いた。 鏑木清方の三遊亭円朝像が、残された写真と違うことに、なんでこうなる、と身悶えしてしまった私である、顔だけでなく、脚も異様に長い。円朝を直接知る清方ならではの表現であり、それを私が知ったかぶりして創作するのは違うと考える。過去とはいえ、実在した人物に敬意を払い、残された写真をもって、私が円朝を作るとこうなる、と、清方の円朝像とあえて同じ構図にした。しかし実在した人物制作から足を洗えば、本人やその子孫の方々へ気を使うこともなく、のびのびとやれる訳である。 

それにしても暑い。先日閉店した私が30年以上通ったエアコンもない居酒屋の、亡くなって1年以上経つ女将さんは、「暑いといったら罰金だよ。」と言いながら自分が1番言っていた。何故か未だに納骨されていない、と聞いている。夜、通りすがりに黙祷を捧げた。いつか同じく常連のMさんとサイゼリヤでマグナム数本空け泣いたので、もう涙は出ない。

『我が肌に魚まつわれり』 (蜜のあはれより)

 7月17日~8月4日本郷『金魚坂』にて。29日はお休みです。8月1日は犀星生誕130周年。

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夜中に地震があったらしい。思い出した。薄目を開けると首のない室生犀星(首は展示中の座像に)がろくろ台の上に立っている。このぐらいの地震じゃ私の人形は倒れない。と思ったのは夢ではなかった。96、7年より作ってきた作家シリーズも、すでに頭部が出来ている人物以外は作らない、と言いながら、金魚坂が350年続く金魚問屋と聞いて、作ってしまったが、もうこれを最後としたい。小学生の頃から写生嫌い、何かを見て制作することが大の苦手。しかも他人の作った物を描く石膏デッサンなど数える程しかやったことがない。そう思うと、残された写真を見ながら、漱石は鼻を修正している事を見つける程見つめながら良くやって来たと思う。実在者の頭部の制作は、私にとってまさに苦行であった。最初に粘土を取り、作り始めに、ちゃんと完成に至れる、と思った事はただの一度もない。 そもそもデビューは架空のジャズやブルースのミュージシャンであった。実に楽しかったが、毎日作るうち、段々細かくリアルになり、それに伴い、他人の作った製品である楽器を作るのが苦痛となった。作家シリーズが、写真を参考にしながら私が続けられたのも作家の顔が作られた物でも製品でもなかったからである。それまでは、今思うと素人考えで写真を見てしまうと〝本当の事〟が頭に入ってしまい、それが邪魔になる、とかたくなに信じていた。それもこれだけ作家シリーズを続けてしまうと、十分過ぎる程情報が入り、後戻りは出来ない。来年1月か2月のふげん社の個展は、三島とその他でやることになりそうだが、2カットも作れば三島でやりたいことはもうない。勿論三島は頭部はすでにある。と言うわけで最後の苦行が室生犀星ということになるだろう。

『我が肌に魚まつわれり』 (蜜のあはれより)

 7月17日~8月4日本郷『金魚坂』にて。29日はお休みです。8月1日は犀星生誕130周年。

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一日  


今の手法の良い事の一つに、個別に撮影し配するため画像処理ソフト、フォトショップなどが必要だが、カメラやレンズなど、高価な道具は必要がない。製品に依存する度合いが高い写真だが、陰影や空気感の表現など、メーカーが懸命に開発してきたからこそ高価な訳であるが、私の手法には、どれもこれも必要がない。昨日に引き続くが、写真、写真機好き、何れにもアピールする要素がない。もっとも、ほとんどの写真家が、シャッターチャンスだ空気感だ、とやっているのだから、そちらはお任せしたい。それはともかく、それら製品の力を借り難い手法であることは、それらで補えない、つまり肝腎の被写体の造形が、そのまま成否となって現れてしまう、ということである。これはそもそも人形制作から始めた私としては、肝腎の被写体が大事な、大事にしないとならない手法に、ここに来て至った、というのが、なんとも嬉しいような気が引き締まるような気がするのである。そう思うと、我流の良さはここにもあるかもしれない。つまり成分が、すべて自らの中にある物から出来ているため、眼高手低でいう眼と手が同じ成長度合いになるのではないか?  本日は台風の影響もなく、かつて金魚に名前を付け死なれた旧友来る。漱石は猫に名前を付けなかったが、死なれた時の悲しみを少しでも軽減するためだったかもしれない。28日、29日とお休みである。

『我が肌に魚まつわれり』 (蜜のあはれより)

 7月17日~8月4日本郷『金魚坂』にて。28日29日はお休みです。8月1日は犀星生誕130周年。

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