エマニエル夫人とチャタレイ夫人
『ロマンポルノ第3部と第4部』は
不思議な事に
小百合さんが「チャタレイ夫人の恋人」を観て
感じたことに対する疑問や驚き。。。
なぜ?どうして。。。?
その事に僕が答えているのですよう!
マジで。。。
「やらし~ かったね。 森の中」
小百合さんはそう言っているけれど、
僕の『ロマンポルノ』は
もっともっとロマンチックで
小百合さんがムカつきながらも
わくわくドキドキしながら、
きっと、うれしくなって読めますよう!
とにかく、小百合さんの質問の答えは
マジで『ロマンポルノ 第3部と第4部』で
書いたのですよう。
小百合さんのこのメールを読む前に!!
不思議な事ってあるもんだね?
とにかく、今日中に
ビーバーランドにアップするから、
明日には小百合さんに
パスワードを知らせます。
投稿日時: 2008/09/05 07:32 (ロンドン時間)
日本時間: 9月5日 午後3時32分
バンクーバー時間: 9月4日 午後11時32分
う~ん
デンマンさんの『ロマンポルノ』
時間を作って ゆとりある時 読みます。
映画も本も その人の 受け止め方で、かなり違います。
素直に同じ気持ちで受け止めるか、
また 正反対になるか。
最近は本を選んでも 自分に 今読んでいいか?
自分にあっているのか? 考えてから 始めます。
やっぱ 「チャタレイ夫人の恋人」ですか
昔の やらP- 映画は 詳しくなく、
『軽井沢夫人』も 今も良く内容がわからないのですが
ケーブルTV の映画部門のチャンネルで①~④をみました。
(「チャタレイ夫人の恋人」です)
ショックで ショックで 9月2日~5日まで見ながら…
でも、今のイヤな事を 忘れさせてくれました。
そうですよう。そうですよう。
映画も小説も“今一つの世界”に見る人、読む人を誘ってくれますよう。
そうやって、誰もが“今一つの世界”がある事を知るのですよう!
軽井沢の別荘は、小百合さんにとって物理的な“今一つの世界”だけれど、
『小百合物語』と『ロマンポルノ第3部と第4部』は
小百合さんにとって精神的な“今一つの世界”になるだろうと思います。
その中で、小百合さんの40代、50代、60代の夢とロマンを考える事ができるのですよう!
良かったのか 悪かったのか、のめり込んで見てました
大人の目で見てみると シーンの
1つ 1つ が 大人用に 映っているなーと
昼 一人で 見られました。
デンマンさんはどう思った?
ブログでは書かなくてイイから、私に答えてみて。
10月でもいいです。
忙しいデンマンさんへ
小百合より
それにしても
やらし~ かったね。 森の中…
そうです。そうです。
『ロマンポルノ 第3部と第4部』も小百合さんがのめり込むようにして読めると
僕は確信を持っていますよう!
だから、昼間、時間があって一人の時に読んでね。
理想的には、一人だけになった深夜に読むのが一番ですよう!
デンマンさんはどう思った?
ブログでは書かなくてイイから、私に答えてみて。
「チャタレイ夫人の恋人」は、現在では純文学のカテゴリーに入っているようですよう。
つまり、本を読むと、現代の感覚では、それほどエロくないのですよう。
僕も初めて読んだとき、思ったほどエロくないのでがっかりしましたよう!
つまり、「夫人の立場に置かれた時に、あなたならどうしますか?」
そのことを読者に問いかけているのですよね。。。
映画では、半分以上がファンタジーになっていますよう。
つまり、映画では小説と違って『エマニエル夫人』のような詩的映像になっている。
森の中のシーンも詩的映像になっていますよう。
小百合さんは「やらし~ かったね。 森の中」と言うけれど、
あのシーンが一番良かったよう!
うしししし。。。マジで。。。
エロスと夢とロマン!
僕は、それを感じました。
その“エロスと夢とロマン!”を『ロマンポルノ 第3部と第4部』でも再現していますよう!
つまり、僕と小百合さんの「チャタレイ夫人の恋人」になっているのですよう!
小百合さんのメールを読みながら、僕は本当にびっくりしています。
以心伝心!
あるんですね?
(チャタレイ夫人の恋人)
ショックで ショックで 9月2日~5日まで見ながら…
でも、今のイヤな事を 忘れさせてくれました。
このとき、僕は一生懸命に『ロマンポルノ第3部と4部』を書いていたのだけれど、
読み返すと、確かに
僕と小百合さんの「チャタレイ夫人の恋人」になっているのですよう!
小百合さんもじっくりと読んでみてください!
きっと、ムカつくけれど、うれしいようなドキドキするような驚きだと思いますよう!
でも、『ロマンポルノ第3部と第4部』は40代を迎えた妻が自分の人生を振り返って“本当の人生”を考えると言う“夢とロマンのポルノ”です。
もちろん、ロマンポルノだから、ショッキングでポルノチックなところがあって、
僕のポルノの好みと小百合さんのポルノの好みが違ってしまって、
小百合さんが具合が悪くなる事も充分考えられます。
でも、僕は小百合さんが『エマニエル夫人』を観た、と言う事実を念頭において書いていたから、小百合さんが具合が悪くなって寝込んでしまうと言うようなことはありませんよう。(爆笑)
とにかく、今夜、もう一度読み返してビーバーランドにアップします。
明日には小百合さんにパスワードを知らせることができると思います。
とにかく、小百合さんと再会できなかったら
『小百合物語』も、『ロマンポルノ』も書けなかった訳だから、
僕は、小百合さんに心から感謝していますよう。
ありがとう!
その気持ちもロマンポルノの中で書いています。
じゃあね。ば~♪~い。
投稿日時: 2008/09/05 23:51 (ロンドン時間)
日本時間: 9月6日 午前7時51分
バンクーバー時間: 9月5日 午後3時51分
『上流社会』スレッドより
ロンドンの 『ビーバーランド e-XOOPS』
■ 『セレブと碓氷峠 (2008年9月7日)』
おとといは、デンマンさんの祖先の男の人とあたくしの祖先の可愛い女の子が出会うと言うお話でしたのに、なんで急にエマニエル夫人とチャタレイ夫人になってしまうのでござ~♪~ますか?
卑弥子さんは不満ですか?
だってぇ~、日本文学史上有名な『更級日記』が出てきて、せっかく格調高くなったのでござ~♪~ますわ。平安時代の上流社会を垣間見るようなお話でござ~♪~ましたわ。
エマニエル夫人とチャタレイ夫人では、格調が低いのですか?
格調が低いと言っている訳ではござ~♪~ませんわ。でも、小百合さんだって、「それにしても やらし~ かったね。 森の中…」と言っているのでござ~♪~ますわ。
つまり、エロいのですか?
小百合さんも、そのようなニュアンスを込めて言っているのだと思いますわ。
要するに、話題がエロくなるのが卑弥子さんには不満なのですか?
違いますわ。
一体、何が不満なのですか?
デンマンさんは、ぬけぬけと恥ずかしげもなく次のような事を書いているのですわ。
このとき、僕は一生懸命に『ロマンポルノ第3部と4部』を書いていたのだけれど、
読み返すと、確かに
僕と小百合さんの「チャタレイ夫人の恋人」になっているのですよう!
小百合さんもじっくりと読んでみてください!
きっと、ムカつくけれど、うれしいようなドキドキするような驚きだと思いますよう!
僕がこのようなことを書いては、いけないのですか?
いけませんわア!デンマンさんが2年ほど前にクラシックの事で言い争った太田将宏さんが読めば、きっと「いいきなもんだね!」と呆れてしまいますわよう。
つまり、太田さんが感心するような事を書かなければいけないのですか?
あたくしは、何も太田さんにこだわっているのではござ~♪~ませんわ。あたくしは、デンマンさんがヤ~らしい事を書いて、ヤ~らしい事が嫌だと言う小百合さんに読ませようとしている事が我慢ならならないのでござ~♪~ますわ。
要するに卑弥子さんは、ヤキモチを焼いているのですね?
違いますったらあああぁ~。。。んもお~~~
卑弥子さん。。。冷静になってくださいよう。確かに、「チャタレイ夫人の恋人」の森の中のシーンは小百合さんが言うように「それにしても やらし~ かったね」と見えるかもしれない。
でもねぇ、このシーンは見る人によってはロマンチックだと受け留める人も居るのですよう。
デンマンさんは、ロマンチックだと受け留めたのですか?
そうですよう。「チャタレイ夫人の恋人」は、たびたび映画化されたけれど、2006年にフランス、ベルギー、イギリスの合作映画“LADY CHATTERLEY”を監督したフランス人女性のパスカル・フェランさんは、あの森の中のシーンについて次のように話しているのですよう。
実は、D・H・ローレンスが書いた「チャタレイ夫人の恋人」の原作には第3稿まであるのです。第1稿は草稿と呼ぶようなモノです。第2稿を経て、小説としても出版され、過去に3回映画化されいるのが第3稿なのです。そして今回4度目の映画化となる私の映画は一部でのみしか出版されていない第2稿を映画化したものです。
第3稿は登場人物たちが饒舌で、自らの行動を説明しすぎるきらいがあるのに対し、第2稿は秘密めいた部分を残しながらも、内面の変化が顕著に描かれていて感動的でした。
“人間がこの世に存在してから初めて語られるラブストーリーなのではないか”と思うほど純粋な愛の物語だと私は感じたのです。
お互いに裸になって花を飾り合うシーンは、2人の心が一体となったことを表しています。
また、雨の中を裸で走り回るシーンでは、子供のように喜びを体全体で表現しているのです。
どちらも原作にあり、私にとっても重要なシーンでした。
主人公たちの精神的な変化はもちろん、彼らが身体を触り合っている感触や、匂いまでも楽しめるような、五感に訴える作品にしたかったのです。
女流監督も、このように語っているように、あの映画はむしろ“純愛”物語なのですよう。けっして「ヤ~らしいだけの映画」じゃないのですよう。その証拠に小百合さんだって引き込まれるように観て、次のように書いている。
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