狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

「ユダヤが解ると世界が見えてくる」の再読(3)・・・三島由紀夫氏の「憂国」と自決直前の「檄」

2013-06-28 22:35:28 | 憲法改正
 戦後に一時的な「感情」に左右される日本人が多くなってしまった中に在って、自立して独自の「思想」を持っていた作家・三島由紀夫氏。晩年に民兵組織「楯の会」を結成し、1970年(昭和45年)11月25日自衛隊市ヶ谷駐屯地(現:防衛省本省)にて「檄」を持って演説して「自立」に向けたクーデターを促した後に割腹自決を遂げた三島由紀夫氏の、国の現状や将来について心を痛めていた「憂国」と、自決直前に自分の考えや主張を述べて自衛隊員や大衆に行動を促した「檄」について、以下に引用させて頂きます。

 「ユダヤが解ると世界が見えてくる―1990年「終年経済戦争」へのシナリオ」(著者:宇野正美氏、出版社:徳間書店、出版日:1986/4/30)より、
 第4章「日米関係とは日ユ関係である・『世界の工場』に育てられた日本の宿命」~「『日本を世界の工場にする』ユダヤの戦後対日戦略」~「日本の若者は次代をになえない?」より、

 「自衛隊員を前に自決した三島由紀夫を『反動的右翼国粋主義者』として葬り去ることは、あまりにも安易な『平和主義』、『進歩主義』だとは言えないだろうか。その悪文に満ちていると批判された自決直前の『檄』を読み返してみる時、彼こそ戦後政治の出発点が何であったのかを見抜いていたと思わざるを得ない。」
 
 「『我々は戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自らの魂の空白状態へと落ち込んでいくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみささげられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を漬してゆくのを、歯噛みしながら見ていなければならなかった……』

 「あらゆる偏見を取って素直にこれを読めば、『ある力』に徹底的に操られ続けて来た日本人への痛烈な批判として読む事が出来ると言えるだろう。」
 
 「『週刊ダイヤモンド』(1979年(昭和54年)5月号)でポール・ボネと言う名前を使っているある評論家が……、『私が接している日本人の多くは、かつて貧しさに耐え、軍国主義に耐えて来た日本人である。スポーツカーも無ければ、ジーンズも無かった時代の日本で貧しさと戦って来た人々である。戦後日本のマスプロダクションは若者に媚びを売る事を覚えた。マスコミュニケーションも若者に迎合する事で、発行部数を伸ばした。教師は生徒に媚び、経営者は従業員に媚び、政治家は国民に媚び、そして親は子供に媚びる事を覚えた。その全ては、大人が若者に媚びて来たと言う事である。』」
 「『かつて日本が貧しい時代には『無い袖は振れぬ』と言う日本人の大人の返事が有った。今、日本は豊かで、求められれば大人も何もかも若者に与える事が出来る。与えれば理解が有り、拒絶すれば無理解だと言う。豊かな時代にあって、拒絶する事は与える事よりも困難な事である。しかし、その困難を乗り切らなければ、大人としての資格は無いも同然である。世界有数の大国日本に、いささかの危惧が有るとすれば、次の世代に期待が持てぬことである。
 人はローマ帝国の盛衰を論う(あげつらう)が、やがて日本の盛衰を論うことになるかもしれない。計りがたきは未来である。』」

 以下に、関連動画を添付します↓↓
 

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YouTube: 三島由紀夫の遺言


 ↑↑以下は、上の添付動画からの引用文です↓↓

 [私の中の25年]三島由紀夫 果たし得ていない約束
      恐るべき戦後民主主義
    昭和45年(1970年)7月7日 産経新聞
 私の中の二十五年間を考えると、その空虚に今更びっくりする。私は殆ど「生きた」とは言えない。鼻をつまみながら通り過ぎたのだ。
 二十五年前に私が憎んだものは、多少形を変えはしたが、今も相変わらずしぶとく生き永らえている。
 生き永らえているどころか、驚くべき繁殖力で日本中に完全に浸透してしまった。
 それは戦後民主主義とそこから生じる偽善と言う恐るべきバチルス(つきまとって害するもの)である。
 こんな偽善と詐術は、アメリカの占領と共に終わるだろう、と考えていた私はずいぶん甘かった。驚くべき事には、日本人は自ら進んで、それを自分の体質とする事を選んだのである。政治も、経済も、社会も、文化ですら。
 二十五年間希望を一つひとつ失って、もはや行き着く先が見えてしまった様な今日では、その幾多の希望がいかに空疎で、いかに俗悪で、しかも希望に要したエネルギーがいかに厖大(ぼうだい)であったかに唖然とする。これだけのエネルギーを絶望に使っていたら、もう少しどうにかなっていたのではないか。
 私はこれからの日本に大して希望をつなぐ事が出来ない。このまま行ったら「日本」は無くなってしまうのではないかと言う感を日増しに深くする。
 日本は無くなって、その代わりに、無機的な、空っぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目が無い、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう
 それでもいいと思っている人達と、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。

 

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YouTube: 三島由紀夫 - 檄


 

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YouTube: 1970年11月25日 三島由紀夫 @ 東京 市市谷 陸上自衛隊駐屯地


  尚、次の動画は、(1)~(3)の3分割となっています↓↓
 

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YouTube: 「11・25自決の日」映画監督・若松孝二が三島由紀夫を語る。(1).


 

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YouTube: 1969年、カナダのテレビ局による、三島由紀夫の貴重なインタビュー


 

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YouTube: [ 宇野 正美 ] なぜ特攻隊委員は笑顔で出撃したのか 2010年 6月収録



 
ユダヤが解ると世界が見えてくる―1990年「終年経済戦争」へのシナリオ (トクマブックス)ユダヤが解ると世界が見えてくる―1990年「終年経済戦争」へのシナリオ (トクマブックス)価格:¥ 754(税込)発売日:1986-05




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