狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

ロジック無き会話不要と論理思考により気付く時事問題の繋がり:「コミュニケーションは、要らない」を読む

2016-05-08 10:48:23 | 孤独・独立・自尊心
 ロジックの無い、論理的に言葉を連ねた文章や話では無い、その様な「コミュニケーションはいらない」。
 「コミュニケーションは、要らない」(著者:押井守氏、出版社:幻冬舎、出版日:2012/03/30)を読んだ。
 世間・巷で大概取られているコミュニケーションは、言葉の裏に繋がる筋道とその根元に存在するはずの根拠が無い、ただ表面だけの、上面だけの、浅く、軽薄な、奥行きの無い言葉が述べられ、それらは得てして意味のない、空虚な言葉である事が多いものである。
 テレビのバラエティ番組に象徴される様に、その時・その場の空気・雰囲気に合わせた、一瞬の笑いや一瞬の感情ばかりである。一目ぼれする事と同様に、パッと見た瞬間に、感じた事を直ぐに口に出す。その事で、特に中傷や悪口の場合、安易に相手の人を傷つける。思考回路を通さずに、直観で、口に出している訳で、そこにおいては熟考する事が存在していないのである。よく考えた末の発言であれば、安易に人を傷つける事も少ない様に思うのである。
 その様な言葉には裏付け・証明となるものが存在しない為に、発言した者が責任を取る事が出来ないのである。無責任に発言し、弁証出来ず、言い逃れ、或いは撤回するしか方法が無いのである。論理と根拠を持っていれば、弁論によって証明し弁明出来るはずであるが、表面だけである為にそれが出来ないのである。いい加減である。
 論理的に考える事が出来ない、精神的に未熟な状態に在る為に、理性・心で制約を掛ける事が出来ず、自由の行き過ぎ・履き違えをして、恣意的に行動し発言する者が多い。
 心に土台を築く事が大事である。その礎を基準にして考え、判断する。その基盤を築く為には、相対的では無く絶対的で確固たる規範が必要であるが、それに準ずるものとしては、日本の長い歴史で培って来た伝統・文化である。
 最も奥深くに根本原因が在り、それを根拠としての経過・過程が在る。結果・過程の途中には、細工、工作、曲学阿世等も加わる。そして多くの枝葉に分かれる。その後の表面に現れるのが結果やイメージである。それらの一連を、順序立て筋道を立てたものがロジックである。その論理こそが証明・裏付けとなり、責任ある発言となるのである。
 よく考える為には「沈黙」が必要である。周囲の空気・雰囲気に流されず、喧騒から離れた静寂の中、黙想する。そして、マスコミや世間の放つ目先の出来事や情報に右往左往したり一喜一憂せず、それらを疑問視し、自分でじっくり考えてから判断する事が大事である。私は安易に信じず受け入れないが故に、ポーカーフェイスであり、そう簡単には笑わないのである。
 結局は、世間一般的多数派の人たちは、マスコミや周囲の人たちに感情を操作されてもいるのである。考えずに直観でものを言ったり判断し、考えないから洗脳されやすく騙されやすいのである。
 日本人の国民性として、性善説の傾向が有る。人間は皆いい人であるというものである。つまり、人を疑う事無く、安易に信じて受け入れる傾向がある。それは、現日本国憲法の前文に在る、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」、つまり諸外国が皆いい国だと信頼して、平和ボケしている事にも現されている。
 しかし、日本人が平和や愛、道徳律の事ばかりが書かれていると勘違いして恰も可愛い本だと思い込んでいる「聖書」は、逆に「性悪説」を述べており、人間は皆悪だと言っているのである。そして、その現日本国憲法を押し付けたアメリカ・GHQは、その聖書の知識を持っていたのである。
 自分の欲望を基準にした希望的観測や、思い込み、勘違い、先入観、洗脳によって頭が覆われると、論理的に考える事が出来ない。表面に現されている事象、物事、出来事、情報、人間を、順番に筋道立てて奥深く探って行き、最も奥に在る根本・原因を見て検討する事が必要である。その事が、真の理解に繋がる。
 歴史はロジックを構成する。歴史を検証する事は、現在の諸問題を解決する手立てとなる。表面の現諸問題を、過去を振り返って歴史という過程を検証していき、それらの原因・根拠を見つけ検討する日本の戦後歴史教育には捏造・虚構・抹消が在るが、それらを奥深く検証して修正・訂正する事で、今後の日本の未来が開けていくのである。要するに、表面しか見る事が無ければ、未来は無い、つまり属国、グローバル政府の一部となる等して、国は滅ぶのである。
 マスコミなどが流行らせるブームは直ぐに消えて無くなるが、思想書、哲学書等の「古典」は、長い時間を経て現在まで残っている。その中でも「聖書」は世界最大のベストセラーで、今から約3,500年前から約1,900年前まで書き足されながら、現在まで全く書き換えられる事が無かった本である。真実である為に、今後とも永遠に変わる事が無いのである。その古典を基にして、筋道立てて順に論理的に考えて、結論、判断、決断へと繋げるという思考方法が良い。また読書により教養を養い、それをベースにして論理性を持つ教養とは、「学問、幅広い知識、精神の修養などを通して得られる創造的活力心の豊かさ、物事に対する理解力。また、その手段としての学問・芸術・宗教などの精神活動。」(デジタル大辞泉より)と辞書に在り、単なる知識では無い
 明治時代に始まった言文一致運動により、平安時代に完成して日本の古典に使われている文語文を、話し言葉の口語体に統一して口語体を書き言葉としようとした。その流れが、現在の携帯・スマートフォンによるメールやラインに使われる軽薄な言葉への衰退に繋がっている言葉は文化であり、日本語は独自性を表し、その日本語を持っている事で、この国を日本であると言う事が出来る。
 現在、大手の会社や大学等の一部では、グローバル化の名の下に英語を導入して、その組織内でその公用語化を進めている。また、戦後に中学で義務教育化されている英語を、更に小学生時に早めようとしている。選択教科で外国語を学ぶのであれば理解出来る。しかし、義務として外国語を押し付けられているのである。更に高校では、日本史が選択教科にされてしまっているのである。果たしてこの国はどこの国なのであろうか?。日本と言う国と言えるのであろうか?。戦後、植民地化されている一例である。またグローバル化は、その実、世界共産化グローバル政府の過程に在るのである。
 本書はタイトルを「一見すると」、単に会話の事に関してしか書かれていない様に「勘違い」するかもしれない。しかしその「内容」は、そのイメージとは異なって幅広いのである。原発、核兵器、国防、自衛隊、憲法、国家、政治、米国、映画、マスコミ、世間、文化、歴史等と、多岐に渡っているが、見ても解るように、その全ては関連して繋がっているのである。
 論理的に考えて見ていけば、その繋がりに気付のである。しかし、世間一般的多数派の人たちの様な表面ばかりを見ていると、そのそれぞれがバラバラの様に感じてしまうのである。しかし実際は、中でも特にその一部は地下で、繋がっているのである。
 著者は原発推進派との事である。福田康夫内閣時の石破茂防衛大臣(当時)の発言した事と同じく、日本が原発とその原料、技術を保有する事が、いつでも核兵器を作る事が出来るという可能性を対外的に示す事による核抑止力を持つ事になり、日本は実質、核保有国であると述べる。因みに、現内閣府特命担当大臣の石破氏はクリスチャンである。また、「自民党きっての外交・安全保障の論客、政策通で知られる」(ウィキペディア「石破茂」より)。世間一般的クリスチャンたちと異なって、幻想に浸らず現実を見ているのである。
 また戦後に日本で原発を推進したのは、米ディズニーのプロパガンダ映画と、読売巨人軍創立者・初代オーナーで読売新聞・日本テレビの正力松太郎・代表取締役社長であるが、そのウォルト・ディズニーはフリーメーソン、正力氏は米国CIAのスパイであった。そして、活断層の上でしかも海岸沿いに、原発を次々と建てていった。
 「真善美」を挙げている。「真善美」とは、「認識上の真と、倫理上の善と、審美上の美。人間の理想としての普遍妥当な価値をいう。」(デジタル大辞泉より)。また「審美」とは、「自然や美術などのもつ本当の美しさを的確に見極めること。また、美の本質・現象を研究すること。」(同書より)。「本質」とは、根本的性質であり、本性であり、そのものを規定するものであり、不変である。論理的に考えるとは、その本質を見極めていく事である。
 「死生観」は、人間の根本的問題である。死の事を想う事で、現在の生・生き方について考える。死はこの世に生きる人間全てが避ける事の出来ない本質の内の一つであるが、特に若者をはじめとして、その死という本質を見ずに目をそらし、希望・夢ばかりを見ている。嫌なものは見たくないという、希望的観測の内の一つである。その自分のやがて訪れる死を直視し、それに至るまでの過程である人生の運命を覚悟する必要が有る。
 ところで、マスコミは金にクリーンであるか等の政治モラルばかりを追求し、政策理念や内容に焦点を当てない。表面的なイメージばかりを重んじて綺麗事を良いとする。世間はそのスキャンダルにしか興味を示さない。マスコミは本当に大事な事を隠して、世間一般には伝えていない。本質では無く、表面の内の一部分のみを伝えているのである。
 著者は、「自分の頭で考える ― 本質論の時代」を唱える。

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  ・2012/11/21付:「原発・日テレ・CIA~第二次大戦後の裏面史」
  ・2015/08/13付:「前例から原発爆破の脅し、核の傘による平和の享受、真の独立の為の核兵器開発、偉大な微生物群」
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  ・2016/04/10付:「確たるベース・根拠の裏付け無き世間の低次元の評価を恐れる事により偽善・欺瞞・裏切りの罠に陥る」
  ・2016/04/10付:「『希望的観測』で曇らせた眼鏡で夢・幻想を見ている世間の人達・・・現実、本質、そして運命が見えず」
  ・2016/05/08付:「北朝鮮でも実証、有用微生物、発酵食品による除染・・・『放射能汚染 だまされてはいけない!?』を読む」

 参考文献
「コミュニケーションは、要らない」(著者:押井守氏、出版社:幻冬舎、出版日:2012/03/30)
「コミュニケーションは、要らない」(著者:押井守氏、出版社:幻冬舎、出版日:2012/03/30)


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