デンマンのブログ

デンマンが徒然につづったブログ

女は二人でも姦しい PART 2

2008-02-15 15:38:08 | 日本人・日本文化・文学論・日本語


早熟なところでござ~♪~ますわよ。おほほほほ。。。レンゲさんは16才で坂田さんに抱かれて初めて女の花を咲かせたのでござ~♪~ますものねぇ。


禁断の園でレンゲさんが

坂田さんと秘め事をして知った悦び




レンゲさんも16才の頃は、こうして可憐な乙女だったんですよね。

まだ高校1年生の女学生だった頃、レンゲさんは、初めて秘め事を経験した。

愛のない家庭で育ったレンゲさんは、心のよりどころがなくて、当時近所に住んでいた坂田さん夫婦の家に時々遊びに行っていた。

坂田さんも、レンゲさんの家庭の事情を良く知っていて、何かとレンゲさんのことを思いやり可愛がっていた。レンゲさんは、いつしか坂田さんに淡い恋を感じるようになっていた。

坂田さんは良い人だけれど、競馬競輪にハマッていて、そのことで妻の幸子さんと別居するようになった。レンゲさんは、そんなある晩、幼な妻のように坂田さんのために夕ご飯を作ってあげた。坂田さんにも何か感じるものがあったのかも知れませんよね。その晩、レンゲさんは坂田さんの腕に抱かれてハラハラ。。。、ワクワク。。。ドキドキしながら桜の花びらを散らした。。。




『エロい文学少女 (2007年4月11日)』より


レンゲさんも坂田さんに幼な妻のようにして尽くしたい気持ちがあったのでござ~♪~ますでしょう?

そうですわねぇ~。坂田さんには小さな頃から可愛がってもらいましたから。。。

あたくしだって、満で15才でござ~♪~ましたけれど、業平さんのことは幼女の頃からお慕い申し上げていたのでござ~♪~ますわ。

それは。。。また、どのような訳ですか?

ジューンさんが一昨日、あたくしと兄の事について次のように書いていましたわ。




こんにちは。ジューンです。

デンマンさんが逃げ出すなんて

珍しいですわよね。

卑弥子さんのお話しの中に出てくる

斎宮(いつきのみや)は実在の人物だった

と言われていますよね。

恬子内親王(やすいこないしんのう)だそうです。

生まれた年は実は、はっきりとしていないのです。

848年だと言われています。

亡くなったのは延喜13年6月18日。

西暦では913年7月24日です。

65才まで生きたのですから、

この当時としては長生きの方でしょうね。

第31代の伊勢斎宮でした。

お父さんは文徳天皇です。

お母さんは紀静子。

同母兄に惟喬(これたか)親王がいます。

惟喬親王は文徳天皇の長男だったのですが、

お母さんの生まれが藤原氏でなかったために

天皇になれなかったのです。

この兄妹は和歌も優れ、

人物としても魅力的なところがあったのでしょうね。

そう言う訳で恵まれない境遇に育ったのに

斎宮は伊勢物語という形で

語り継がれ、私たちに知られるようになったのです。





『愛の形と性の形 (2008年2月13日)』より


あたくしと兄は恵まれた境遇に育ったと言う訳ではなかったのでござ~♪~ますわ。

でも、卑弥子さんは内親王だったのでしょう?

確かに皇族だったのでござ~♪~ますが、母の生まれが藤原氏ではなかったために、皇室内でも日陰者のような扱いを受けていたのでござ~♪~ます。

。。。で、在原業平さんとの出会いは。。。?

業平さまは兄の和歌の先生だったのでござ~♪~ますわ。実は、業平さまも恵まれた境遇で育った訳ではなかったのでござ~♪~ます。

それは一体どのような訳ですか?




在原業平

(ありわらのなりひら)





生年: 天長2年(825年)
没年: 元慶4年5月28日
    (880年7月9日)

父は平城天皇の皇子の
阿保(あぼ)親王。
母の伊都内親王は
桓武天皇の皇女で、
業平は桓武天皇の孫にあたる。

平安時代初期の歌人であり、
六歌仙、三十六歌仙のひとり。
『古今和歌集』に30首が
入集されている。
また伊勢物語の
主人公とみなされる。

臣籍降下して兄行平らとともに
在原氏を名乗る。
別称の“在五中将”は
在原氏の五男で従五位上、
右近衛権中将であったことからくる。

仁明天皇の蔵人となり、
849年(嘉祥2年)
従五位下に進むが、
文徳天皇の代になると
13年に渡って昇進がとまり
不遇な時期を過ごした。

清和天皇のもとで再び昇進し、
従五位上に序せられ、
右馬頭、右近衛権中将、
蔵人頭に進んだ。

惟喬親王の従妹である
紀有常女を妻とし、
紀氏と交流があった。

子に棟梁、滋春、
孫に棟梁の子・元方があり
みな歌人として知られる。

文徳天皇の皇子
惟喬親王に仕え、
和歌を奉りなどした。

業平は『日本三代実録』には
「体貌閑麗」とされ、
美男の代名詞のようにいわれる。

早くから『伊勢物語』の主人公と
同一視され、伊勢物語には、
二条后こと藤原高子や
伊勢斎宮などとの
禁忌の恋が語られる。




『愛と性のレンゲ物語』より
 (2007年1月27日)




お分かりになるでしょう?業平さまは平城天皇の孫であり、桓武天皇の孫でもあるお方です。でも、皇族から籍を抜いて、お兄様と一緒に臣下(しんか)の身分になったのです。しかも、13年間も昇進がとまると言う不遇な思いもしたのですわ。

つまり、卑弥子さんも業平さんも不遇な環境に居たと言う訳なのですわね?

そうですわ。だから、お互いに不遇な立場にある者として心が通い合っていましたわ。業平さまは兄の和歌の先生でしたから、あたくしも時々お目にかかる機会がござ~♪~ました。

それで、時々親しく言葉を交わしたのですか?

親しくと言っても、あたくしはほんの童女でござ~♪~ましたわ。女だと言う自覚がまだ無い頃でした。それでも、業平さまのお優しい人柄が子供心にも良く分かったものでござ~♪~ますわ。だから、“月のもの”を見るようになり、女だと言うことを強く自覚する頃から、あたくしは心のどこかで業平さまをお慕いするようになっていたのです。

何かきっかけでもあったのですか?

藤原高子(たかいこ)さまと言うきれいなお方が居たのです。あたくしよりも5つ年上で、このお方が16才の時に五節舞(ごせちのまい)の舞姫に選ばれたのです。


五節舞 (ごせちのまい)



五節舞とは、大嘗祭(おおにえのまつり)や新嘗祭(にいなめのまつり)に行われる豊明節会(とよあかりのせちえ)で、大歌所の別当が歌う大歌に合わせて舞われる、4~5人の舞姫によって舞われる舞。

舞姫は、公卿の娘2人、受領・殿上人の娘2人という風に選ばれ、選ばれた家は名誉であった。
また、女御が選ばれることもあった。

選ばれた舞姫は練習に明け暮れ、新嘗祭の前々日である丑の日の夜に宮中へ参上、直に、帳台試(ちょうだいのこころみ)と称して常寧殿にて天皇に練習を披露、前日の寅の日に御前試(おんまえのこころみ)と称して清涼殿にて天皇に練習を披露、当日の卯の日に童女御覧(わらわごらん)と称して舞姫に付き従う童女を清涼殿にて天皇が御覧になるなど、天皇自身からの試験も厳しかった。

この舞は、天武天皇の時代、吉野に天女が現れて舞ったとの伝説に依拠している。
五度、袖を振って舞う。
袖を振るのは呪術的であり、新嘗祭の前日に行われる鎮魂祭とも同じ意味があると考えられる。




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


この舞姫に選ばれることは、本人もそうですが、その家の方々にとっても名誉なことだと言われていたのです。高子様は子供のあたくしの目から見ても、おきれいな方でござ~♪~ましたわ。この方が舞姫に選ばれた頃、当時18歳年上の業平様と恋に落ちたと言う噂が立ったのです。あたくしはまだ11才の童女でしたが、その噂には人並み以上に心をときめかせたものでしたわ。なぜなら、業平様をまじかに目にしていたからですわ。

それで、高子さんと業平さんはどうなったのですか?

高子さまには基経(もとつね)さまと言うお兄様が居たのでござ~♪~ますわ。この方は業平さまと妹の交際には反対で、業平さまと高子さまが駆け落ちした時に、妹を連れ戻しに行ったのでござ~♪~ますわ。このお話も『伊勢物語』に載っていますわ。その後、高子さまを清和天皇と政略結婚させ、藤原基経さまは、摂政・関白太政大臣となって権勢を欲しいままにしたのでござ~♪~ますわ。このお方が日本史上最初の関白に就任したのですわ。

そうだったのですかぁ~?。。。斎宮と業平さんのお話の裏に、このような秘話があるとは知りませんでしたわ。

伊勢物語をじっくりと読めば、このように一人の女性を政治の手段に使って権勢を欲しいままにしてゆく人間の醜さが伝わってくるのでござ~♪~ますわ。。。『伊勢物語』を政治批判の書と見ることもできるのでござ~♪~ます。

卑弥子さん。。。なんだか。。。なんだか。。。デンマンさんのような口調になってきましたわねぇ~?

おほほほほ。。。そうでござ~♪~ますか?あたくし、これでもデンマンさんとのお付き合いはレンゲさんよりも長いのでござ~♪~ますわよ。やっぱり。。。やっぱり。。。デンマンさんからの影響を受けてしまうのでござ~♪~ましょうね。

それで、卑弥子さんは高子さんから引き裂かれてしまった業平さんに同情のようなものを感じたのですか?

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