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愛の罰(PART 2 OF 3)

2009-07-26 04:46:10 | 病める日本・高齢化社会


  
愛の罰(PART 2 OF 3)



この本を書いた萱野さんは、どういう方なのでござ~♪~ますか?



萱野茂さんは1926年にアイヌ人として生を受けたのですよう。1994年から1998年まで参議院議員でした。多くの仕事を経験した後、アイヌの民具や民話の収集に力を注ぎ、二風谷(にぶたに)文化資料館を開設したのです。現在は、同館館長として、自然と人間は共生するもんであると言う事を広めながら、アイヌ文化を保存しているのですよう。

そう言えば。。。、かつてデンマンさんは萱野さんのお名前は出しませんでしたけれど、アイヌの方が1994年に国会議員になられたと、どこかで紹介していましたよねぇ~?

卑弥子さんは良~♪~く覚えていますねぇ~。。。さすが京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義している准教授だけのことはありますねぇ~。

デンマンさん!。。。んも~~。。。こういう所で、また、あたくしの職業を持ち出さないでくださいましなァ~。

いいじゃありませんか!。。。僕は改めて卑弥子さんの社会的・学究的なアンテナの広さに感心しているのですよう。

デンマンさんはあたくしをからかっているのでござ~♪~ますか?

いや。。。マジで褒(ほ)めているのですよう。。。それでこそ『小百合物語』のホステス役ですよう。。。せっかく卑弥子さんが僕の記憶を甦(よみがえ)らせてくれたので、長くなるけれど、その部分を書き出しますよう。

 
日本人は古代ミノア人と同じように

戦争をしない民族だった。

ところが僕を含めて多くの日本人の祖先である

大陸から渡って来た人たちによって

戦争が始まった!

 
日本人というのは、分かり易く言えば現在の日本人(あなたや僕)の祖先と言うよりアイヌ人の祖先の事です。縄文人です。
古代日本史には“蝦夷(えみし:えぞ)”として登場しています。
『日本書紀』には“野蛮な悪い人間たち”と書かれています。

太平洋戦争中、アメリカ人とイギリス人のことを“鬼畜米英”と言って蔑(さげす)み敵対していましたが、あれと全く同じ事です。
『日本書紀』の中で“蝦夷征伐”のためのキャンペーンをやっているようなものです。
「蝦夷討伐を正当化するためならば、手段を選ぶな。なんでもいいから、蝦夷を悪者にしたてあげろ!」
そういう六韜の精神なんです。
六韜がどういう書物か、もし、よく分からないのでしたら、次の記事を読んでください。



■ 『マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?』


裏を返せば、蝦夷と呼ばれる人たちは、日本書紀が記述しているほど、悪い人たちではなかったということです。
アイヌ人は、もともと好戦的ではなかった民族です。
戦乱を避けて、大陸の端までたどり着いたわけですから、もともと、町を、大陸的な分厚い城壁で囲むというような習慣を持たなかった民族です。

したがって、この人たちが、万里の長城を見たとしたら、驚くよりも、あきれ返ってしまうでしょう。
「何であんな長い無用の長物を作ったのだろうか」と。。。

このアイヌ人は、とにかく、戦乱や、争いというものを非常に嫌っていた。
だから、しいて戦いを選ぶよりも、争いのない土地へ移って行くという方法を採ったわけです。
しかも、大きな集団を作らずに、せいぜい村というような単位で生活していたようです。
だから、中国の町に見るように、馬鹿でかい城壁などというものを作る気持ちなど、ハナからありません。
それよりも、「みんな仲良くして、お互いに干渉しないで暮らそうじゃないか」、というような人たちです。

このような気質の民族であるがために、現在見るように、25,000人という少数民族になってしまったわけです。
アイヌ人のうちで順応性のある人たちは、もう遠い昔に、日本人に同化していました。
そういうわけで、昔ながらの生活様式に固執する人は、だんだんと少なくなってゆく。
信じられないかもしれませんが、アイヌ人は話し言葉を持っていても、書き言葉を持ちません。



ユーカラ(yukar)というのをご存知でしょうか?
アイヌに伝わる長編の民族叙事詩です。
神々や英雄に関する物語で、これに簡単な旋律をつけて歌うものです。
しかし、このようなユーカラが、広く日本人に知られるようになったのは、明治になってからのことです。
日本へやってきたアメリカ人や、ヨーロッパ人が、北海道へ行き、日本人とは違う民族が生活していることに気づいて、アイヌの文化を研究するようになったのが始まりです。

したがって、アイヌ人は、明治になってから日本語や、英語を使ってユーカラを書き残すようになったわけです。
しかし本当に、アイヌ人の文化や人権が認められるようになったのは、もうごく最近のことです。
Barbara Aoki Poissonという日系アメリカ人の書いた “First Peoples The Ainu of Japan” を読むと、1979年には、アイヌ語を話せる人が、たったの10人程度だったそうです。
やっと、アイヌ文化に興味を持つ人が現れてアイヌ語がまた息を吹き返してきたということが書かれています。
1994年に初めてアイヌ人の中から国会議員がでました。アイヌ進歩法ができたのが1997年です。

遅まきながら、日本政府がやっと腰を上げて、アイヌ人を、またアイヌ文化を保護しようとし始めたわけです。
したがって、これまで、アイヌ人がいかに不当な扱いをされてきたかということが、よく分かると思います。
歴史に残る、その最古の具体例が、上に書いた日本書紀の記述です。

つまり早い話が、平和に暮らしていたアメリカインディアンを英国やヨーロッパから移住してきた人たちが西へ西へと追いやったように、古代日本では、我々、現代日本人の好戦的な祖先が大陸からやって来て、蝦夷と呼ばれたアイヌ人の祖先たちを東北へ、そして北海道へと追いやってしまったわけです。

しかし、大和朝廷の不当な扱いに対して、立ち上がったアイヌ人がいないわけではなかったのです。
興味のある人は次の記事を読んでください。

■ 『平和を愛したアイヌ人』

戦争は馬鹿ばかしいモノだと言う事を古代ミノア人はちゃんと知っていた。
だから、1200年間戦争をしなかった。
アイヌ人の祖先の蝦夷も戦争する事が馬鹿馬鹿しい事だと常識として知っていた。
だから馬鹿らしい戦争はしなかった。
その証拠に蝦夷は城壁を作らなかった。

今から2000年前の話です。小競合(こぜりあ)いはあっても大きな戦争はなかった。
当時、すでに戦争に明け暮れていた古代ギリシャ文明・古代ローマ文明の悪癖をもろに受けていた中国人のグループが、蝦夷が住んでいた小さな島を訪ねてびっくりした。
そのことが、ちゃんと『魏志倭人伝』に書いてあります。

 
「あなたの国はノー天気な人ばかりがいるのですね」

「また、どうしてそう思われるのですか?」

「だってね、城壁のない町なんて中国のどこを見渡しても、いや、世界のどこを見渡してもありませんよ」

「城壁がないとまずいのですか?」

「だって、あなた、城壁がなければ、どうぞ私の町を略奪してくださいと言っているようなものじゃありませんか?」




この会話は、僕が魏志倭人伝に基づいて創作したのですが、おそらく、僕がその当時この小さな島国で生きていたら、使者は僕に向かってそう言ったでしょうね。
それほど、無防備で生活していた平和な民族が東洋の片隅に住んでいたのです。

そのあと、続々と好戦的な我々現代日本人の祖先が大陸からやって来た!
そして蝦夷を東北へ追いやってしまった。
その民族は今どこへ行ったの?
北海道の北の片隅に追いやられて2万人とも3万人とも言われる古代日本人の末裔が今でも暮らしていますよ。

技術の進歩はこの500年の間に目覚しい発展を遂げました!
しかし、人類の心の進化は5000年の間、カタツムリのように遅いんですよね!
技術の蓄積はできるんですね。
だから、現代人はニュートンの万有引力の法則から、アインシュタインが相対性理論を発展させ、
月にロケットを飛ばす事ができた。

ところが“心の進化”は“技術の進化”のようなわけには行かない!
なぜなら、人間は生まれると、一から“心を磨かねばならない”
“善意”や“知性”や“理性”の蓄積が極めて難しい。
なぜなら、“科学技術”のように明確に定義され法則化されていないからです。

僕はコンピュータを大学の工学部で専攻したのだけれど、アインシュタインの相対性理論を理解して、火星にロケットを飛ばせと言われてもできるわけがない。
あなたも、僕もアインシュタインではないのだから!



しかし、火星にロケットを飛ばすには、一人のアインシュタインと100人の優秀な技術者と科学者が居れば充分です。

ところが、戦争を止めさせるには、一人のアインシュタインと100人の優秀な技術者と科学者が居てもダメですよね。
なぜなら、国会議事堂に居る駄目な政治家も“戦争がなくならない”と思っている。
この現代文明に生きる人の多くが“戦争がなくならない”と思い込んでいる。
つまり、戦争に明け暮れていた古代ギリシャ文明・古代ローマ文明の悪習を引きずっている!
だから、戦争がなくならない!

ところが、アインシュタインほど頭が良くないデンマンでも、歴史を勉強すれば、“戦争はなくす事ができる”と言う事を充分に理解できる。
実際、過去に、戦争をしなかったミノア文明(紀元前2600年頃から紀元前1400年頃)が存在していたのです。
この1200年間は戦争がなかった。

また、アイヌ人の祖先だって、世界的に見ても驚異だけれど、城壁のない集落で生活していた。
古代中国人が日本を訪れてビックリした!
おそらく、古代ギリシャ人やローマ人が訪れたってビックリしたでしょう!

あれだけすばらしい文明を築いたけれども、戦争を避ける事を知らなかった古代エジプト人は、古代ギリシャ人も古代ローマ人もヒッタイト人も古代ユダヤ人も古代ペルシャ人も、。。。その他ありとあらゆる人種を自分たちより程度の低い人種だと思っていた。
しかし唯一つ例外がありました。ミノア人(古代クレタ人)だけは尊敬していたと言う事が歴史的に実証されています。



ここで僕が言いたいのは、“心の進化”は遅いと言う事ですよ。
というより、ミノア文明が当時の野蛮人である古代ギリシャ人に滅ぼされて以来、“心の文化”は退化してしまった!
それから、3400年余り、心の進化はカタツムリのように遅かった!

要するに、1200年間戦争のなかったミノア文明の“心の遺産”は現代人には受け継がれていないと言う事ですね。




『戦争を無くす事はできますよね。(2006年6月15日)』より


アイヌの皆様方は本当に平和を愛する人々なのでござ~♪~ますか?

僕はアイヌの人々とは残念ながら直接の交流を持ったことがないのだけれど、萱野さんの本を読むだけでも平和を愛する民族だということが良く分かりますよう。

たとえば。。。?

次のよなことも書いてありました。

 
天から役目なしに降ろされたものは一つもない

スズメが穀物を食い荒らすのを防ごうと、毛沢東の命令により国内でいっせいにスズメ退治をしたところ、次の年から虫害のほうがスズメの害より多くなったというのである。
それで、スズメ退治は毛沢東の失策の一つに数えられているとか。

私たちアイヌ民族の間でこのたぐいの話をどのように見、どのようにいうのかというと、「天から役目なしに降ろされたものは一つもない」というのである。
例をあげると、ネズミが木の根元をかじって木を枯らすのは間伐の役目。
しかも、枯れた木に虫がつき、その虫で鳥がヒナを育てる。
鳥が助かり、山も明るくなるわけである。
また、小鳥が木の実や草の実を食べ、はるか遠くまで飛んで糞をするのは種運びの役目。
リスがドングリを土に埋めて忘れた分は春に芽を出し、それがやがてナラ林になるとその実が熊の食べ物になる。

過って食べたら死んでしまうトリカブトも、アイヌにとっては矢毒に用いる大切な草である。
湧き水にいるウォルンペ(ノミのような小さな虫)は一匹飲んでも腹痛を起こすというが、これもトリカブトに混ぜて矢毒にする。

カラスは山の掃除屋でどんなものの屍骸でも食べてくれ、アイヌの狩人に獲物のいる場所の上を旋回しながら、ここだよ、ここだよ、といわんばかりに教えてくれる。

イパコカリプ(人にまとわりつくもの)というヤマゴボウの毬(いが)のように、自らの力で遠くへ行けない草の実や木の実は、人間やさまざまな動物の体にまとわりついて遠くへ運ばれる。
まさに自然と人間は共生するものであることを、現代に生きる私たちは忘れていないだろうか。
もう一度アイヌの心をくり返そう。
天から役目なしに降ろされたものは一つもない、と。




228-230ページ アイヌ歳時記 【二風谷(にぶたに)のくらしと心】
著者・萱野茂 2000年8月21日 初版第一刷発行
発行所・株式会社 平凡社


 (すぐ下のページへ続く)


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