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欧米を敵に回す(PART 1)

2018-06-20 11:11:08 | 塩野七生批判
 

欧米を敵に回す(PART 1)

 


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ケイトー。。。、どういうわけで、急に欧米を敵に回すというような物騒なタイトルを付けたわけぇ~?


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あのねぇ~、実は、バンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。。。


欧米を敵にまわしてはいけない


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「一方、インドネシアや中国など日本軍の

占領下にあった地域では、

兵士が現地の女性を無理やり連行し、

慰安婦にしたことを示す供述が、

連合国の戦犯裁判などの資料に記されている。

インドネシアでは現地のオランダ人も

慰安婦にされた



 

私の頭の危険信号が点滅し始めたのは、欧米がこの慰安婦問題を突いてくるとすればこの箇所だ、と思ったからである。
「インドネシアでは現地のオランダ人も慰安婦にされた」と記された箇所である。

当時のインドネシアは長年にわたってオランダの植民地であったから、オランダ人を主として欧米の女や子供たちも住んでいたのである。

半世紀にもなるヨーロッパでの生活で、苦い現実でも直視することを私は学んだ。
欧米人の多くには、口に出して言える考えと、口に出しては言えないが胸の内では持っている思い、の二つがあることを学んだのである。

建前と本音、とするのでは少し違う。
原理原則である建前に対してわれわれは、少しばかり距離を置くのに慣れているのだが、欧米人とはしばしば、建前と本音の双方ともを心から信じる人種でもある。

だからこの二者のちがいは彼らにとって、口に出して言うか言わないか、にしかない。

それで、口に出して言える考えとは、彼らにとっては何か、だが、人道的に許せない、とか、異なる宗教を信じている人も認めるべき、とかである。

一方、口には出せないが胸の中では持っている想いとは、キリスト教徒、それも女子供が迫害されるのは許せない、であり、さらにこの人々が白人種であればなおさら許せない、である。

前者を知るには政府の公式発表や記者会見やマスコミの論調で充分だが、後者まで知りたければ、ネット上の意見なりフリーの作家やジャーナリストの記事まで追う必要がある。

 (中略)

われわれ日本人にとって、欧米を敵にまわすのは賢いやり方ではない。
オランダ人の女も慰安婦にされたなどという話が広まろうものなら、日本にとっては大変なことになる。
そうなる前に、早急に手を打つ必要がある。

 

「朝日新聞の“告白”を越えて」
(『文藝春秋』2014年10月号)
塩野七生 (作家・在イタリア)

 

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)





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212-214 ページ
『「従軍慰安婦」 朝日新聞 vs.文藝春秋』
編者: 文藝春秋
2014(平成26)年10月20日 第1刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋




塩野七生さんが書いた この箇所を読んで、ケイトーはムカついたわけぇ~?



ムカついたと言うほどのことじゃないけれど、ムッとしたのですよ。。。

ムカついたのも、ムッとしたのも同じじゃないのォ~?

シルヴィーには、「ムカついたのも、ムッとしたのも同じ」に思えるんだァ~?

そうよ。。。 たいした違いがあるわけじゃないでしょう!?

だから、そこですよ!

どこよ。。。?

塩野さんは、次のように書いている。。。



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半世紀にもなるヨーロッパでの生活で、

苦い現実でも直視することを私は学んだ。

欧米人の多くには、口に出して言える考えと、

口に出しては言えないが

胸の内では持っている思い、

の二つがあることを学んだのである。





この塩野さんの言葉には誇大広告があるのですよ!



どこが誇大広告なの?

「半世紀にもなるヨーロッパでの生活」と書いてるけれど、実際には、「正味、25年から30年のイタリア生活」ですよ!


塩野七生 (ななみ)


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(1937年7月7日 - )

 

日本の歴史作家、小説家である。
名前の「七生」は、7月7日生まれであることに由来。

東京市滝野川区(現・東京都北区)生まれ。
東京都立日比谷高等学校、学習院大学文学部哲学科卒業。

1963年からイタリアで学び、1968年に帰国すると執筆を開始。
『中央公論』掲載の「ルネサンスの女たち」でデビュー。
担当編集者は塙嘉彦であった。

1970年には『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』で毎日出版文化賞を受賞。
同年から再びイタリアへ移り住む。

フィレンツェやローマに在住し、ローマ名誉市民を経てイタリア永住権を得ており、ローマに在住。

イタリア中心に、古代から近世に至る歴史小説を多数執筆。
またエッセイや時事批評、1970年代にはエンリコ・ベルリンゲルが進めたユーロコミュニズムで支持者を増やしていたイタリア共産党を批評する文章を書いているほか、後藤田正晴との対談なども行っている。

 

評価

一連の著作を通して、日本において古代ローマ史やイタリア史、イタリア文化に対する関心を高めたことは高く評価されており、2000年にはイタリア政府よりイタリア共和国功労勲章グランデ・ウッフィチャーレ章を受けた。

一方で、塩野の意思とは関係なく、著作が小説ではなく歴史書として受容される傾向が強いことはしばしば問題視されている。
坂口明は、『ローマ人の物語』が書店や図書館などにおいて「歴史書」として配置されていること、また学生や市民講座の受講者によって「歴史書」として読まれていることを指摘した。
坂口は『ローマ人の物語』について、根拠のない断定や重大な誤りがあることを指摘し、批判的な検証が必要であるとした。

小田中直樹は、南川高志の著作と『ローマ人の物語』の比較を通して、塩野の著作を「歴史書」として扱うことに問題があることを示した。
小田中は、「『ローマ人の物語』は、史料批判や先行研究の整理が不十分であり、歴史学の方法論に基づいていない」と指摘する。

そのため、小田中は「叙述の根拠が著者の感想にとどまっているため、歴史書ではなく歴史小説として読むべきだ」と述べている。

また、叙述に考古学的成果がほとんど用いられていない点を問題視する者もある。

なお、塩野は自らの著作を「歴史書である」と自称したことはない。

 

家族

父親は詩人・小学校教師の塩野筍三(1905年 - 1984年)で、神田神保町の古本屋から軒並み借金をするほどの読書好きであった。
フィレンツェ大学医学部に勤務していたイタリア人医師と結婚(後に離婚)。
息子アントニオ・シモーネとは共著がある。




出典: 「塩野七生」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




どう考えたって、「半世紀にもなるヨーロッパでの生活」と言ってもらっては困るのですよ!



確かに、経歴を見るとイタリアで生活しただけよねぇ~。。。

。。。でしょう? それにもかかわらず、欧米人の多くには、口に出して言える考えと、口に出しては言えないが胸の内では持っている思い、の二つがあることを学んだのである、と書いている。。。 正確には、イタリア人の多くには、口に出して言える考えと、口に出しては言えないが胸の内では持っている思い、の二つがあることを学んだのである、と書くべきですよ!

確かに、上の経歴を見る限り、そう書くべきかもねぇ~。。。

。。。でしょう!? 僕は北米とヨーロッパを含めて34カ国を放浪してますからね。。。、それに、カナダに移住して1979年にはカナダ市民権を取得しています。。。 塩野さんと同じかそれ以上に海外生活経験があると思っているのですよ。。。

。。。で、ケイトーは何が言いたいわけぇ~?

あのねぇ~、僕の経験では欧米人であろうが、東洋人であろうが、日本人であろうが、人種や性別に関係なく、口に出して言える考えと、口に出しては言えない(考えを)胸の内では持ってますよ!

うん、うん、うん。。。 私もインドネシアから、オランダ、バルト3国で暮らし、それからカナダに移住したけれど、確かにケイトーの言う事には納得するところがあるわよう。。。

。。。でしょう!? それに、欧米を敵にまわしてはいけないということは、じゃあ、アジアの国は敵に回してもいいのか?。。。ということになるのですよ!

つまり、塩野七生さんは、無意識のうちに「アジアの国々などは、重要視しなくてもよい、欧米に対しては、ことのほか気を使う必要がある」という考えがオツムに刷り込まれていると言いたいのねぇ~?

そういうことですよ! 韓国人であろうが、中国人であろうが、オランダ人であろうが、現地のインドネシア人であろうが、日本軍人の慰安婦として働かされたのなら、わけ隔てなく対応すべきなのですよ。。。


スマラン慰安所事件


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スマラン慰安所事件とは、日本軍占領中のオランダ領東インドで日本軍の軍令を無視した一部の日本軍人がオランダ人女性を監禁・強姦した事件のこと。
別名、白馬事件。オヘルネ事件とも。

1944年2月、南方軍管轄の第16軍幹部候補生隊が、オランダ人女性35人を民間人抑留所からスマランにあった慰安所に強制連行し強制売春させ強姦した容疑で、戦後、国際軍事裁判において当該軍人・軍属(請負業者)たちに有罪が宣告されている。

オランダ領東インドの軍事裁判の報告を調査した吉見義明によれば、以下のことが判明している。

■当時スマランには既に慰安所があったが、性病の蔓延から新たな慰安所の設置が計画された。慰安所設置を要請された幹部候補生隊長は、慰安所には自由意思の者だけ雇うようにというジャカルタの第16軍司令部のガイドラインを無視した。 ガイドラインは未発見であるが証言やスマトラの第25軍の類似の通達からそのように考えられている。

■複数の将校と慰安所業者は、ハルマヘラ抑留所、アンバラワ抑留所、ゲダンガン抑留所から17歳から28歳の合計35人のオランダ人女性を強制的に集め、スマラン市内のカナリ通りの建物で日本語で書いた趣旨書への署名を強制した後、スマランの4つの慰安所(将校倶楽部、スマラン倶楽部、日の丸倶楽部、青雲荘)に連行した。

■3月1日から営業を始め、女性達は毎日強姦された。給料は払われず、暴行され、その上、性病を移された者、妊娠した者がいる。週に1度医師の身体検査があったが、充分な治療はほとんど行われなかった。

■しかし自分の娘を連れ去られたオランダ人リーダーが、陸軍省俘虜部から抑留所視察に来た小田島董大佐に訴え、同大佐の勧告により16軍司令部は、1944年4月末に4箇所の慰安所を閉鎖した。 小田島大佐の視察は、事件と前後して抑留所の管理が軍政監部から現地軍司令部に移管したためのもの。 吉見は、軍は責任者を「少なくとも厳罰に処してはいない」としている。

■終戦後の1948年、バタビア臨時軍法会議でBC級戦犯として11人が有罪とされた。罪名は強制連行、強制売春(婦女子強制売淫)、強姦である。有罪者は、軍人および慰安所を経営していた日本人業者等であり、責任者である岡田慶治陸軍少佐には死刑が宣告された。 また、中心的役割をはたしたと目される大久保朝雄(仙台出身)陸軍大佐は戦後、日本に帰っていたが軍法会議の終了前に自殺した。 裁判では、慰安婦にされた35人のうち25名が強制だったと認定された。

一方、オランダ人女性の強力な抵抗により若い女性が連行されることを防いだ抑留所(スモウォノ・バンコン・ランペルサリ)もあった。
年上の女性たちが志願することで、若い女性が助かった事例もあった。
これらの身代わりとなった女性は「志願者」と呼ばれた。
この件では戦犯裁判で無罪。

1994年のオランダ政府の報告書では、オランダ領東インド各地の慰安所で働いていた200〜300人のオランダ人女性のうち少なくとも65人は絶対確実に強制売春の犠牲者だったとされている。

1990年に対日道義的債務基金(JES)が結成され、日本政府に対し、その法的道義的責任を認めて一人当たり約2万ドルの補償を支払うよう求める運動が始まった。
これに対し日本政府は、アジア女性基金により総額2億5500万円の医療福祉支援を個人に対して実施し、2001年オランダ人女性に対する「償い事業」が終了した。

しかし2007年、オランダ議会下院で、日本政府に対し「慰安婦」問題で元慰安婦への謝罪と補償などを求める慰安婦問題謝罪要求決議がなされた。
2008年に訪日したマキシム・フェルハーヘン外相は「法的には解決済みだが、被害者感情は強く、60年以上たった今も戦争の傷は生々しい。
オランダ議会・政府は日本当局に追加的な意思表示を求める」と述べ、日本側の償い事業の継続を求めた。

また同2007年、アメリカ議会での慰安婦聴聞会にこの事件の被害者・証人としてたったジャン・ラフ・オハーン(ジャンヌ・オヘルネとも表記)は、当時19歳だった42年、日本軍占領後、収容所に入れられ、「日本式の花の名前が入った名前を付けられ、髪が薄い日本軍将校が待つ部屋に連れて行かれた。彼は刀を抜いて‘殺す’と脅した後、服を破り、最も残忍に私を強姦した。その夜は何度強姦されたか分からない」「一緒に連行されたオランダ人少女らと3年半、毎日こうした蛮行にあい、飢えて苦しみ、獣のような生活をした」と証言し、「日本は95年にアジア慰安婦財団を作って私的な補償をしたというが、これは慰安婦に対する侮辱」とも主張。
「日本は政府レベルで残虐行為を認め、行動で謝罪を立証しなければならず、後世に正しい歴史を教えなければならない」と求めた。
「日本人は私たちが死ぬのを待っているが、私は死なない」とし、日本が正式に謝罪するまで闘争を続けるとした。






出典: 「スマラン慰安所事件」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




私はオランダ人と中国人の混血だけれど、確かに白人至上主義みたいな考え方が、私が子供の頃にはインドネシアにもあったわァ。。。



でもねぇ~、現在でも、口には出して言えない事として「白人至上主義」を胸のうちに秘めている白人はいますよ。。。 声を出して叫ぶ人も少ないけれど居ます。。。


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でもねぇ~、歴史の流れとして、奴隷制度を復活させるのが無理なように、これからは人種差別もなくなり、白人、黒人、有色人種の差別もなくなりますよ。。。 また、そうならねばならないでしょう! シルヴィーもそう思いませんか?



つまり、塩野さんは「被害者意識」で欧米を敵にまわしてはいけないと言ってるわけねぇ~?

被害者側に回ろうが、加害者側に回ろうが、人種によって分け隔てをするというのは、もう歴史的に見ても駄目ですよ!



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 (すぐ下のページへ続く)







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