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寝床と義太夫

2024-09-18 01:27:41 | 日本人・日本文化・文学論・日本語

 
寝床と義太夫

 


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デンマンさん。。。、どういうわけで 寝床と義太夫 を取り上げるのでござ~♪~ますかァ~?



僕は、毎日記事を書いてブログに投稿しているのですよ。。。

毎日2つづつの記事を20年近く毎日投稿しているのですわねぇ〜。。。よく続けられると思いますわァ〜。。。

やっぱり、疲れるときがありますよ。。。そういう時の息抜きに僕は映画を観るか、笑点を見て馬鹿笑いするか、また時には落語を聞くのです。。。そうして、同時にインスピレーションをゲットしたり、記事を書くエネルギーを充電するのですよ。。。

それで、最近、寝床と義太夫  という落語を聴いたのでござ〜ますかァ〜?

故人となった三遊亭圓生さんの『寝床』という噺を聴いたのです。

 


(nedoko-ensho)



 



寝床

 

寝床(ねどこ)は古典落語の演目。別題に寝床義太夫(ねどこぎだゆう)、寝床浄瑠璃(ねどこじょうるり)、素人義太夫(しろうとぎだゆう)、素人浄瑠璃(しろうとじょうるり)。
原話は、嘉永5年板の『醒睡笑』や安永4年の笑話本『和漢咄会』の一遍『日待』など、多くの江戸小咄に見られる。
元々は『寝床浄瑠璃』という上方落語の演目で、明治中期に東京へ移入された。

 

あらすじ

ある長屋の大家は良い人だが、義太夫語り(義太夫節)が大好きで人に聞かせたがるが下手くそという欠点があった。
義太夫の会を開いて、長屋の店子たちを呼んでも、下手な義太夫を聞きたくない為、誰も理由をつけてやってこない。

仕方がないので今度は主を務める店の番頭以下、使用人たちに聞かせようとするが仮病を使い、聞きたがらない。
しかし丁稚の定吉だけは仮病を使おとしたが、主に「定吉、お前はどうなんだ?」と問われて仮病に使う症状を言うのに言葉に詰まり仮病で誤魔化せなかった為、泣きなから「あたしが聞きますからお語り下さい」と言い、ここでようやく、自分の義太夫語りが嫌がられていると気づいた主人は機嫌を悪くし、「長屋の連中には、私の義太夫を聞きたくないなら出ていく様に言って、長屋は今度から義太夫の好きな人だけに貸すから」と全員出て行ってもらう、使用人たちは全員暇を出すと言って不貞寝してしまう。

それは不味いと、再び店の者が町内を回り、旦那が義太夫を聞きたがらない事に怒ってしまった事とそれにより店子には長屋から出て行く様に言われた事を伝える。
しかしどうしても下手な義太夫が聞きたくないので困った店子と使用人たちは相談しあい、酔えば下手な義太夫も気にならなくだろうと義太夫を聞くことを決める。
番頭に皆が義太夫を聞きたがっているとおだてられると、主人は「そんなに聞きたいならやるか」とすぐに機嫌を直し、酒や料理を用意して使用人たちの部屋で義太夫の会を開く。

当初の打ち合わせ通り、みな主人の義太夫をよそに酒を飲んで酔っ払うが、そのまま寝てしまう。
熱弁していて周囲の状況に気づいていなかった主人も、静かになった為、これは義太夫を熱心に聞いてるなと思い、どんな様子かと客の様子を見ると客たちが寝ている事に気づき、番頭を起こして「何でお前が寝てるんだ。客が寝てたら起こすのがお前の役目だろう?」と言い再び機嫌を悪くするが、唯一、丁稚の定吉だけしくしくと泣きながらも起きていることに気づく。

きっと自分の語りに感動したに違いないと、どこが良かったかと声をかけるが、定吉はこれを否定し、自分だけ寝ることができず泣いていると答える。
どうして寝ることができないのかと問われて、定吉は言う。

「旦那様がいる場所が私の寝床です」




出典: 「寝床」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



この噺のオチが寝床なんですよ。。。



他の皆が寝ているのに、子供の丁稚の定吉だけ寝られないのでしくしくと泣いているのでござ〜ますわねぇ〜。。。

そうです。。。

 


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旦那は自分の語りに感動して泣いていると勘違いしている。



それで、定吉が「旦那様がいる場所が私の寝床です」というオチになっているのですわねぇ〜。。。

そういうことです。。。でも、このオチがない噺があるのですよ。。。

でも、オチがなかったら『寝床』にならないでしょう。。。

それでも、面白おかしく語るのが噺家ですよ。。。次の古今亭志ん朝さんの『寝床』は、普通のオチがない。。。それでも面白い。。。聴いてみてください。。。

 





 



義太夫語りの声って、それほどひどいものなのでござ〜ますかァ〜?



僕は、それほどひどい声だとは思わないけれど、人によっては、とても聴いてはいられないと思うでしょう。。。試しに次の義太夫語りの声を聴いてみてください。。。

 





 



これは義経千本桜・渡海屋の段の「知盛幽霊」という語りの一部です。。。卑弥子さんは聴いてどう思いましたァ〜?



一生懸命に語っているのはよく解りますけれど、語っている内容は よく解りませんでしたわァ〜。。。

あのねぇ〜、この『義経千本桜』という義太夫節は、この世界では有名で人気のある演目なのですよ。。。『菅原伝授手習鑑』、『仮名手本忠臣蔵』と共に義太夫節の三大傑作のひとつに数えられているのです。。。この『渡海屋の段』は、人形浄瑠璃でもしばしば演じられます。。。人形が出てくるので、素語(すがた)りよりも面白く観ることができます。。。

 





 



義経千本桜・渡海屋の段

 




 

摂津大物浦の廻船業渡海屋に、鎌倉より義経探索に出張ってきた相模五郎という侍が手下を率いて訪れる。
相模は九州に向うと噂される義経一行を追うため、先約のある船に自分たちを乗せろという。

主の銀平はちょうど留守にしており、銀平の女房おりうが応対して断ろうとするが、相模は権柄づくな態度で船を譲れと迫り、ついには先約の者と直接話をつけてやると奥へ踏み込もうとする。
そこへ銀平が戻り、なおも無理をいう相模を腕ずくで追い払った。

 



 

先約の客とは、実は九州に落ちて行こうとする義経一行であった。
義経は鎌倉より追われる己が身の上を嘆くが、銀平は義経に味方すると言い、今の相模が再び来てはいけないから、一刻も早く用意した船で出発するように勧める。
義経たちはその言葉に従い、蓑笠を着て渡海屋から立っていった。

だが、銀平とは実は合戦で討死したといわれる平知盛だった。
その娘のお安というのも実は入水したはずの安徳天皇、女房のおりうは実は安徳帝の乳母典侍の局(すけのつぼね)である。

 



 

銀平こと知盛は安徳帝を掲げ平家の再興を狙っており、まずはその手始めに自分のところに来た義経に返報せんとしていたのである。
さきほど来た鎌倉武士の相模五郎というのも実は知盛の家来で、義経一行を信用させるためにわざと仕組んだ芝居であった。

知盛は義経たちの目をくらませようと白装束に白糸威しの鎧を着て姿を幽霊にやつし、さらにこれも幽霊にやつした手勢を率い、海上の嵐に乗じて義経を葬ろうと出かけていく。

安徳帝と典侍の局は装束を改め、知盛からの知らせを待っていた。
夜が更けて雨風も激しく吹き、陣太鼓が鳴り響く。
そこへ相模五郎が駆けつけ、戦の様子について注進する。

ところが義経たちは兼ねてから用意がしてあったのか、手勢を揃えて知盛たちに反撃し、味方は劣勢となって危うく見えると言って相模はふたたび戦へと戻っていった。
この知らせに気遣わしく思う局は障子を開けて沖のほうを見ると、味方の船の灯りが次々と消えてゆく。

さらに一味の入江丹蔵が手を負いながら現われ、味方はひとり残らず討死、知盛は行方知れずと注進し、持っていた刀を腹に突っ込みながら海へと入水した。

 



 

義経への奇襲は失敗したのである。
局は涙に暮れるが、やがて安徳帝とともに自害の覚悟を極め、大物浦の浜のかたへと向う。

浜へと来た典侍の局は、源氏から逃れるためこの海に入水することを安徳帝に言い聞かせる。
すると幼い安徳帝は天照大神にこの世への暇乞いにと、伊勢のほうへ向かって手を合わせ、「いまぞ知る みもすそ川の 流れには 浪のそこにも 都ありとは」と詠む。

局は嘆きつつも、意を決して安徳帝をしっかと抱き上げ海に身を投げようとした。
そのとき、後ろから義経が局を抱きかかえ止める。
義経は帝を小脇に抱え、局の手を無理に引いて渡海屋の中に入った。

かかるところへ知盛が、髪はおおわらわ体には矢を多く受けて負傷した姿で立ち帰り、よろぼいながら帝と局を呼ぶと、一間のうちより帝を抱え局を従えた義経が現われる。
この家に逗留した時からそのあるじといいまた娘といい只者ではない、平家の落人であろうと察し、裏をかいて知盛の計略を退けたのである。

だが安徳帝の身柄については決して悪いようにはしないと義経はいう。
それでもなお義経に立ち向おうとする知盛に、武蔵坊弁慶が悪念を断ち切れとの意をこめた数珠をひらりと知盛の首にかけ、また帝が義経のことを仇に思うなと知盛に言葉をかけた。

 




 

さらに典侍の局は持っていた懐剣で自害してしまったので、さすがの知盛もしばし言葉もなかった。

知盛は、はらはらと涙を流して語る。
安徳帝が帝の身にありながら西海に漂い、平家の一門とともに戦の中で苦しんだのも、実は安徳帝は姫宮であり、それを知盛たちの父平清盛が外戚になりたい望みで以って男宮と偽り、皇位に就けたので天照大神の罰があたったのだと。

そして知盛は帝を義経に託し、自らは船に乗って大物浦の海に出ると碇を担ぎ、身を投げて果てたのだった。

 






出典: 「義経千本桜」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



安徳天皇が女の子として出てくるのですわねぇ〜。。。



安徳天皇が実は姫宮であったというのは『平家物語』にすでにそれをほのめかす記述が見られるのです。。。当時、そのような噂が貴族たちの間では囁かれていたそうです。。。

天皇になる男の子がなかったので、平清盛が女の子を天皇にしたのですわねぇ〜

そういうことですよ。。。天皇の外戚として権力を維持するには、そうする以外になかったのですよ。。。



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【卑弥子の独り言】



 

ですってぇ~。。。

安徳天皇が女の子だったんですってぇ〜。。。

知りませんでしたわァ〜

あなたはご存知でしたかァ〜?

ええっ。。。「そんな事はどうでもいいから、もっと他に面白い話をしろ!」

あなたは、そのような強い口調で あたくしに御命令なさるのでござ~ますかァ~?

分かりましたわ。。。

デンマンさんが10年以上も前にアンケートを作りました。

 


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『拡大する』


『もう一度クリスマスのページ』

 

上のリンクをクリックすると、

左側のサイドコラムにたくさんの質問が出てきます。

ひとつひとつ見ながら ぜひアンケートに答えてみてください。

じゃあ、また。。。






ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

“本音と建前”

よく聞きますよね。

さて、英語で何と言うのでしょうか?

考えてみた事がありますか?

いろいろと言い方があると思います。

appearance and reality

見かけと実物そのまま


これも本音と建前と言い換えることができますよね。

form and substance

外観と実体


これも本音と建前と同じですよね。

one's real intention and

what one says on the surface


本音と建前を説明しているのですよね。

real motive and stated reason

これも間違いなく本音と建前ですよね。

what one says and what one means

本音と建前をこのように言うこともできますよね。

では、「本音と建前を使い分ける」を

英語でどのように言うのでしょうか?

ちょっと考えてみてください。



次のように言うことができます。

You should be tactful as to

when to tell real intention

and when to show form.


ところで、英語の面白いお話を集めました。

時間があったら覗いてみてくださいね。

■ 『あなたのための愉快で面白い英語』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。









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