良寛さん@台湾
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デンマンさん。。。台湾にも良寛さんがいたのでござ~ますかァ~?
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いや。。。僕の知る限り、台湾には現在も過去にも良寛さんは居ません。。。
じゃあ、どういうわけで誤解を与えるようなタイトルを付けたのでござ~ますかァ~?
ちょっと次のリストを見てください。。。
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■『拡大する』
■『良寛さんの顔』
これはライブドアの僕の「徒然ブログ」の日本時間で4月15日の午後9時21分から翌日、16日の午前1時7分までのアクセス者の記録です。。。赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しい。
あらっ。。。4月16日の午前0時9分に 良寛さんの顔 を読んだネット市民がいたのですわねぇ~。。。
そうです。。。実は、台湾の台中市に住んでいる劉麻美(リュウ・マーメイ)さんが読んだのです。。。
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マーメイさんは、台中市で何をしているのでござ~ますかァ~?
地元の国立中興大学の文学部で日本文化日本語を勉強しているのですよ。。。
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良寛さんのことでレポートでも書くつもりだったのでござ~ますかァ~?
そうです。。。
でも、どのようにして記事を見つけたのですか? 上のリストを見ると検索エンジンで記事を探してやってきたようには見えませんわ。。。
マーメイさんは僕のブログの常連さんです。。。良寛さんの顔 を読んだのは、これが初めてではないのです。。。記事を見つけるときには、当然、次のように検索したのですよ。。。
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■『拡大する』
■『現時点での検索結果』
■『良寛さんの顔』
良寛さん 徒然ブログと入れて検索したのですわねぇ~。。。
そういうことです。。。17,900件ヒットするうちでトップから4番目に 良寛さんの顔 が表示されるのです。。。この記事を見つけて初めて読んだときに、マーメイさんは、この記事をブックマークしておいたのです。。。
2度めからは直接URL をクリックして良寛さんの顔 を読んだのでござ~ますかァ~?
そういうことです。。。
。。。で、マーメイさんは、記事を読んでレポートを書くのに参考になることでも見つけたのですか?
見つけました。。。卑弥子さんもその箇所を読んでみてください。。。
究極の菩薩の姿
よく菩薩の中の菩薩といわれるのに、「常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)」というボサツがいる。
『法華経』に登場して有名になったボサツである。
「常不軽品」という章の名称にまでなっている。
どんな人間に会っても、辞を低くして礼拝したというボサツである。
「常不軽」というのは、どんなときでも出会う相手を「軽んじない」という意味だ。
なぜなら人間は誰でもやがて仏になる存在だからである、という。
しかし、つねに相手を軽んずることなく礼拝をくり返している人間(菩薩)は、それゆえに人々から軽んじられるであろう。
たえず軽蔑され、馬鹿にされ、そして差別の眼差しを全身にうける。
その逆境的な運命を甘受するところに「常不軽菩薩」の存在理由があるのだと思う。
誰にでもなれる境地ではない。
ふつうの菩薩でも、このボサツにななかなか手がとどかないであろう。
自立、自立……と咆哮するラカンたちからは、もっとも遠い存在かもしれない。
「常不軽菩薩」が菩薩、究極の菩薩の姿、といわれるゆえんである。
その常不軽菩薩のことが、良寛さんも好きだったようだ。
理想の菩薩だったのではないだろうか。
後世の良寛神話が、そうした良寛さんの心情を純化して、良寛さんのイメージをこの常不軽菩薩と重ね合わせるようになった。
(中略)
良寛さんもその常不軽菩薩のように生きようとひそかに決意していたにちがいない。
実際、良寛さんの日常生活をうかがうと、そのような生き方を心がけていたことがよくわかる。
その自然体の優しさの中に常不軽菩薩を実践している良寛さんのイメージが蘇る。
安田靫彦の良寛像にもそのような気配がただよっているといっていいだろう。
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(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
197-199ページ
『日本人の情感はどこからくるのか』
2003年5月9日 第1刷発行
著者: 山折哲雄
発行所: 株式会社 草思社
この上の箇所がデンマンさんには興味深く感じられたのでござ~♪~ますか?
そうなのです。 「常不軽菩薩」で思い出したことがあるのですよ。 僕は以前、良寛さんの本を読んで強烈なエピソードに出くわしたことがある。
そのエピソードって一体どのようなものでござ~ますか?
良寛さんが40代の頃の話というから、たぶん、越後国蒲原郡国上村(現燕市)の国上寺にある五合庵で暮らしていた頃のエピソードだと思いますよ。 ある日、村の女の子のことで騒ぎが持ち上がった。
どのような。。。?
その女の子は15歳か16歳で、小さな頃、子供仲間と一緒に良寛さんとよく遊んだことがあった。 その子のおなかが見るからに膨(ふく)らみ始めた。
妊娠したということでござ~ますか?
そうです。 まだ嫁に行く前の娘だから村中の噂にのぼった。 当然、誰が孕(はら)ませたのか? 村中で詮索が始まった。 その娘に尋ねても全く答えようとしない。 そのうち立派な赤ちゃんが生まれた。 しかし誰が父親なのか判らない限りその赤ちゃんの始末に困ってしまう。 両親は仕方なく村の名主(なぬし)さんのところに相談に行った。
それで。。。?
名主さんが娘を呼んで優しく問いただしたのですよ。
。。。んで、女の子は誰が父親だか名主さんに話したのですか?
それがなかなか話さない。 でも、名主さんは根気よく娘にいろいろと世間話をしながら、なんとか聞き出した。
その子はなんと答えたのでござ~ますか?
良寛さんだと答えたのですよ。 もちろん、名主さんは信じることができなかった。 でも、女の子がそう言うものだから、仕方なく名主さんは良寛さんのところへ相談に行った。
そしたら。。。?
良寛さんは薄笑いを浮かべながら答えて言うのですよ。 「その女の子がそう言うのなら私が孕ませたんじゃろう」 それで良寛さんがその赤ちゃんを引き取って育てたという話です。
このエピソードが「常不軽菩薩」と関係あるのでござ~ますか?
あのねぇ~、誰もが亡くなったら仏になるのだから、たとえ15歳の女子であろうとも軽んじてはいけない。 それで良寛さんは、その子の悩みを汲(く)んであげたのですよ。 そのような気持ちが良寛さんに働いたのだと思います。 だからこそ、ウィキペディアの説明にも書いてあるとおり、良寛さんは子供の純真な心こそが誠の仏の心と解釈して、子供達と遊ぶことを好んだのですよ。
つまり、だから子供にも好かれたと言うのですか?
そうです。 しかし、そのことを考えて安田靫彦の良寛和尚像を見ると子供が好きそうな表情には見えない。
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上の絵の良寛さんは子供と一緒に遊びそうな人物には見えないということでござ~ますか?
僕にはそう思えるのですよ。
。。。で、デンマンさんの目には良寛さんはどのような表情をしていたと思うのですか?
次のような表情をしていたと思うのですよ。
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つまり、誰にでも優しく救いの手を差し伸べてくれる菩薩のような表情をしていたと僕には思えるのですよ。
そうですわね。 上の絵の良寛さんならば子供が好んで集まるかもしれませんわね。
『良寛さんの顔』より
(2012年11月9日)
つまり、マーメイさんは、上の箇所を読んで共感したのでござ~ますかァ?
そうです。。。それで、この点を考慮してレポートを書くことにしたのですよ。。。
どうして、そんなことまでデンマンさんはご存知なのですか?
マーメイさんがメッセージをよこしたのです。。。
マジで。。。? 信じられませんわ。。。
信じてください。。。昔の人は「信じる者は救われる!」と言いましたから。。。良寛さんも生きていたら きっとそう言いますよ。。。
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【ジューンの独り言】
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ですってぇ~。。。
貴方も良寛さんのお顔は、子供が親しみやすい表情をしていたと思いますかァ~?
ええっ。。。「そんなことより、何か他に面白い話をしろ!」
貴方は、そのようなムカついた口調で あたくしに御命令するのですかァ~?
分かりましたわァ~。。。
かつて「セサミストリート」で子どもたちに慕われていた人気者のビル・コスビーも、芸能界では幅を利かせて大きな“権力”を握り、百人近い女性に対してセックスを迫ったものです。。。
子どもたちに性的ないたずらをしなかったことが せめてもの罪ほろぼしですわァ。。。
ええっ。。。「そんな事は、どうでもいいから、もっと他に面白い話をしろ!」
あなたは、そのような強い口調で 更に あたくしに ご命令なさるのですかァ~?
分かりましたわァ。。。。
では、あなたもビックリするような
忠臣蔵のとっても古い映画をご覧くださいまし。。。
なんと。。。昭和3年(1928年)制作の『忠臣蔵』ですわよう!
無声映画ですけれど、弁士の方がなかなかうまい説明をしてくださいますわ。。。
つい、引き込まれて観てしまうのですわ。。。
浅野内匠頭がどうしてヘマをしでかしたのか?
そのへんのところが詳しく映像に残っております。
観るだけの値打ちがありますわ。。。
では、どうぞ。。。
ところで、どうして小百合さんが
「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれるのか?
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あなたは ご存知ですかァ?
実は簡単な事なのですわよう。
小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。
小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。
分からない事ではござ~ませんわァ。
そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。
現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。
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それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。
そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。
軽井沢・雲場池の紅葉
軽井沢のイルミネーション
秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩
とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。
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メチャ面白い、
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ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。
卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。
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