思い出ポロポロ (PART 2 OF 3)
ん? クラシックで片思い?
(violin03.gif)
そうなんですよね。
僕は多分、恵美子さんに片思いしていたと思うんですよ。
(cute0015.gif)
中学校に入学して間もなくだった頃だと思いますが、
全校生徒が体育館に集まった時に
同学年の恵美子さんが“乙女の祈り”をピアノで独奏したのです。
<iframe width="420" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/loJY25HOIr4?feature=player_detailpage" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>
僕はその時初めてこの曲を聴いたのですが、すばらしいと思いました。
感動しました。
曲も良かったけれど、あの恵美子さんが弾いたのだという事も感動的でした。
この恵美子さんは小学校のとき6年間隣のクラスに居た可愛い女の子だったのです。
よく目にした事はあっても口をきいたことが一度もなかったのです。
初恋の人ではなかったのですが、僕の気に入った女の子でした。
遠くから見ていて、可愛い女の子だなぁ~と思っていたのです。
小学校ではクラス替えがなくて6年間同じメンバーだったのですが、
中学校では学年毎にクラス替えがあったので、この恵美子さんと同じクラスになる事を期待していたのです。
しかし、とうとう同じクラスになる事はありませんでした。
(こういう思い通りにならない事って、人生にはずいぶんとあるものですよね?)
とにかく、僕が気に入っていた“乙女”が弾いた“乙女の祈り”が忘れられなくて、僕はどうしてもこの曲が弾きたくなった。
大学に入学して下宿から通うようになった頃、下宿にピアノがあったので楽譜を買ってきて、独習で弾き始めたのです。
とにかく、一生懸命に独習したので、何とか全曲を弾けるようになったのです。
自分では結構マシに弾けると思ったので、ぜひ恵美子さんに聞いてもらいたいなぁ~と思い始めたんですよ。
(piano2.jpg)
そう思ったら、何が何でも恵美子さんに聞いてもらいたいと思うようになった。
それで、夏休みに帰省した時に思いきって恵美子さんに電話したのです。
当時、恵美子さんは音楽大学に通っていました。
恵美子さんはビックリするだろうと思ったのですが、極めて落ち着いて冷静に受け答えしていたので僕のほうがその落ち着き方に内心ビックリしたほどでした。
(breakup0.gif)
これまでに一度も言葉を交わしたことのない女性に初めて電話して僕のピアノの演奏を聞いて欲しいと言ったのですからね。
もちろん、どうしてそういう気持ちになったのか、かいつまんで説明しましたが、
今から思うと“すっご~い心臓”を持っていたものだと、自分ながら呆れる思いです。
その後、恵美子さんがコンサートピアニストになったのかどうか、僕は、もうぷっつり連絡していないから全く分からないのです。
僕は社会人になると間もなく海外へ出てゆきましたから。。。
当時、彼女の家にはグランドピアノがあって、その頃でもピアノ教室が別棟にあって、そこで子供たちに教えていました。
とにかく、恵美子さんに会ったのは前にも後にもそれっきりなんですよね。
電話した事もなければ、手紙を書いたこともない。
本当にその時会ったのが初めで最後!
まず、このように書いても誰も信用してくれないと思いますが、これは実話です。
恵美子さんの名前は本名です。
僕の生まれは行田市です。
もしかして、この記事を恵美子さんが読む事があれば、すぐに僕が誰かと言う事が分かるはずです。
もちろん、僕は恵美子さんにまた会いたくなったから、と言うのでこの記事を書いているわけではありませんよ。
小学生のときに芽生えた“乙女”に対する思いが僕の“乙女の祈り”の演奏を聴いてもらう事によって完結した。
言ってみれば、そのような儚(はかな)くも淡い“恋”ではなかったのか?
もちろん、それは“片思い”にすぎなかったのだけれども、僕はその片思いをあのような形で完結したのだと。。。
今から思い返すと、そう思えるのです。
しかし、ずいぶんと下手くそで間違った演奏を聞かせたものだと、気恥ずかしくなりますよ。
この記事を恵美子さんがもし読む事があったら、夢のような馬鹿ばかしい思い出として、苦笑しながら思い出すことでしょう?
お恥ずかしい事ですが、クラシックだと言われている“乙女の祈り”を誰が作曲したのか?
この記事を書くまで知らなかったという“おまけ”までがついていますよ。うへへへへ。。。。
ついさっき調べたら次のような事が分かりました。
(girlwell.jpg)
1856年作曲
乙女の祈り (La prière d'une vierge)
テクラ・バダルジェフスカ (Tekla Badarzewska)
(1834年1月1日~1861年9月29日)
生誕地:ワルシャワ、 ポーランド
なんと、この人物は27歳で亡くなっているんですよね。
冥福を祈りたいですね。
とにかく、この人物が“乙女の祈り”を作らなかったら、僕は恵美子さんに会うことはなかったんですよ。
小学生の時に、恵美子さんのことを可愛い女の子だなぁ~と思っていただけで、一生会って言葉を交わす事はなかったはずです。
クラシックの“威力”なのでしょうか???
実は、この片思いの事は2006年6月13日に書いた記事の一部です。全文はもっと長いのですよ。
興味があったら次のリンクをクリックして読んでみてくださいね。
クラシックに限らず音楽好きの人なら面白く読めると思います。
■『ん? クラシック興味ある?』
Realogで書いた、この記事に対してRealogのメンバーの藤守美愛さんから次のようなコメントをもらいました。
ありがとね。 (デンマン注: 残念ながら、Realogは閉鎖・消滅しました。)
(gal06c.jpg)
初です☆
クラシック好きなので、
タイトルに釣られて来てしまいました。
コントラバスしてたんですか?
私はペットとパーカッション&ドラムしてました(^O^)
乙女の祈りはエレクトーンで弾いたので懐かしい~
独学でピアノは大変ですよね。
とても素敵な想い出だと思います=^▽^=
by 藤守美愛 2006/06/14 03:45
『ん? クラシックで片思い?』より
(2006年6月19日)
あらっ。。。 ヒロ君のように勇気を出して、デンマンさんも思い切って恵美子さんに電話したのですわねぇ~。。。
そうなのですよ。。。 でもねぇ~、その時、僕は大学生になっていましたけどねぇ~。。。 小学生の時には、恵美子さんに話しかける勇気はありませんでしたよ。
あらっ。。。 小学生の時のデンマンさんは、意外に おとなしく控えめだったのですわねぇ~。。。
いや。。。 僕は悪ガキだったのです。。。 大してケンカは強くはなかったのだけれど、ずいぶんクラスメートをイジメましたよ。。。 強がって見せたのでしょうねぇ~。。。 そういう点で映画の中に出てくる“アベ君”と同じような性格でしたよ。
(poro21.jpg)
アベ君はタエ子の小学生時代のクラスメイト。
五年生の一学期に転校してきた。
二人は同じ机に並んで座ることになった。
家が貧しく、たびたび不潔な行動をとるため皆から嫌われていた。
タエ子の前ではポケットに手をつっこんで道に唾を吐き捨てるなど不良少年のように振舞っていた。
タエ子は彼のことがずっと心残りだったが、トシオの助言により、彼がタエ子のことが好きだったことが判った。
だから、この映画を観ると 僕はヒロ君にも共感するところがあるし、アベ君にも共感するものがあるのですよ。。。
つまり、この事が言いたかったのですか?
いや。。。そればかりじゃないのですよ。。。 僕が自分のエピソードを書いたら、太田将宏老人が僕の記事を読んで次のようなコメントを書いたのですよ。
Identity theft をした
デンマンこと加藤明へ (Ⅵ)
コメント記入者: V. T.
2015-11-12 05:11:58 その四:
以上の加藤氏の狼藉にも拘らず、
心優しい私たち貴族の夫婦は、
彼と一緒にスキーをした事もあった、
(canski02.jpg)
彼が私たちをアルゴンキン パークに
ドライヴしてくれたこともあった、
(algon02.jpg)
<iframe width="420" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/6uERTJ7d-RY?feature=player_detailpage" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>
とか、まがりなりにも、私を一晩、彼の部屋に泊めて、
ヴァンクーヴァを案内してくれた事もあった、
(mayumi40.jpg)
<iframe width="420" height="315" src="//www.youtube.com/embed/TQqO1__1bzk" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>
とか良かったことだけを憶えていて、嫌な事は最近まで忘れていたので、私は、ついつい、彼に出来立ての私の本を送ってしまった、という次第だったのです。
聞くも涙の物語でしょう(満場、シーンとして声もなし)。
加藤氏は、その私の本の最初の反応として、私への断りも無しに、私の文を、一部ではありますが、このBBSに転載して、さらに彼の<乙女の祈り>にまつわるsentimentalな駄文を付け加えて、彼の言う仮想の<世界>、つまり仲良しクラブに発表したのです。
それでも、心優しい私は、事後処置でありますが、私の作品を引用してもいいよ、と言ってやった次第でした(失笑)。
あの、加藤氏の<乙女の祈り>についての文章は、そんな事は、自分だけの胸だけに秘めておけばいい、という以外の何ものでもないではないですか。
読んでいる方が恥ずかしくなるような駄文ですねぇ(失笑)。
それと、あそこで引き合いにだされた女性、恵美子さんという方は、気の毒ですねぇ。
(cute0015.gif)
戸惑いを通り越して迷惑に思っているのではないか、と同情いたしました(ため息、そして失笑)。
彼を、無神経と言わなければ、無神経な人などは、世界中を捜してもいませんよねぇ(ため息、そして、失笑、又、ため息)。
その加藤さんが、自分史を書いているとか、書くとか、といっているのですよ。<世界>の皆様、身震いしませんか(ついに爆笑)。
それらを思いつつ、私は、また、新たに確認しました。
加藤氏は、無礼とか何とか言う以前の、まだ乳離れの出来ていない幼児が、際限なくダダをこね続けている様なものなのではないか、と。
『親愛なる将宏ちゃんへ』のコメント欄より
(2006年12月28日)
あらっ。。。 デンマンさんが2006年の12月28日に書いた記事に太田老人が去年(2015年)の11月12日に上のコメントを書き込んだのですか?
そうなのです。。。 2006年の6月14日にコメントを書いてくれた藤守美愛さんは“とても素敵な想い出だと思います”と書いているのですよ。。。ところが、70歳を過ぎた太田将宏老人は“共感脳”がすっかり萎縮してしまって、藤守美愛さんのように共感することができなくなってしまったのですよ。 (苦笑、それから爆笑!)
デンマンさん。。。 ちょっと、それは言い過ぎなのではありませんかァ~?
とにかく、この太田将宏老人のことでは、いろいろと記事を書かされてしまいました。。。 関心のある人はGOOGLEで「太田将宏」と入れて検索してみてください。。。 このような人間もいるのか?!。。。 とあなたも、呆れると言うか? 苦笑させられると言うか?。。。 あるいは、爆笑してしまうかもしれません。 (微笑)
つまり、この事が言いたくて、デンマンさんは今日の記事を書き始めたのですか?
違いますよ。。。 太田老人のことは、ついでに書いたまでです。。。
。。。で、いったい何が言いたいので“おもいでぽろぽろ”を持ち出してきたのですか?
もちろん、真由美ちゃんの事ですよ。
あらっ。。。 私のことですかァ~?
そうです。。。 僕も、真由美ちゃんがこの映画を観たという直感があったのですよ。
それは、どういうわけですか?
真由美ちゃんがカナダに移住したくなったということ。。。 それに、結婚しないのは、何かその前に自分がやらなければならないことがあるのではないか?。。。 そう思ったということを かつて真由美ちゃんは僕に話したことがあったからですよ。。。 ちょうどタエ子さんのように、会社の上司に10日間の休暇を申し出て山形の田舎に行くと決めて夜行列車に乗る。。。
(poro10.jpg)
僕は、このシーンを観ながら、真由美ちゃんも きっとこの映画を観たに違いないと思ったのですよ。
あらっ。。。 そうだったのですか?。。。 実は、私もタエ子さんの生き方に共感したのですわ。
そうでしょう!?。。。 僕も、なんとなく、そうじゃないかと思ったのですよ。。。
タエ子さんは、おそらく有機農業に夢と希望を見出して頑張っている2歳年下のトシオ君の生き方に惹かれ、やがて結婚することになるのかもしれないけれど。。。、
(poro05.jpg)
(poro20.jpg)
私はこの映画を観て、ますますカナダに行きたくなったものですわァ。
うん、うん、うん。。。 分かります。。。 分かりますよ。。。 夢が叶って、せっかくバンクーバーにやって来たのだから、その気持ちを忘れずに、今のバンクーバーの生活をエンジョイしてねぇ~。。。
(laugh16.gif)
(すぐ下のページへ続く)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます