狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

「希望的観測」で曇らせた眼鏡で夢・幻想を見ている世間の人達・・・現実、本質、そして運命が見えず

2016-04-10 15:14:47 | 世間・空気
 世間の多くの人達は、「こう成って欲しい」、「ああ成って欲しい」等と、人に対して、或いは物事、自然環境、景気等に対して自分勝手な思いを抱いている
 これは、自分の欲望を基準にした「希望的観測」である。その自分の欲望・願いで眼鏡を曇らして「希望的観測」をすると、人・物事の現実が見えなくなる
 相手の人を真に理解しようとせず、物事の本質を見ようとしないのは、自分の希望・欲望の通りに見ようとしているから、その様に見えてしまうのである。現実・本質を見ず、夢・幻想(ファンタジー)を見ているに過ぎず、勝手な思い込み、勘違いをしているに過ぎないのである。
 また、希望的観測をしたところで、「運命」は定められているのである。自分の希望・欲望に適わないからと言って、神の定めである「運命」は避ける事が出来ない
 「目標」といえば聞こえは良いが、所詮、その「目標」も自分の勝手な欲望から生じたに過ぎないものが多い。創造主の定めた運命の方向が右であるのに、自分の欲望を基準にして立てた目標・計画が左への方向であれば、一生かけても目標達成となる訳がなく、所詮は「絶望」に至るだけである。
 その事が解ると、主に委ねる事を悟り、「成る様に成る」と気楽に、ストレス無く、何が起きても精神的に動揺せずに泰然自若・確乎不動の精神を得る事が出来る。
 聖書には、預言者によって書かれた言葉が存在する。その神から預かった言葉である「預言」の中には「運命」を意味する事も多く書かれている。
 世界最終戦争この世が終わる事、グローバリズムの先の世界政府樹立、ハイパーインフレの起こる世界恐慌、大地震、隕石落下等、新約聖書のヨハネの黙示録や旧約聖書のエゼキエル書、ダニエル書等に書かれている。「ハルマゲドン」はカルトや新興宗教の言葉ではなく、元々は聖書に書かれている地名である。
 聖書を嘲笑し軽んじて馬鹿にする人達は、自分の「希望的観測」を基にして、それらの預言を信じようとはしない。その様な事を言おう者なら「頭がいたい人」等と嘲笑してレッテルを貼るのである。
 「ノアの日」が訪れて大洪水が起こる前も、大きな箱舟を建造していたノアを、それを見ていた周囲の人達は嘲笑して馬鹿にしていたのである。「ロトの日」が来る前も、ソドムとゴモラにおいてロトの周囲の人達は同性愛等の淫蕩・遊蕩にふけっていた。そしてそれぞれの日が訪れた時に、創造主の裁きが下り、周囲の人達は滅ぼされたのである。
 災害等を減災する為に「備え」をする事が必要であるが、それは外面の物質的・金銭的な備え・備蓄の事をのみ言っているのではない。「内面的備え」が必要である。それは「悔い改め」である。身体の健康の為に生活習慣改善を行うが、心・精神の改善の為に悔い改めるのである。それが、終末期における心の備えである。
 人を恐れるのでは無く、主を恐れる事が正しいのである。主が「運命」を定め、それは絶対であり、従わざるを得ないのである。

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   ・2013/10/26付:「『自然死』とは、死の時を、他人に決められるもの(=殺人)では無く、自分で決めるもの(=自殺)でも無く、創造主によって決められるもの(=運命)で、その運命を素直に受け入れて大きく委ねる事・・・『大往生したけりゃ医療とかかわるな~『自然死』のすすめ』を読んで」
   ・2013/10/26付:「自分の『欲望の奴隷』とならずに、創造主の『御心』を知って、それに委ね従う事が必要・・・『しがみつかない生き方―『ふつうの幸せ』を手に入れる10のルール 』を読んで」
   ・2013/11/11付:「神の『御心』である『運命』を素直に受け入れると言う事・・・『置かれた場所で咲きなさい』を読んで」
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