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デンマンのブログ

デンマンが徒然につづったブログ

ロシアから見た日露戦争

2025-03-16 01:20:40 | 歴史四方山話


 

ロシアから見た日露戦争

 


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デンマンさん、今日は、ロシア側から見た日露戦争について語るのですか?


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そうです。。。ロシアの兵隊や将校は、戦争中どのように考えていたのだろうか? そういう事は、これまで日本の歴史研究者や、歴史作家はほとんど取り上げなかった。

デンマンさんは、ロシアの兵隊や将校が、戦争中どのように考えていたのか? それを知る機会があったのですか?

あったのですよ。。。実は、ソ連が崩壊してから、ロシア政府は日露戦争中に兵隊や将校が出した手紙を公開したのですよ。。。2005年の日露戦争終結100周年を記念してNHK が特別番組を組んで『ロシアから見た日露戦争』という記録映画を制作したのです。。。僕はそのクリップをYouTubeからダウンロードして観たことがある。。。

それまでに知られていなかった事実が、その手紙や日記を通して分かったのですか?

そうです。。。その記録映画をここで貼りだそうとしたのだけれど、YouTubeで探したら見つからなかった。。。そういうわけで、僕がダウンロードしておいた記録映画を重要な部分だけ抜き出してここに貼り出します。。。

 


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どういうわけで、それまで100年間封印されていた兵士や将校の手紙や日記や写真をロシア政府は公開したのですか?



ソ連にとって都合が悪かったからですよ。。。封印されていた兵士や将校の手紙や日記を見れば解るけれど、皇帝ニコライ2世の期待に反して、彼等は開戦早々から戦いに勝てるとは思っていなかったのですよ。。。

つまり、弱音を吐く兵士や将校の手紙や日記はソ連の上層部にとって都合が悪いので100年もの間隠しておいたわけですか?

そういうことです。。。政府にとって都合が悪いモノは何でも極秘にしてしまうものです。。。ソ連だけじゃなく、日本もアメリカもそうですよ。。。

100年近くも封印されていた兵士や将校の手紙や日記や写真を公開したのは、どういうわけですか?

あのねぇ〜、どの政府にも理性をもった政治家や官僚は居るものです。。。ソ連が崩壊したので、そういう理性がある政治家や官僚が、過去の歴史を振り返って、失敗を見直そうとしたのですよ。。。

それで、この機会に日露戦争も見直そうとしたので、100年近くも封印されていた兵士や将校の手紙や日記や写真を公開したのですか?

そういうことです。。。2度と失敗を繰り返さないようにと……。

なるほどォ〜。。。プーチンは理性に乏しい人だけれど、ロシアにも、理性のある人がいるものなのですわねぇ〜。。。

でも、そういう理性のある人はプーチンによって粛清されたはずです。。。

そうでしょうか?

権力を握る人は、そうするものです。。。皇帝のニコライ2世も、周りにはボンクラなイエスマンしか登用しなかったのですよ。。。優秀で皇帝の考え方に批判的な官僚は遠ざけていた。。。その良い例が、実戦の経験がほとんどない侍従武官のロジェストヴェンスキー中将をバルチック艦隊(正確にはバルチック艦隊から抽出された第二太平洋艦隊)の司令長官に任命した。。。まともな皇帝であれば、実戦経験の豊富な海軍大将を起用するはずです。。。

ニコライ2世はバカだったのですか?

いや。。。バカじゃなかったけれど、彼の欠点は自分の周りに優秀な人物を登用しなかったのですよ。。。批判する人を嫌う人だった。。。だから、やることが裏目裏目に出てしまう。。。ロシア帝国は、すでに長い専制政治のために、土台骨が揺らいでいた。農民も工場労働者も厳しい貧しい生活を強(し)いられて、革命運動に共鳴し始めていた。。。それでニコライ2世は帝国臣民の不満を日本との戦争に向けさせようとした。。。巡洋艦ワリャーグの負け戦を、戦意高揚のために、生き残った水兵を英雄として迎えて、映画まで作った。。。

 


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1904年8月19日に旅順の戦いが始まると 42,000人のロシア兵が要塞に立てこもり 700の大砲を使って日本軍に反撃した。。。日本軍は大変な死傷者を出して苦しい戦いを強(し)いられたけれど、ロシア軍も被害は甚大で、食料補給の道が閉ざされてからは、スープも米粒がいくつか浮いているだけのものになってしまった。。。その苦境の様子が兵士や証拠の手紙や日記に書かれている。。。この熾烈な戦いの裏で戦いを勝利に導こうとロシア帝国の転覆を画策する革命派の活動家を支援しようと明石元二郎大佐がスパイ活動を行っていた。。。しかし、ロシアの諜報部がニコライ2世に、なんとかスパイ活動を阻止しなけらばならないと警告しているのに、彼は全く耳をかさなかった。。。

 


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明石元二郎大佐は、革命派の活動家に対して、どのような支援を行ったのですか?



革命派がロシア帝国の警察や軍隊に対して反乱を行うための武器などを買うお金を提供したのですよ。。。 当時のお金で日本円で73万円。。。現在の価値にすると60億円になるというのです。。。ニコライ2世は、スパイ活動には興味を示さず、難攻不落と言われた旅順が苦戦していることにショックを受けて、バルチック艦隊を旅順に向けて出発させた。。。ところが、すでに延べたように、司令長官に任命されたのは、実戦の経験がほとんどない侍従武官のロジェストヴェンスキー中将だった。。。乗組員は 14,000人。。。しかし、乗組員は実戦経験がないか、経験が浅い予備役の水兵たちだった。。。

 


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乗組員は実戦経験がないか、経験が浅い予備役の水兵たちだったために、出港すると、まもなく事故を起こす。。。北海で漁(りょう)をしていた漁船を日本軍の敵艦だと間違えて発泡してしまう。。。また、間違えて味方の巡洋艦オーロラを撃ってしまう。。。艦船の従軍司祭にあたり、彼の右手がもぎ取られてしまった。。。



バルチック艦隊は、旅順要塞の陥落前に旅順に着いたのですか?

バルチック艦隊が旅順に着くと、大変なことになるので、日本軍は、その前に旅順要塞を陥落させようと全力を尽くしたのですよ。。。結果として、バルチック艦隊が着く前に旅順要塞を陥落させた。。。でも、そのために203高地を確保するために激しい戦いを強(し)いられた。。。多くの日本兵がここで命を落としたのですよ。。。

 


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日本軍も多くの死傷者を出したけれど、ロシア軍は死傷者 30,000人。。。捕虜 40,000人。。。



日本軍はどれほどの死傷者を出したのですか?

203高地攻略戦では、実に6万4千名の戦闘員が投入され、戦死者 5,052名、負傷者は 1万1千884名と記録されている。。。やがてロシア暦の1905年1月1日、旅順陥落のニュースがレーニンに伝えられる。。。これをチャンスと見たレーニンは、市民にプロパガンダのビラを大量にバラまかせた。。。市民も旅順の負け戦を聞き、生活も厳しくなっているので、不満が高まり、日曜日に抗議のデモ行進を始め、宮殿に向かおうとした。。。そこで軍隊との衝突を起こした。。。いわゆる「血の日曜日事件」です。。。

 


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ロシアの帝政はこの事件でますますぐらつき、官僚の中には、徹底抗戦から戦争を早く終わりにしないと大変なことになるという危機感から日本と講和を結ぼうという機運が高まった。。。その当時、満州では奉天会戦が始まっていた。。。この時までに満州に送られた兵隊は100万人を超えていた。。。総司令官のクロポトキン大将は、旅順を陥落させた第3軍の乃木大将が軍隊を引き連れて奉天にやってくると知らされて驚いた。。。クロポトキン大将は自軍の勢力を過小評価し、難攻不落の旅順を陥落させた乃木大将が率(ひき)いる第3軍を過大評価していた。。。

 


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その同じ時期に、バルチック艦隊はマダガスカルに停泊したまま、旅順が陥落してから2ヶ月もとどまっており、ロジェストヴェンスキー司令長官は、ニコライ2世に対してロシアに帰還することを打診した。。。ところが、皇帝は旅順を目指して進めと言う。。。乗組員は、海戦に勝つことは考えられないという者がほとんどだった。。。それほど志気が落ちていた。。。そして、いよいよ日本海海戦に臨むことになる。。。

 


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兵隊たちは無謀な戦争に駆り出されて、戦争が終わって国に帰ったら、この戦争を始めた将軍や官僚に天誅(てんちゅう)を下すのだと手記に書いている者まで出てくるのです。。。国内でも、ニコライ2世に対する不満が高まって風刺画が街に出回った。。。

 


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バルチック艦隊は対馬海峡を目指して進み、食料や燃料の補給のためにフランス領インドシナのカムラン湾にはいったのだけれど、日本がフランス政府に抗議したために、バルチック艦隊は湾から追い出されてしまった。。。当然、水兵や将官たちの不満は募(つの)る。。。

 


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航海士や砲術士官も、日本海海戦には勝ち目がないと思うようになった。。。



確かに、漁船を敵の船と間違えて事故を起こしたり、熱帯のマダガスカルで皇帝の返事を2ヶ月も待ち続けたり、カムラン湾ではフランス総督に追い出されて、海上を放浪したり、これでは水兵や将官の志気が落ちるのも無理ありませんわ。。。

それでも、名誉のために戦わねがならない。。。いよいよ日本海海戦に向かって対馬沖に到着する。。。

 


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結局、ロジェストヴェンスキー司令長官も重症を負いバルチック艦隊は大敗を記した。。。ロシア軍は奉天会戦で負け、日本海海戦でも負けた。。。この時、ロシア帝国はシベリア鉄道の全線開通を4年後に控えていた。それでもクロパトキンを総司令官とするロシア軍は100万人を満州に動員して戦った。直前に血の日曜日事件があったように、国内は混沌とした状況にあった。皇帝ニコライ2世への国民の忠誠心は揺らぎ、民衆は革命派に共鳴していた。。。そういう中で黒海沿岸の港町オデッサで1905年6月に『戦艦ポチョムキンの反乱』が起きた。。。ウジ虫が湧いた肉を食わせられた水兵たちがムカついて将官を殺して戦艦を占領した。。。これは1925年に、あの有名な映画にもなった。

 


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「戦艦ポチョムキン」

 


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『戦艦ポチョムキン』(ロシア語: Броненосец «Потёмкин» 英語:Battleship Potemkin)は、1925年に制作・公開されたソビエト連邦のサイレント映画。
セルゲイ・エイゼンシュテイン監督の長編第2作で、「第1次ロシア革命20周年記念」として製作された。

1905年に起きた戦艦ポチョムキンの反乱を描いたもの
で、「オデッサの階段」と呼ばれるオデッサの市民を虐殺する場面は映画史上有名なシーンの一つであり、様々なオマージュやパロディを生んでいる。

しかし、「オデッサの階段」の場面や終盤の黒海艦隊の多くの艦が反乱に同調する(実際は数隻のみ)場面など史実とは大きく異なる部分も多い

当時のソ連の映画人が提唱したモンタージュ理論を確立した作品として知られ、エイゼンシュテインが唱える「アトラクションのモンタージュ」などといった独創的なモンタージュ理論を実践しており、世界各地で大きな反響を受けるとともに、後の映画人にも多大な影響を与えた。

現在に至るまで映画史的に非常に重要な作品として評価されており、『國民の創生』、『市民ケーン』とともに映画芸術に革命をもたらした画期的作品とされる

共産主義的プロパガンダ映画のために、海外で公開される際は検閲を受け、多くの場面がカットされるなど公開に難航した。
日本でも終戦から22年が経った1967年にようやく一般公開された。

 

製作

長編第1作の『ストライキ(英語版)』で高く評価されたセルゲイ・エイゼンシュテイン監督は、ロシア第一革命20周年記念委員会より、記念映画の制作を依頼された。

はじめにエイゼンシュテインと脚本家のニーナ=アガジョーノワ・シュトコが準備した脚本は『1905年』というタイトルで、革命の始まりから挫折までを6つのエピソードで構成するというものだったが、撮影が遅れ公開日(1925年12月24日)までに完成しそうでなかったため、エイゼンシュテインはつ6つのエピソードのうちの一つである「戦艦ポチョムキンの反乱」に焦点を当てて描くことにした。

出演者は『ストライキ』と同様、主要な役以外は素人(艦隊の水兵やオデッサ市民など)が演じた。
神父役はセヴァストポリ郊外の果樹園の老園丁が演じた。

またオールロケで撮影され、記録映画のような手法がとられている

 

公開

1925年12月24日、本作はモスクワのボリショイ劇場で第一次ロシア革命20周年記念式典で上映されて大好評を得た。
しかし、海外では共産主義的な内容から検閲によって上映禁止や、多くの場面をカットして上映されることとなった。

1950年、本作の助監督で出演もしていたグレゴリー・アレクサンドロフによってニコライ・クリューコフ作曲の音楽が挿入された「サウンド版」が発表された。

日本では、1926年に横浜港にフィルムが渡ったが、共産主義プロパガンダが含まれているとみなされ検閲で輸入禁止となり、終戦まで政府により上映禁止措置が取られていた。
1959年の有志(評論家の山田和夫など)による自主上映運動により、初めて日本の観客が目にし、1967年にATGの配給で、ようやく劇場で一般公開された。

 

フィルムの散逸と復元

本作のオリジナル・ネガは、スターリン時代に政治的理由でカットされており、海外で公開された版も多くのシーンがカットされたため、完全なオリジナルは散逸してしまった。

1976年、ソ連映画関係者の努力により世界中に散らばったポジ・プリントから復元版が再構成された。
この版はショスタコーヴィチの交響曲からとった音楽がつけられたため、通称「ショスタコーヴィチ版」と呼ばれる。

しかし、その後ドイツの作曲家エドムント・マイゼルがドイツ公開(1926年)の際に作曲したスコアが発見され、もともとマイゼルへの作曲依頼者がソビエト側であることや、エイゼンシュテイン本人も伴奏音楽として優れていると認めていたことから、こちらの版の復元が進み、2005年には元ミュンヘン映画博物館館長エンノ・パタラスの指揮によりこの「マイゼル版」の復元版が完成した。

復元マイゼル版では、当時のドイツ公開版にならい、戦艦のマストに掲げられた旗が手彩色作業により赤旗になっている。

 

オデッサの階段の虐殺

 


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この映画で最も印象的とされるのは「オデッサの階段」といわれる約6分間の場面で、「映画史上最も有名な6分間」といわれる。

特に撃たれた母親の手を離れた乳母車が階段を落ちていくシーンは、ブライアン・デ・パルマ監督の『アンタッチャブル』などの映画でも引用されている。
だが史実によると「オデッサの階段での虐殺事件」というものは存在しない

 


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その他

戦艦ポチョムキンの実物は国内戦期にイギリス軍によって爆破され武装を撤去された。
そして激しい損傷を負ったままセヴァストーポリの南湾に放置された。

その後、ソビエト政府は革命記念艦である同艦を復旧しようと試みたが果たせず、艦はちょうど映画が製作された1925年に解体されてしまった。
映画に全体が登場する場面があるが、これは模型である。

俳優らが艦上を動き回るシーンの撮影は当時のソ連海軍の練習巡洋艦コミンテルンと、当時第8号繋留廃艦と呼ばれ住居や倉庫として使用されていた旧戦艦ドヴィエナザット・アポストロフで行われた。

両艦ともポチョムキンとはかなり形が異なるが、映画では違和感なく処理されている。
艦の全体が映る場面では模型を使っているが、一部で実物の艦艇も登場している。

しかし、フィルムの一部場面には1905年当時は存在しなかった弩級戦艦などが映っており、ポチョムキンとは若干ギャップが生じてしまっている。

 

パブリックドメイン化

公開が1925年、監督エイゼンシュテインの没年が1948年であることから、いずれを基点としても日本の著作権法(2013年現在)上はパブリックドメイン化しており、自由に複製、上映、改変、翻案などが可能となっている




出典: 「戦艦ポチョムキン」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



こうして見てゆくと、革命が起こるのも時間の問題だと言う感じですわねぇ〜。。。



全くその通りですよ。。。1905年、血の日曜日事件によって始まったロシア第一革命は、1907年6月にストルイピン首相のクーデタで終息した。労働運動や革命運動は一時的に停滞し、革命家は西ヨーロッパへと逃れた。実際に史上初の社会主義国家(ソビエト社会主義共和国連邦)が樹立したのは、1917年10月革命のあとだったけれど、広義には1905年のロシア第一革命も含めた長期の諸革命運動がソ連を生み出した。。。そういう意味で日露戦争の不満から起きた血の日曜日事件は、レーニンを後押しする事件になったのですよ。。。

つまり、ロシア帝国が日露戦争で負けたことがソ連を生み出したのですわねぇ〜。。。

そういうことですよ。。。



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【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。

「戦艦ポチョムキン」という映画は無声映画ですけれど、ウィキペディアの「戦艦ポチョムキン」のページにクリップが載っているので、お暇があったら観てくださいね。

ええっ。。。「そんな事より、何か他に面白い話でもしろ!」

あなたは、そのようなきつい口調で、わたしにご命令するのですかァ~?

分かりました。。。

それでは、ここで珍しいカボチャ料理を紹介しますわァ~。。。

 


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どうですか? 

あなたも作ってみたいと思いますか?

ええっ。。。 「そんなことは どうでもいいから、他に何か もっと面白いことを話せ!」

あなたは、そのように わたしにご命令なさるのですかァ~?

分かりましたわ。。。

じゃあ、ホログラムを使った面白い動画をお見せしますわァ~。。。

 



 

「面白いけれど、それだけじゃつまらん。他に何か面白いことを話せ!」

貴方が 更に そう言うのでしたら、ワンワンちゃんの面白い動画をお目にかけますわ。。。

ワンワンちゃんが人間の言葉をしゃべります!

 


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ええっ。。。? 「そんな馬鹿バカしい動画など、どうでもいいから、何か他に面白い話をしろ!」

あなたなは、また そのような命令口調で わたしに強要するのですか?

わかりましたわァ。。。

では、たまには日本の歴史の話も読んでみてくださいなァ。

日本の古代史にも、興味深い不思議な、面白いお話がありますわァ。

次の記事から興味があるものをお読みくださいねぇ~。。。


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