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ご苦労さま (PART 1)

2018-11-25 11:54:23 | 日本人・日本文化・文学論・日本語
 

ご苦労さま (PART 1)

 


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デンマンさん。。。、いつも あたくしをお呼びになって お手伝いさせているので、今日はあたくしに感謝の気持ちをこめてご苦労さまと 労(ねぎら)いのタイトルを付けたのでござ~♪~ますかァ?



「そうじゃない」と言えば卑弥子さんがムカついて帰ってしまうので、そうだとしか言いようがありません。。。

そんな言い方はないでしょう!? あたくしは忙しいのですけれど、いつだってデンマンさんの求めに応じて最優先に はせ参じているのでござ~ますわァ!

そうです。。。 そうです。。。 僕はいつも卑弥子さんに感謝しているのですよ。。。 でもねぇ~、今日は先日の話の続きですよ。。。 卑弥子さんも、すでに知っているようにバンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのです。。。



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「ぼっちに慣れたくないもん私はー」
「いやいや、だってガチでエビやし」

「ぼっち」(独りぼっち)
「ガチで」 本当に

 (25ページ)




「だれにでも愛想を振りまいちゃうバカ犬だけど、かわいいんだよ」

振りまくのは「愛敬」であって、「愛想がいい」が本来の言い方

 (33ページ)





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「ご苦労さまでございました」と目下の人が目上の人に言った。

最近のビジネスマナーの教室などでは、
「ご苦労さま」は目下の人に使います。
目上には「お疲れさま」と言いましょう。


作家が辛苦して紡ぎ出した作品を編集者が受け取るときに
「お疲れさま」と表現してもいいけれど、苦労をねぎらう感じは弱くなります。
この場合は、「ご苦労さまでございました」が最も状況にふさわしい表現です。

 (90-91ページ)




現実の会話では、「え、飯間さんって、ゲームやらないんですか」ではなく「飯間さんって、え、ゲームやらないんですか」のように言うことがしばしばあります。
「驚いた」という気持ちを後から表明したくなって、付け足すんですね。
この語法を「割り込み感動詞」と名づけておきましょう

 (144ページ)




世の中に「援助交際」「援交」ということばが広まったのは、1990年代のことでした。
「援助」とも言われました。
もうずいぶん前のことです。

私は、このことばを聞いた時、不愉快な印象を持ちました。
「ごまかしのことばだな。 マスコミは『売春』ときちんと言うべきだ」と思ったものです。

すぐ消える流行語だろう、と軽く考えていましたが、意外にも生き残りました。
「売春」の言い換え語として便利だったためでしょう。

 (194ページ)

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




『小説の言葉尻をとらえてみた』
著者: 飯間浩明
2017年10月20日 第1刷発行
発行所: 株式会社 光文社

 


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『ガチで浦島太郎やし』にも掲載。
(2018年11月21日)




つまり、最近のビジネスマナーの教室などでは「ご苦労さま」は目下の人に使いますと教えられるのですけれど、作家が辛苦して紡ぎ出した作品を編集者が受け取るときに「お疲れさま」と表現するのでは、苦労をねぎらう感じは弱くなります。 それで、この場合は「ご苦労さまでございました」が最も状況にふさわしい表現だと、デンマンさんも同意なさるのでござ~ますかァ?



そうです。。。 いけませんか?

でも、それは古くからの慣習と伝統を無視することですわァ~。。。

京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授には、納得できない用法なのですかァ~?

そうですわ。。。 日本の慣習と伝統を守るためにも、やはり、この場合には「ご苦労さまでございました」と言うよりも「お疲れさまでございました」を用いるのがふさわしいと思うのでござ~ますゥ。

あのねぇ~、卑弥子さん。。。、確かに日本の慣習と伝統を守ることは大切なことですよ。。。 でもねぇ~、ツイッターや、フェイスブックや、インスタグラムが多くの日本人の間で爆発的に利用されているネットの時代に、いつまでも古臭いしきたりや慣習に縛られていては、時代遅れになって、気づいたら無人島に取り残された浦島太郎のような状態になってしまうのですよ。。。

でも。。。、でも。。。、『源氏物語』を絵文字で書き換えることなんて絶対にできないことでござ~ますわァ~。。。

もちろん、『源氏物語』をすべて絵文字で書き換えることはできないでしょう! でも、江戸時代以前には『源氏物語』はごく一部の貴族の間にしか知られてなかった。

あらっ。。。 デンマンさんは、あたくしを前にして専門家のようなことをおっしゃるのですわねぇ~?

あのねぇ~、どうして現在の日本人の多くが源氏物語を知っているのか? 卑弥子さんには解りますか?

『源氏物語』が素晴らしいからですわァ~。。。

それは違います。。。 だいたい、現在の生きている日本人で、『源氏物語』の原典を読んだ人がいったい何人いると思いますか?

調べたことがございませんわ。。。

それは『源氏物語』を教えている卑弥子さんの怠慢ですよ。。。 多くの日本人は現代語訳で『源氏物語』を読んでいるのですよ。。。 卑弥子さんも古文を現代語訳に訳して腐女子たちに教えているでしょう!

もちろん、そうでござ~ますわァ。。。

つまり、僕が言いたいのは、言葉は生きているのですよ。。。 だから、もはや古文は現在の日本語では通用しないのです。。。 だとすると、敬語も生きている。。。 時代と共に、その使い方は微妙に変化してゆくのは当然の成り行きです。。。 


現代の敬語

 

「絶対敬語」は、上下関係を元にしているが、現代の敬語は、「相対敬語」であり、自らの相手へのスタンスが動機となる。
一般に家庭内で祖父や父に敬語は使わないようになった。

変動する相対的な上下関係、親疎、社会関係、状況、気持ち、恩恵関係などが絡んで用いられる。

また、性別、ウチとソトなども要因となる。
上位の存在に対して敬語を用いているのは変わらない。
しかし誰を上位だとみなしているのかは個々の価値観に由来する。

大勢に話す時、また改まった場、あるいは依頼する時、また身構えた時に敬語が用いられる傾向もある。

敬語は、弱い立場への力関係を示したり、皮肉や冷たさも表現することも可能である。
また、敬語は距離感を保つための形式でもあるため、仲を深めることを拒否しているという意思表示ともなり、親しさを伝えるためには敬語以外の表現が効果的である場合もある。

言葉を丁寧にしても、態度が無礼で配慮がなければ慇懃無礼と言われ、一方、言葉遣いが丁寧すぎるからといって変ではなく、自分の基準だけが正しいと思うこともよくない。

「男はつらいよ」の寅さんに出てくるような、「まだ生きてやがったか」のような罵倒じみた挨拶でさえ、旧知の中では再開の喜びを表すことすらある。

 


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 (中略)

敬語の形式を用いるのは、敬意からではなく、相手にとる距離感からである。
敬語によって適切な距離感をとれば敬意を表することもできれば、敬語によって不要に距離を取れば侮辱ともなりえる。

親疎の疎、言い換えればソトの存在だとみなしている場合、警戒心から敬語を用いて心的距離を置く場合もある。
こうした新たな研究領域からは、待遇表現という用語でも呼ばれている。




出典: 「敬語」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




つまり、敬語は距離感を保つための形式でもあるため、仲を深めることを拒否しているという意思表示ともなり、親しさを伝えるためには敬語以外の表現が効果的である場合もある。 だから、「ご苦労さま」は目下の人に使いますとビジネス教室で教えられるけれど、目上の人に対して「ご苦労さまでございました」と言ってもいいのです。。。



でも。。。、でも。。。、日本の慣習と伝統を堅く守っている人が、それを耳にしたら憤慨すると思いますわァ~。。。

あのねぇ~、労(ねぎら)いの言葉、感謝の言葉は、それを話す人の心の表れです。。。 だから、その人の心が充分にその言葉に表れているのならば、誰も憤慨などしないものです。。。 気持ちがこもった労いの言葉を聞いて、そのうわべだけの表現にムカつくような人は、人間ができてないのです! 良識がないのですよ!

そうでしょうか?

あのねぇ~。。。 昔の人は “信じる者は救われる!” と言ったのですよ。。。 だから、卑弥子さんも僕の言うことを信じてルンルン気分になって救われてください。。。 お願いします。。。



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 (すぐ下のページへ続く)









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