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バサラ

2020-05-04 00:37:04 | 日本人・日本文化・文学論・日本語


 

バサラ

 


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デンマンさん。。。 今日は 女子プロレスのお話でござ〜ますかァ~?


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。。。ん? 女子プロレス?

そうですわァ〜。。。 この記事の冒頭に女子プロレスのイラストが出ているではありませんか!

でも、バサラと女子プロレスが、どのように関係しているのですか?

あらっ。。。 デンマンさんは羽沙羅(バサラ)というリングネームで活躍した女子プロレスラーの奥田朱理さんを知らないのですか?

 


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たぶん彼女が活躍していたのは、僕がバンクーバーで暮らしていた頃だと思うのですよ。。。 だから、知りません。。。



。。。ということは、今日は女子プロレスの話題ではないのですわねぇ〜。。。

違います。。。 卑弥子さんが女子プロレスのファンだったとは知りませんでした。

だったら、少女マンガについて語り合うのでござ〜ますかァ〜?

。。。ん? バサラと少女マンガが関係あるのですか?

ありますわよう。。。 1990年から1998年まで『別冊少女コミック』でBASARA (バサラ)というマンガを連載していた田村由美さんをデンマンさんがご存知ないのですかァ〜?

 


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その頃、僕はすでにバンクーバーで暮らしていたので残念ながら知りません。。。卑弥子さんは1990年代には『別冊少女コミック』にハマっていたのですか?



別にハマっていたわけでがござ〜ませんけれど、少女コミックはミーちゃん、ハーちゃんの間では、かなりもてはやされていたのですわァ〜。

そうでしたか。。。知りませんでした。。。

じゃあ、いったいどのバサラについてお話になるのでござ〜ますか?

あのねぇ〜、バンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。。。

 



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バサラ大名、佐々木道誉

 

鎌倉幕府が滅亡した後、後醍醐天皇による建武の中興があり、さらに足利尊氏が幕府を開いたものの、南北朝の動乱はしばらくつづいていく。
この動乱期にあって多量の唐物をもって、みずからの存在を際立てたのが、バサラ大名とよばれる佐々木道誉(どうよ)であった。

佐々木道誉はもともと佐々木高氏(たかうじ)といい、鎌倉幕府に使えた御家人であったが、執権北条高時とともに出家して、その法名が道誉である。

ところが後醍醐天皇の宣旨を受けて足利尊氏に倒幕を勧めたかと思うと、やがて尊氏の幕府創立に尽力するなど、時流を読んだ政界遊泳術もたくみであった。
動乱期を生き抜き、当時としては珍しく78歳まで生きて、天寿をまっとうした。

 (中略)

道誉の贅沢ぶりはじつにたいしたもので、康安元年(1361)の七夕、都の京極の邸に唐物の茶道具を多くそろえ、七菜のご馳走を用意し、700種もの商品を積み、70服の本茶・非茶を飲み比べるという大闘茶会を催して、執権の細川清氏(きようじ)の恨みを買っている。

また同じ年、道誉は南朝方に攻められ、屋敷を捨てて都落ちする際に、集めた唐物で屋敷の会所・書院・寝所をきらびやかに飾り立てた。 (略)

さらに道誉は、鳥・兎・雁・白鳥、堅田(かただ)の鮒、淀の鯉などの酒肴と酒をたっぷり用意し、伽の僧たちに入ってきた者には酒をふるまうように言い渡して立ち去った。

後から来た楠木正儀(まさのり)は、道誉の振舞のみごとさに感じ入って、邸を焼き払うこともなかったという。

邸内を自分の集めた唐物で飾り立てるのは、邸を明けわたす相手への礼儀であり贈り物でもあろう。
バサラ大名の面目躍如というべきか。

 

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




(126-129ページ)
『唐物の文化史 舶来品からみた日本』
著者: 河添房江
2014年3月20日 第1刷発行
発行所: 株式会社 岩波書店


 



あらっ。。。 バサラ大名のことですかァ〜?



そうです。。。卑弥子さんは、マジでつまらなさそうに鼻の穴を膨らませていますねぇ〜?

多くのネット市民の皆様も、「バサラ大名」と聞いったとたんに他のブログへ飛んでしまったと思いますわ。

 



 

ばさら

 


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ばさらは、日本の中世、主に南北朝時代の社会風潮や文化的流行をあらわす言葉であり、実際に当時の流行語として用いられた。婆娑羅など幾つかの漢字表記がある。

身分秩序を無視して実力主義的であり、公家や天皇といった名ばかりの時の権威を軽んじて嘲笑・反撥し、奢侈で派手な振る舞いや、粋で華美な服装を好む美意識である。

室町時代初期(南北朝時代)に流行し、後の戦国時代における下克上の風潮の萌芽ともなった。

ただし戦国時代の頃になると、史料には「うつけ」や「カブキ」は出てくるが、「婆娑羅」およびそれに類する表現は全くと言っていいほどなくなった。

足利直義(将軍尊氏の弟)主導の下、室町幕府の基本方針として編まれた『建武式目』では、ばさらを禁じている。

『太平記』には、源氏足利将軍執事で守護大名の高師直や、近江国守護大名の佐々木道誉(高氏)、美濃国守護大名の土岐頼遠などのばさら的な言動や行動が記されている。

これらの大名は「ばさら大名」と呼称され、ばさらの代表格とされている(師直や頼遠は建武式目を主導した直義と後に対立する)。

『太平記』はばさらに対して否定的な記述をしており、ばさらが原因で国が乱れると断じる一方で、前述の高師直・佐々木道誉・土岐頼遠をはじめとするばさら大名達の豪奢な生活、実力行使や傍若無人な振る舞い等は詳しく描かれており、これらのばさら大名は合戦でも活躍し、戦にも強かった。

 

語源

語源は、梵語(サンスクリット語)で「vajra (伐折羅、バジャラ)= 金剛石(ダイヤモンド)」を意味する。

平安時代には雅楽・舞楽の分野で、伝統的な奏法を打ち破る自由な演奏を婆娑羅と称するようになった。
これは「ダイヤモンドのような硬さで常識を打ち破る」というイメージが仮託されたものである。

さらに鎌倉時代末期以降、体制に反逆する悪党と呼ばれた人々の形式や常識から逸脱して奔放で人目を引く振る舞いや、派手な姿格好で身分の上下に遠慮せず好き勝手に振舞う者達を指すようになり、以降この意味で定着する。

ただし、意味の転訛は不明であるともされ、こうした通説には異説もある。
そもそも「バジャラ」の濁音「ジャ」から清音「サ」へ音が変化するのは不自然であり、「婆娑」という言葉が語源で、接尾語の「ら」が付いたものと考えられる。

「婆娑」の意味は「舞う人の衣服の袖が美しくひるがえるさま。また、舞いめぐるさま」、あるいは「さまよいめぐるさま。徘徊するさま」(日本国語大辞典)である。

先述の『太平記』での記述も、足利方の武士たちが派手な出で立ちで傍若無人に「徘徊(婆娑)」する様を、公家の舞楽用語である「婆娑羅」を用いて自称したと取れる。

しかし、『太平記』の記述はその後の婆娑羅の意味を決定づけるものだった。

婆娑羅は、本来の徘徊の意味ではなく、それに付随した「派手さ」が本義であると理解される素地ができ、安土桃山時代にはかぶき者と重ね合わされ、粗忽な乱暴者の振る舞いとして婆娑羅は解釈し直されたと考えられる。




出典: 「ばさら」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



弥子さんは京都の女子大学で腐女子たちに「日本文化と源氏物語」を講義しているのでしょう?。。。



そうですわ。。。

だったら、平安時代から少しだけ時代は下るけれど、鎌倉時代から室町時代に活躍したバサラ大名にも興味があるでしょう?

あたくしは平安時代が専門でご〜ざますゥ。。。

でも、日本文化についても教えているのだから、当然、鎌倉時代や室町時代の文化についても知っているべきですよ。。。その点で、バサラ大名の佐々木道誉の存在は卑弥子さんにとっても興味深いと思うのですよ。

例えば、どのような点でですか?

あのねぇ〜、『源氏物語』は卑弥子さんも知ってのとおり、平安文化を代表するような作品ですよ。。。その中には「もののあわれ」だとか、「粋(いき)」だとか、その後の日本の文化に大きな影響を与えている。

そのとおりですわ。。。

バサラ大名である佐々木道誉も「もののあわれ」だとか、「粋(いき)」だとかを理解していたように見える。。。

例えば、どのように。。。?

例えば、佐々木道誉と同時代の人物に赤松満祐という武将が居たのです。

 




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赤松満祐

(1381−1441年)

 

将軍足利義教とは当初良好な関係であり、宿老の1人として義教の諮問に応じたり、義教の邸宅訪問を受けたり、永享10年(1438年)11月に3度目の侍所頭人を任されるなど幕府内の長老格として権勢を振るう。

やがて義教は有力大名を誅殺しだすと、永享10年3月には家臣3名が義教によって殺害され(『看聞御記』3月15日条)、永享12年(1440年)3月17日に弟の義雅の領土が没収されて一部が遠縁の赤松貞村(持貞の甥)に与えられた。

赤松満祐も領地を没収されて貞村に与えられると言う風聞が起こるなど、次第に対立の色を深めていった。

 

将軍暗殺

将軍足利義教は満祐に限らず有力守護大名家に介入し、管領の斯波氏や畠山氏の他に京極氏、土岐氏、一色氏ら四職にも介入した。

永享12年(1440年)5月15日には丹後・若狭・三河・山城の四か国守護兼尾張知多郡分郡守護の一色義貫を、翌16日には伊勢守護土岐持頼を相次いで暗殺し、家督と守護職を没収してその一族や他の大名に分け与えるという強硬策に出たため、満祐は不安を次第に強めていった。

9月22日にはついに侍所別当の職を罷免させられたため、幕府への出仕もしなくなった。
このため、義教と満祐の対立が先鋭化し、不穏な噂も絶えなかったという。

嘉吉元年(1441年)6月18日、加賀守護富樫教家は突如として義教の勘気を蒙り守護を解任され、加賀守護は僧になっていた弟の富樫泰高に与えられた。それからわずか6日後の6月24日、満祐は結城合戦の祝勝会と称して義教を自邸に招き、嫡子の教康と弟の則繁に命じて義教を暗殺した(嘉吉の乱)。

 

最期

その後は京都における赤松一族の屋敷を焼き、赤松満祐は領地の播磨へ逃れて足利直冬の孫とされる足利義尊を新将軍に奉じて対立する。

しかし『赤松盛衰記』では赤松家中内部でさえ義尊擁立には必ずしも賛成していなかったことを示している。同書では義尊を迎え入れた後、満祐は義尊を利用して味方を増やそうとした一方で、東坂本の定願寺で酒宴・猿楽・連歌・詩歌・管弦・芸能など遊興の限りを尽くすのを黙認したとされている。

満祐はあくまで義尊を傀儡として利用したのであり、武将として陣頭に立つ事は期待していなかったとされている。

幕府の持之は細川持常、山名持豊(宗全)、赤松貞村らをはじめ、西国の河野氏や吉川氏などを動員して赤松領に侵攻させた。

教康・則繁らの善戦で一時は幕府軍を圧倒したが、赤松討伐の綸旨が出されて満祐は朝敵とされ、播磨だけでなく美作・備前などにも山名軍など諸軍が攻め寄せて赤松家を裏切りあるいは敗北したため、満祐は防御力のほとんどない居城の坂本城から山城の城山城(現・兵庫県たつの市)に籠もった。

強力な独裁者・足利義教を突如失っただけでなく、義教の遺児がいずれも幼少だったことから大混乱した幕府では当面の間、赤松討伐どころでは無くなった。かたや満祐は幕府からの討伐軍が派遣されるまで2ヶ月もの間、播磨など領有3カ国を保持し時間的余裕があったにも関わらず、上洛して倒幕しようとすらしなかった。

これは義教の没後には、生前に家督問題で介入されていた諸大名家で再び内紛が起こり、こちらが擁立した足利直冬の孫の御教書に応じて幕府に謀反する大名が多いと満祐が過信していたためという。

しかも、その目算を確実にするような諸大名家への積極的な工作すら行わず、書写山の東坂本にあった定願寺で日夜酒宴や猿楽芸能を尽くして遊び呆けていたという(『赤松盛衰記』)。

おかげで幕府軍に追討の準備を整える機会を与えただけでなく、惣領家と庶流家で分裂し赤松の一門すら結束させられなかった。そのため幕府軍と衝突して半月で勝負がついたのも、悪評高い将軍を暗殺したのだから自分に同情して味方してくれる者もいると満祐が安易に考えていたためという。

やがて幕府軍に攻められ、教康や則繁らを逃がしたあとの9月10日に一族69名と切腹自殺する。

 

人物・逸話

満祐はその背丈の低さから父と共に三尺入道などと呼ばれていたことから低身長症(軟骨無形成症・身長が120cm程)だった可能性もある。またそのコンプレックスゆえに、足利義持・足利義教と2代に渡って将軍に反抗したのではないかとの説もある。

江戸時代に身分制度が固まった封建制の下で、満祐は「逆臣伝」(『野史』)で扱われている。
ただし満祐こそが「真の下克上時代」を切り開いた人物という評価もある。

満祐は性格が傲岸不遜、横柄で気性が激しかったという。これには多くの逸話もある。




出典: 「赤松満祐」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



あらっ。。。将軍を暗殺したのですわねぇ〜。。。



そうです。。。 そういうわけで、歴史的には赤松満祐こそが「真の下剋上時代」を切り開いたという歴史家も居るのですよ。

。。。で、どういうわけで赤松満祐を取り上げたのでござ〜ますか?

佐々木道誉も赤松満祐も同時代を生きた、いわば「ばさら」的な人物なのですよ。。。つまり、体制に反逆する悪党と呼ばれた人々のように、常識から逸脱して奔放で人目を引く振る舞いや、派手な姿格好で身分の上下に遠慮せず好き勝手に振舞うのです。。。ただし、一つだけ大きな違いがある。。。

それは何でござ〜ますか?

佐々木道誉は屋敷を捨てて都落ちする際に、集めた唐物で屋敷の会所・書院・寝所をきらびやまに飾り立てたのですよ。。。さらに道誉は、鳥・兎・雁・白鳥、堅田(かただ)の鮒、淀の鯉などの酒肴と酒をたっぷり用意し、伽の僧たちに入ってきた者には酒をふるまうように言い渡して立ち去った。

敵に対して、そのような心遣いまでするとは、ちょっと信じがたいですわねぇ〜。。。

そうですよ。。。だから、敵として後から来た楠木正儀(まさのり)は、道誉の振舞のみごとさに感じ入って、邸を焼き払わなかたのですよ。。。

つまり、楠木正儀は「敵ながら あっぱれ」と感じいったのですわねぇ〜。。。

そういうことです。。。それに対して赤松満祐は、将軍足利義教を暗殺したあと、京都における赤松一族の屋敷を焼き、自分の領地である播磨へ逃げていったわけです。

ふたりとも「ばさら」的な人物でありながら、礼儀や「粋(いき)」な取り計らいに違いがあるということでござ〜ますわねぇ〜。。。

そういうことです。。。邸内を自分の集めた唐物で飾り立てるのは、邸を明けわたす相手への礼儀であり贈り物だというわけですよ。

つまり、そこに真のバサラ大名と、「バサラ大名もどき」の違いがあるというわけですわねぇ〜。。。

そのとおりです。。。



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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ〜。。。

あなたもバサラ大名の心遣いは素晴らしいことだと思いましたか?

ええっ。。。 「そんな事は、どうでもいいから、もっと他に面白い話をしろ!」

あなたは、そのように あたくしにご命令なさるのでござ~ますか?

いけすかないお方ァ~。。。

分かりましたわ。

じゃあ、話題を変えて 天の川の不思議に迫るクリップを お目にかけますわ。。。

 


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どうでした?

ええっ。。。 「夜眠れなくなるから、そういう動画は見せるな! 気分直しに何か他に もっと面白いことを話せ!」

あなたは、あたくしに向かって、更にご命令なさるのでござ~ますか?

いけすかないお方ァ~。。。!

分かりましたわァ。。。 あなたが、そうおっしゃるのだったら、まずジューンさんの次の写真をご覧になってくださいまし。。。

 


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千夜一夜物語の衣装を着たジューンさんに魅せられて、女性に成りすます男性が たくさん居るのでござ~ますわァ!

ええっ。。。 信じられないのですかァ?

じゃあ、ちょっと次のYouTubeのクリップを見てくださいまし。。。

 


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いかがでござ~ますかァ~?

男性が女装していると思いますかァ?

あたくしは、素直に信じることができませんわァ~。。。

どうですかァ~? けっこうなものでしょう!?

いつまでも見とれていても仕方がありませんわよゥ。

あなたのために古代史の面白い記事を用意しました。

ぜひ お読みください。

では。。。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。


天智天皇は暗殺された


定慧出生の秘密


藤原鎌足と長男・定慧


渡来人とアイヌ人の連合王国


なぜ、蝦夷という名前なの?


平和を愛したアイヌ人


藤原鎌足と六韜


古事記より古い書物が


どうして残っていないの?



今、日本に住んでいる人は


日本人でないの?



マキアベリもビックリ、


藤原氏のバイブルとは?



とにかく、次回も興味深い記事が続きます。


だから、あなたも、また読みに戻ってきてください。


じゃあ、またねぇ~。。。



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ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
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『センスあるランジェリー』




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ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。


卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。






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『麻生元総理』


『ネットのバカ女を捜して』


『額田王の歌』


『聖女と娼婦』


『済子女王@萌える』


『ん?堀内亜里?』


『松平春嶽が黒幕?』


『旅行者的早餐』


『なぜ蝦夷なの?』


『プリキュアとヒトラー』


『戦争絶対反対よね』


『怨霊の歴史』


『色欲@歴史』


『紫式部と敗戦』


『ラピスラズリと源氏物語』



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『性と愛@古代史』


『仙台を離れて』


『美人とブス@大奥』


『絵の中のウソ』


『阿倍仲麻呂@ベトナム』


『バイクガール』


『六条御息所』


『卑弥子さんの大学』


『元寇と捕虜』


『マキアベリにビックリ』


『痴漢が心配』


『びた一文』


『卑弥子@ブカレスト』


『エロい源氏を探して』


『ラピスラズリの舟形杯』


『平成の紫式部』


『隠元豆と国性爺合戦』


『おばさんと呼ばれて』



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『女帝の平和』


『アタマにくる一言』


『悪女レオタード@昌原市』


『スウィートビーン』


『ガチで浦島太郎やし』


『ご苦労さま』


『デンマンのはなし』


『卑弥呼の墓』


『室生犀星と人間学』


『松平春嶽ダントツ』


『英語は3語で伝わる』


『くだらない物』


『漢字で体操』


『面白い漢字テスト』



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『日本のエロい文化』


『女のオナラ』


『紫式部と宮本武蔵』


『頼朝の死の謎』


『パンツと戦争』


『海外美女 新着記事』


『日本語を作った男』


『江戸の敵を長崎で』


『芸術は尻だ』


『尻の芸術』


『左翼的な下着』


『エロい源氏』


『ネット市民は見ている』



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『朝妻船』


『阿修羅を探して』


『羅漢と良寛』


『源氏エロ』


『元寇船』


『ハマガソ』


『歴史ロマン@バンコク』


『平安のキス』


『大久保独裁政権』


『愛情ゲットの呪術』


『源氏物語とおばさん』


『たこつぼ探し』

『光源氏の弟』

『勝負服』



軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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