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軽井沢タリアセン夫人 愛の写真(PART 1 OF 3)

2015-01-10 14:38:27 | 日本人・日本文化・文学論・日本語
 

軽井沢タリアセン夫人 愛の写真(PART 1 OF 3)

 


(sayuriani.gif)


(salon22.jpg)




(sayuri55.gif)

デンマンさん。。。 どういうわけで私の写真を持ち出してきたのですか?


(kato3.gif)

小百合さんの写真を持ち出してきては いけませんか?

だってぇ~、今更 “愛の写真”もないでしょう!? 上の写真を見ても、どこにも“愛”など ないではありませんかァ!

それは、あくまでも小百合さんの個人的な見解ですよ。。。 見る人が見れば、“愛”が溢(あふ)れているのですよ。

そうでしょうか? どこに。。。?

ちょっと次の写真を見てください。


(sayuri52.jpg)



この上の写真には“愛”が溢れていると思いませんか?



デンマンさんが自分で でっち上げた写真なので そう感じるのですわ。 見る人が見れば、上の写真は かな~りエロいと思いますわァ。

あのねぇ~、“エロい写真”というのは次のような写真のことですよ。


(lingerie006.jpg)



あらっ。。。 卑弥子さんの顔写真を嵌(は)め込んでコラージュしたのですわねぇ~。。。 卑弥子さんが見たら きっとムカつきますわァ~。。。



いや。。。 卑弥子さんは自分のプロポーションに自信を持ってますからねぇ~。。。 こうして多くのネット市民の皆様に 自分の均整のとれた肉体美を見てもらえると思って、狂喜しますよう。

デンマンさんが そう思い込んでいるだけですわ。。。 で、どうして急に“愛の写真”なのですか?

あのねぇ~、ちょっと次のリストを見てください。


(ame50108d.png)

『拡大する』



これはアメブロの僕のブログの1月2日から8日までの1週間の「人気記事リスト」なのですよ。 赤枠で囲んだ 49番に注目してください。



あらっ。。。 「軽井沢タリアセン夫人」のテーマのページを読んだ人が9人いたということですか?

そういうことですよ。


(amethm935.png)

『実際のテーマのページ』



見れば解るように3ページ目を読んだのです。



3ページ目に何があるのですか?

だから、上の画面にも出ているように『軽井沢タリアセン夫人の写真』という記事が出てくるのですよ。


(sayuriani.gif)

『実際の記事』



おそらく、上の写真が画像検索したら出てきたので、検索した人がそれをクリックしたのです。。。 そしたら「軽井沢タリアセン夫人」のテーマの3ページ目に飛んだということだと思うのです。



つまり、スライドの写真に興味をもったので デンマンさんのブログにやって来たのですか?

いや。。。 僕のブログにやって来たと言うよりも、“軽井沢タリアセン夫人”の小百合さんに興味を持って、さらに詳しく小百合さんの事を知ろうと やって来たのですよ。

そうかしら?

だってぇ、「軽井沢タリアセン夫人」のテーマの3ページ目に飛んできたのですよ。 1ページ目でもなく、2ページ目でもなく、3ページ目なのですよ。 その3ページ目に何があるのか? めぼしい物と言ったら、この上の軽井沢タリアセン夫人のスライド写真なのですよ。

そうでしょうか? でも、たとえ そうだとしても、“愛の写真”というのは デンマンさんの思い込みですわ。

うん、うん、うん。。。 そうかもしれません。。。 でもねぇ~、僕がこうしてアクセス解析のリストを見て、上の小百合さんのスライド写真に出くわした時に、なぜか次の写真が懐かしく思い出されたのですよ。


(daibuts85.jpg)



あらっ。。。 大仏様の前で撮ったツーショットですわねぇ~。。。



そうですよ。 次の記事の中に出てくる写真です。


(wp11013e.png)

『タリアセン夫人と再会』



。。。で、大仏様の前で撮ったツーショットをデンマンさんは“愛の写真”と呼ぶのですか?



そう呼んではいけませんか?

別に、そう呼んでも私は かまいませんけれど。。。、でも、この記事を読んでいるネット市民の皆様は きっと白(しら)けると思いますわァ~。。。

どうして白けるのですか?

だってぇ~、こういう写真は、家族旅行のビデオを見せられる時のように、見る者にとって、どうでもいいものだからですわァ~。。。 つまり、時間の無駄になるのがオチですわァ~。。。

解りました。。。 確かに、そういうことってありますからねぇ~。。。 僕も イヤイヤながら付き合いで 面白くもない家族旅行のビデオを見せられたことがありましたよ。 確かに、つまらなくて 時間の無駄でした。

要するに、大仏様の前で撮ったツーショットの写真を“軽井沢タリアセン夫人 愛の写真”と呼びたいので、デンマンさんは こうして記事に取り上げたのですか?

いや。。。 違いますよ。 そうだとすると、小百合さんが言ったように白けてしまって、他のブログへ飛んでしまう人が出てきますからねぇ~。。。

じゃあ、他に何が言いたくて大仏様の前で撮ったツーショットの写真を持ち出してきたのですか?

あのねぇ~、夕べ本を読んでいたら次の箇所にぶち当たったのですよ。


大露仏と毘沙門堂


(bishamon2.jpg)

行田で唯一つの露坐の大仏で、「丈六の仏」といわれていたが、昭和19年、鉄の供出を強調され、大仏と半跏(片足だけくみ、片足は下におろす)の地蔵と金鐘とを戦争の為に、供出してしまった。
せめて、この大仏だけは、行田町の文化財として出したくはなかった。
『忍名所図会』には座像高さ“1丈2尺余”と書いてある。
今もその台石は残っているが、その上に1丈2尺の大仏であるから、子供心にすごく大きいものだと思った。

この大仏の由来について、何らの手がかりがないので、大長寺に何か記録がないかと探して貰ったが、住職が替わったばかりで、なんらの引き継ぎもなかった由である。
不思議なことには『忍名所図会』『北武八志』その他にも、何ら建立由来がない。
大仏に後背銘があったように覚えているが、今では致し方ない。
せめて拓本しておいて貰いたかった。
『忍名所図会』に「浄土宗沙門信阿和奉納す」とある。

大仏の後方、東に、西方を向いて、彫刻の沢山あった毘沙門堂があった。
昭和40年代、国道拡張の折、移築を余儀なくされた。
しかし、そのまま移転することもできないほどの荒廃で、戦中、戦後、乞食の棲家になって、失火しなかったのがせめてもの幸せという位、所々がこげていて、廃屋そのものであった。
教育委員会と交渉し、ついに取り壊し以外ない事になり、その彫刻をいかし、浅草の古物商(百万弗)に売却し、今は、奥日光の金精峠に、そのおもかげを留めている。

そもそもこの毘沙門堂は、藩主阿部豊後守忠秋が、念珠仏毘沙門天を江戸屋敷より移し、立派なお堂を菩提寺大長寺に建立寄進した。
像高37糎の毘沙門天である。

 (中略)

この毘沙門堂は寛文7年(1667年)の建立なので、京都出雲寺の最澄の作った毘沙門天を江戸に移し、寛文年代、法親王が住持となり、毘沙門堂門跡というようになったという事が記録にあるから、筆頭老中が阿部忠秋であるから、時代が合うので、その故事にゆかりある毘沙門の分身ではなかろうか。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




20-22ページ 『行田史跡物語』
著者: 大澤俊吉
1979(昭和54)年12月20日 初版発行
発行所: 歴史図書社



 (すぐ下のページへ続く)




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