狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

My Testimony/僕の証<1-1/2>:しんどい49歳のゆらぎ世代に在る僕の失敗トラブル続き、一瞬の此の世に居れない事を甘受し後の永遠の命を重視/Eternal Life in Heaven

2019-01-31 08:56:12 | エッセイ・コラム
 ※ 本シリーズの記事は、昨年(2018年、平成30年)の内に投稿する予定であった為、本文中の「本年」とは2018年(平成30年)の事であり、訂正するには膨大な数に対応する為の手間と時間が必要となる為、敢えてそのままにしている事を御容赦願います。

 My Testimony & Witness
  僕の証<1>
    ~「しんどい」49歳の「ゆらぎ世代」に在る僕の失敗・トラブル続き
     「一瞬の此の世」に「居れない」事を甘受し「後の永遠の命」を重視
     「無限の螺旋」の「次元上昇」で得る「純粋無垢」の為の処世術「イエス・キリストと繋がる真の強さ」
     「純潔主義」
     Eternal Life in Heaven
     Level Rise in Infinite Spiral
     Chastity, Pure Purity
     The true strength which connect with Jesus Christ


 
 



 新約聖書・ヤコブの手紙1章2~4節
   私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。
  信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。
  その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。

 The New Testament・The Epistle of James 1:2~4
   Count it all joy, my brothers, when you fall into various temptations,
  knowing that the testing of your faith produces endurance.
  Let endurance have its perfect work, that you may be perfect and complete, lacking in nothing.


 先ず最初に、ここに書く冒頭の文章は、この記事と共にその後に続く一連の記事を書いた後に記載しているものである事を、予め断っておく。
 僕は、この記事、及びこの記事に続く此の度の「僕の証」シリーズ(1)~(8)の記事は、最初から「僕の証」をするつもりで書いたのでは無かった。僕の近況や、僕の最近の精神と心に於ける、変化や不安定さについて、先ず分析し、検証し、そして整理して纏める事によって、先に僕自身の足元、心を固めておこうと思った。
 もし「不安定」なままであれば、此の後に行っていく様々な事に於いて、「集中力」等の力を発揮する事は出来ず、結果には繋がらない。
 そしてその後に、今に至って明確化した僕の「目的」、つまり、「歴史修正」や、「マスコミ修正」、「世間の常識・空気・価値観の破壊」を目指す為に、書き物等を通して行うつもりであった。そして勿論、「神様の御計画」を常に意識し、従って行きたい。僕のその「目的」が、「神様の御計画」の内に在るのかどうかは正直解らないが、僕としては、信じたい。
 そして、この一連の記事を書いていく内に、僕は「自分の意志」では無く「偶然」に、「証」をしている事に気付いたのだった……。

 以下、ウィキペディア「証 (キリスト教)」より、

 「証(あかし、testimony、witness)。キリスト教では、神様から頂いた恵みを人に伝えることを『証(あかし)をする』と言う。似た表現に、『分かち合う』という言葉があるが、これは少人数で深く話し合うような場合に使われる。大勢の人の前で、発表する場合は『分かち合い』ではなく『証』または『立証』というのが一般的。救世軍では『証言』(読み方は『あかし』)と表記する。
 神の恵みに感謝することはもとより、神を誉め讃える点がポイントである。まれに牧師や司祭による説教と同じく、高度な神学理論を用いたものとなることもある。プロテスタントにおいてはしばしば礼拝の中で時間を割いて信徒による立証が行われるが、牧師による説教が聖書の解き明かしであるのに対し、立証は自らの体験に基づいて神の恵みを参列者と共有することであるという相違がある。また、キリストを信じるに至っていない人に対して証をすることも大切なことだと考えられており、福音伝道の主要な手段の一つでもある。
 さらには、生活の多様な場面において信仰に基づいた選択および行動をとることも証と呼ばれる。クリスチャンは天国に迎え入れられることよりはむしろ、イエスが説教を通じて伝えたことを地上においてどのように生かしていくかということに主な関心を抱く。いわば、クリスチャンの生涯とはそれ自体が証である。」

 (以上、ウィキペディア「証 (キリスト教)」より)

 以上ここまでが、後から追記したものである。

 僕は現在49歳。この49歳前後は「ゆらぎ世代」であるという。
 「ゆらぎ世代」を迎えるに当たり、女性の場合は閉経や女性ホルモンの低下等と更年期に入り、男性も同様に体調の変化や不調、未病等の不定愁訴を抱く様になる。僕自身にも、その事は当てはまる。
 人体の恒常性、体力を支える免疫系、神経系、ホルモン系、代謝酵素が減弱していき、筋肉量も減る事から基礎代謝量が落ちていく。しかしそれらだけでは無く、食べ物に含まれる農薬や化学合成添加物が代謝されず身体の内部に長年蓄積されて来た結果として、また歯科医院で詰めてもらい被せてもらった水銀と他の金属との合金であるアマルガムを使った銀の補修物の影響、病院で処方された薬や予防の為に打たれたワクチンの中に含まれているチメロサール(水銀)やアジュバント(避妊剤)をはじめとした様々な有害・毒性添加物質の残留・蓄積の影響、飲酒のアルコール、僕自身は今まで吸ったことが無いが(但し受動喫煙は有る)タバコの喫煙、支那(中国)に多く見られる光化学スモッグの原因となる有害物質の吸引、アスベスト(石綿)やグラスウールをはじめとした工場、建材、家屋に存在する有害物質等の影響が、自分自身に意識され始める頃となる。
 また、それら未病、不定愁訴の段階で癌をはじめとした病気になる種、可能性の有るもの、或いは病気を見つけて治療しようとしてする予防医療の一環として、先のワクチン接種の他、健康診断、職場検診、人間ドック、脳ドック、癌検診等が行われ、X線撮影(レントゲン)やCT撮影による放射線被爆、バリウムの悪影響等の為に、却ってそれらが原因となる「医原病」も発現する事となる。
 自分自身の心身の内面が原因となるだけではなく、外側から、周囲からの影響も存在する。会社での世代交代、リストラ、パワハラ、セクハラ、商売・ビジネス上のイザコザ、自宅の近所との揉め事、付き合い上のトラブル、両親の介護、家計の遣り繰り、また僕自身は独身なので関係無いが、子供の学校でのいじめ等のトラブルからの悩み、進学や就職、結婚、独立等と、何かとストレス、圧力が覆って来る。
 僕は、今まで会社、職場を転々として来た。此の間、アルバイトも含めて数えてみると、50以上を数えた。鉄工所のみに限っても、20以上を数える。江戸時代には「渡り職人」が多く存在し、道具箱を片手に仕事の有る所を転々として渡り歩いていた。また明治以前、山の民「サンカ」達は、戸籍も持たず山奥、山上に転々と住まいを変えた。更に、映画の寅さん(車寅次郎 )は、フーテンとして旅する等して常識外れ、型破りに生きた。
 僕はその様に転々とする中で、「行雲流水」(=「物事に執着せず、淡々として自然の成り行きに任せて行動することのたとえ」(goo辞書より))、成るように成るとの思いで今日まで来た。その事から、例えリストラされクビになろうとも、パワハラや嫌がらせ、いじめ、難癖を付けられようとも、無理に我慢をせず、さっさと別の所へ行った方が良いと考える事が出来る。確かに、ある程度の忍耐は必要である。しかし神様は試練を与えても耐えうるものを与えると同時に、逃げ道も用意して下さる。

 
 



 新約聖書・コリント人への手紙 第一10章13節
  あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。

 The First Epistle to the Corinthians 10:13
  No temptation has taken you except what is common to man. God is faithful, who will not allow you to be tempted above what you are able, but will with the temptation also make the way of escape, that you may be able to endure it.
 

 
 



 ヤコブの手紙1章12~16節
   試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。
  だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。
  人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。
  欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。
  愛する兄弟たち。だまされないようにしなさい。

 The Epistle of James 1:12~16
   Blessed is a person who endures temptation, for when he has been approved, he will receive the crown of life, which the Lord promised to those who love him.
  Let no man say when he is tempted, “I am tempted by God,” for God can’t be tempted by evil, and he himself tempts no one.
  But each one is tempted when he is drawn away by his own lust and enticed.
  Then the lust, when it has conceived, bears sin. The sin, when it is full grown, produces death.
  Don’t be deceived, my beloved brothers.


 忍耐・謙遜・信仰・感謝・慎重と共に、此の世の終末に当たり、Preparation、心構え、覚悟、後の世である天の御国に入る為の心の準備、備えである「悔い改め」が必要である。一つの会社や学校に長期間安定して「居れない」だの、近所とのトラブル等で同じ家に続けて「居れない」だの、世間・周囲からのバッシングによって街中に「居れない」だの、一時的であり高々精々100年有るか無いかの此の世の生よりも、「後の永遠の命」を重視するべきである。会社、学校、街中、世間、社会に「居れない」としても、「居場所」が無くとも、後の天の御国に永遠に居れたらよいのである。此の世の生命は「一瞬」である。 
 しかし此の世に生まれたからには、意味の有るものにしたい。創造主、神様の御心に適った生き方が真実である。それは決して、周囲の大多数の抱く欲望に適う事では無い。自分自身に試練をも含めた「神様からの恵み」が与えられ、タラント(才能)としての個性、それらを用い活かした生き方、使命、宿命、運命として、此の世に於ける僕自身の役割を想い懐き、それを実行していく。
 陽明学は、新約聖書と似ている。「知行合一」(=「知識と行為は一体であるということ。本当の知は実践を伴わなければならないということ。」(goo辞書より))を共に説いている。しかし、何も実行と言っても、外に出てパフォーマンスを行うが如く、演説したり講演、説教して回る事だけでは無い。現代にはSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)が存在し、ブログ、フェイスブック、ツイッター、YouTube等の動画に投稿する事も実践である。また、研究、検証、勉強、キュレーション、データ・マイニングをする為の読書や検索、をする事も実践である。それらの実践は、大抵の場合は「引きこもり」が必要となるが、周囲のレジャーやショッピング、グルメ、博打に明け暮れている様な世間の大多数の人達からは誤解され易い。僕は、その様な世間の大多数こそ、意味の無い人生を送っている様に見える。最近は、SNSを駆使したライターや編集者等のフリーランスで活躍されている方々も多い。それらの方々はその事でマネーを稼ぎ飯を食えているが、僕がここで書いている事は一銭にも生っていない。そして、僕のそのお金に生らない事を、ただの趣味として誤解して捉えられる事が多い。
 ボランティアや親の介護、子育て、主婦の家事労働も、直接的に金銭には繋がってはいないが、立派な「仕事」である。それどころか、親の介護や主婦の家事労働は「義務」と「責任」が伴う。尤も、夫婦共働きの場合は夫婦で分担して家事を行う事は必要である。また、NPO法人は名目上は「Not-for-Profit Organization」(非営利団体)を宣伝として謳っている。それらの様に、何もお金に生るものだけが「仕事」では無い。
 人それぞれが個性としてのタラントを持ち、それに応じた使命、運命が在る。自然と運命に委ね、使命を行う事が、神様の御心に適う事となる。宿命は、神様の御計画である。全ては絶対者である神様によって決められる。障がい者の方々は、健常者と比べて出来ない事を持つ。その事も運命・使命である。悪口を言う口を持つ者は、正に口に「障“害”」を持ち口を慎み制御出来ない「発達障“害”者」である。
 寝たきりの方々には生産性が全く無いと思っている人達が多いかもしれない。しかし寝たきりの方々は、その立場、症状、そしてタラントを使命として活かして、看護や介護する人達の心の奥から優しさを引き出す事が出来、そして世界の平和と安寧を神様にお祈りする事も出来、その事は神様と国民との間での仲介を為される大祭司であり全神社の頂点に立つ天皇陛下が行っておられる事と同じ事であり、「尊いこと」、「尊敬されるべき事」である。
 












 新約聖書・マタイの福音書25章14~30節
   天の御国は、しもべたちを呼んで、自分の財産を預け、旅に出て行く人のようです。
  彼は、おのおのその能力に応じて、ひとりには五タラント、ひとりには二タラント、もうひとりには一タラントを渡し、それから旅に出かけた。
  五タラント預かった者は、すぐに行って、それで商売をして、さらに五タラントもうけた。
  同様に、二タラント預かった者も、さらに二タラントもうけた。
  ところが、一タラント預かった者は、出て行くと、地を掘って、その主人の金を隠した。
  さて、よほどたってから、しもべたちの主人が帰って来て、彼らと清算をした。
  すると、五タラント預かった者が来て、もう五タラント差し出して言った。『ご主人さま。私に五タラント預けてくださいましたが、ご覧ください。私はさらに五タラントもうけました。』
  その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』
  二タラントの者も来て言った。『ご主人さま。私は二タラント預かりましたが、ご覧ください。さらに二タラントもうけました。』
  その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』
  ところが、一タラント預かっていた者も来て、言った。『ご主人さま。あなたは、蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めるひどい方だとわかっていました。
  私はこわくなり、出て行って、あなたの一タラントを地の中に隠しておきました。さあどうぞ、これがあなたの物です。』
  ところが、主人は彼に答えて言った。『悪いなまけ者のしもべだ。私が蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めることを知っていたというのか。
  だったら、おまえはその私の金を、銀行に預けておくべきだった。そうすれば私は帰って来たときに、利息がついて返してもらえたのだ。
  だから、そのタラントを彼から取り上げて、それを十タラント持っている者にやりなさい。』
  だれでも持っている者は、与えられて豊かになり、持たない者は、持っているものまでも取り上げられるのです。
  役に立たぬしもべは、外の暗やみに追い出しなさい。そこで泣いて歯ぎしりするのです。

   ※1タラント=6,000デナリ、1デナリ=当時の1日の労賃に相当、タラント…貨幣単位、才能

 The New Testament・Gospel of Matthew 25:14~30
   “For it is like a man, going into another country, who called his own servants, and entrusted his goods to them.
  To one he gave five talents, to another two, to another one; to each according to his own ability. Then he went on his journey.
  Immediately he who received the five talents went and traded with them, and made another five talents.
  In the same way, he also who got the two gained another two.
  But he who received the one talent went away and dug in the earth, and hid his lord’s money.
  “Now after a long time the lord of those servants came, and reconciled accounts with them.
  He who received the five talents came and brought another five talents, saying, ‘Lord, you delivered to me five talents. Behold, I have gained another five talents in addition to them.’
  “His lord said to him, ‘Well done, good and faithful servant. You have been faithful over a few things, I will set you over many things. Enter into the joy of your lord.’
  “He also who got the two talents came and said, ‘Lord, you delivered to me two talents. Behold, I have gained another two talents in addition to them.’
  “His lord said to him, ‘Well done, good and faithful servant. You have been faithful over a few things, I will set you over many things. Enter into the joy of your lord.’
  “He also who had received the one talent came and said, ‘Lord, I knew you that you are a hard man, reaping where you didn’t sow, and gathering where you didn’t scatter.
   I was afraid, and went away and hid your talent in the earth. Behold, you have what is yours.’
  “But his lord answered him, ‘You wicked and slothful servant. You knew that I reap where I didn’t sow, and gather where I didn’t scatter.
  You ought therefore to have deposited my money with the bankers, and at my coming I should have received back my own with interest.
  Take away therefore the talent from him, and give it to him who has the ten talents.
  For to everyone who has will be given, and he will have abundance, but from him who doesn’t have, even that which he has will be taken away.
  Throw out the unprofitable servant into the outer darkness, where there will be weeping and gnashing of teeth.’


 現在「ゆらぎ世代」真っ最中の僕。一昨年(2016年)末の12月(47歳時)に、3年間居た鉄工所を、人間関係のトラブルからクビに成り辞めた。其処に務めていた間は比較的安定し、収入だけでは無く、生活をパターン化する事が出来、職探しの為に時間を潰す必要も無く、プライベートにおいて行う事にも比較的、集中する事が出来ていたのではないかと思う。但し、その頃は未だ、ブログ、書き物等も、趣味、或いは趣味に少し毛が生えた程度でしかなく、その事が使命等とは考えて無かった。
 しかし、2016年11月にアメリカでトランプ氏が大統領に当選した事やその他諸々、一昨年末に3年間勤めて居た鉄工所を辞めた後は会社を転々、その過程に於ける周囲からのバッシング、自分を更に今一度見つめ直す等から、僕自身の内面が 「ゆらぎ」、昨年(48歳時)からは精神面や生き方により一層の「ゆらぎ」が生じた様に思える。
 僕は、昨年の3月末~5月中頃までのおおよそ2ヶ月間に空白期が在ったのであるが、その間、世界ではアメリカの偽旗・自作自演シリア侵略攻撃やアメリカと北朝鮮との一触即発の緊張等大きな出来事が起こり、それと並行する形で、僕自身は書き物に目覚めたというか、ブレークした様な感が在った。その間、僕は書き物や読書に集中した。
 その後、会社を転々とする中で周囲からのバッシングも重なり、「しんどい」と思え、11月頭~今年に入った5月末までの7ヶ月の間、思い切って休暇を採った。最近、学校でのいじめや会社でのパワハラ等のストレスから「しんどい」と訴える人達が多く、リタイアするどころか自殺してしまう者達が多い。僕はその間、周囲の寝静まった夜中に起きて、書き物に集中した。夜中は世間と反対の生活で、雑音も無く、周囲に影響を受ける事が無く、心穏やかにして集中出来た。集中には、煽り立てられて影響を受ける事無い、心の安定が必要である。煽り立て、挑発を受けようとも、泰然自若、確乎不動の心が築けていれば良いのであるが、完璧では無い僕は、所詮弱い。
 その「ひきこもり」の状態に於いて折角、心や考えが純粋に成っていたのが、世間の俗塵に影響されるや否や、丁度出だした頃から調子が狂っていた。それまでのパターンが崩れたという意味だけでは無く、身体の調子は兎も角、精神面、心が不安定となってしまった。そしてその後、自らのせいで招いた、或いは偶然に重なったトラブルや失敗が続く事となった。

 ざっと挙げると次の様なものである。
 5月には、近所とのトラブル、周囲の反応に対して過敏に反応した事、妹の引っ越し時のトラブル。
 6月には、派遣社員として入った大手菓子会社でのトラブル、再び近所とのトラブル、そして新たに鉄工所に入社。
 7月には、広島や岡山、愛媛をはじめとした西日本を中心とした大雨大水害で多くの方々が犠牲になられる中、その影響からかそれまで1Mbpsにも満たないスピード(概ね0.7Mbps程)ながら使えていた12Mbps契約ADSL回線のインターネットが大幅にダウンし、0.02Mbps程にまで落ち込むトラブルとなった。更に、会社でのトラブル、長期休暇の後で体力が落ちイマイチ調子が優れない状態で猛暑の中、独り大きめの品物(製缶物)を作り、それを最後に8月頭に退職した。
 8月頭に退職し、その後3週間程は、長期休暇の間にも遠ざかっていた事もあって、読書に集中する事にした。その間、書き物は行わなかった。一度にバランスを採って行うのは、僕にとってはなかなか難しい。僕は不器用であり、マイペースである。その読書は特に、長期休暇時に研究の為に購入しておいた、「ドイツ旧ナチスによるユダヤ人ホロコーストは全く無かった」という事の関連書物を中心にしてのものであった。「ドイツ旧ナチスによるユダヤ人ホロコーストは全く無かった」事は、「旧日本軍による南京大虐殺は全く無かった」と同じく知っていたが、更に奥深く検証し研究して知識を得たいとの思いからである。ドイツも日本も敗戦国であるが故に、嘘の歴史、「フェイク・ヒストリー」を押し付けられているのである。現在の国連安保理は先の世界大戦の戦勝国で固められたままであり、戦後体制は続いている。
 その間に父の墓へ「追懐」の為に行ったが、僕はクリスチャンなので、墓で線香を上げる事も無く、墓を拝む事もしない。そして勿論、戒名も必要無い。「千の風になって」と同様に、墓の中に故人は存在しない。

 次は、預言者モーセが創造主から授かった石板に書かれている、俗に言われるモーセの十戒である(①~⑩)。
 










 旧約聖書・出エジプト記20章1~17節
  それから神はこれらのことばを、ことごとく告げて仰せられた。
   「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。
  あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。・・・①
  あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。・・・②
  それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、
  わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。
  あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。主は、御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない。・・・③
  安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。・・・④
  六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。
  しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。――あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も。――
  それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。
  あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。・・・⑤
  殺してはならない。・・・⑥
  姦淫してはならない。・・・⑦
  盗んではならない。・・・⑧
  あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。・・・⑨
  あなたの隣人の家を欲しがってはならない。すなわち隣人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。」・・・⑩

 The Old Testament・The Book of Exodus 20:1~17
  God spoke all these words, saying,
   “I am Yahweh your God, who brought you out of the land of Egypt, out of the house of bondage.
  “You shall have no other gods before me. ・・・①
  “You shall not make for yourselves an idol, nor any image of anything that is in the heavens above, or that is in the earth beneath, or that is in the water under the earth: ・・・②
  you shall not bow yourself down to them, nor serve them, for I, Yahweh your God, am a jealous God, visiting the iniquity of the fathers on the children, on the third and on the fourth generation of those who hate me,
  and showing loving kindness to thousands of those who love me and keep my commandments.
  “You shall not misuse the name of Yahweh your God,for Yahweh will not hold him guiltless who misuses his name. ・・・③
  “Remember the Sabbath day, to keep it holy. ・・・④
  You shall labor six days, and do all your work,
  but the seventh day is a Sabbath to Yahweh your God. You shall not do any work in it, you, nor your son, nor your daughter, your male servant, nor your female servant, nor your livestock, nor your stranger who is within your gates;
  for in six days Yahweh made heaven and earth, the sea, and all that is in them, and rested the seventh day; therefore Yahweh blessed the Sabbath day, and made it holy.
  “Honor your father and your mother, that your days may be long in the land which Yahweh your God gives you. ・・・⑤
  “You shall not murder. ・・・⑥
  “You shall not commit adultery. ・・・⑦
  “You shall not steal. ・・・⑧
  “You shall not give false testimony against your neighbor. ・・・⑨
  “You shall not covet your neighbor’s house. You shall not covet your neighbor’s wife, nor his male servant, nor his female servant, nor his ox, nor his donkey, nor anything that is your neighbor’s.” ・・・⑩


 尚、その石板は、契約の箱と共に、なんと、日本に存在するとの事である。さて最近の僕のトラブル列挙に戻る。
 その墓への「追懐」後の帰宅時とその後、近所とのトラブルが有った。その事をきっかっけとしてか、翌日はまた、独り言を延々と続けてしまう「症状」が出た。長期休暇を採る事となる昨年11月頭にも母方の墓へ「追懐」しに行ったのであるが、同時に行われていたイベントでの出来事をきっかけとして、その「症状」が3日連続で出ていた。その結果、直後に「しんどい」と電話を入れて休み、そのまま長期休暇に繋がった。
 「症状」ではあるものの、唯の気狂いと成っている訳では無い。その証拠に、その休み始めた長期休暇の初日に、「Preparation」、後の天に昇る前に必要な心の準備、悔い改めを含む、僕が今後に於いて此の世で生きて行く上での心構え、覚悟を整理して簡潔にまとめて記したものを、書斎の机の前に貼っている。これを読むならば、気狂い等とは到底思えないはずである。
 僕が傍から一見すると恰も気狂いの様に見えているかもしれない独り言は、自分では論理的で、哲学的であると自負している。こうして書き物をしている最中も、その後に発信するにしても、その間は独り言である。「壁に耳有り、障子に目有り」、独り言が無駄にはならず、まるで宇宙人の様にしてテレパシーで伝わっている可能性も有る。この様な事を言うと、更に気狂いと誤解されるかもしれない。独り言は、心や頭の整理にも繋がる。また、お金を稼ぐ為の鉄工所の仕事で、図面を見て確認しながら行う事も出来る。しかし少なくとも、何時も、何処でも、天の神様は見て聴いて「居られる」。
 その症状、気狂いでは無いものの、以前から知っており、気付いており、当てはまると思っていたものであるが、偶に出る症状、軽い症状ではあるものの、僕は「強迫性障害」(強迫性神経症)や「HSP」(ハイリー・センシティブ・パーソン)に当てはまると思い、またこの度、その事を素直に自分の内で認めた。それは飽くまで自分で分析した結果であって、決して医者に診てもらった訳では無い。医者、特に精神科の医者は当てにならない。精神科は、レントゲン撮影での骨折の診断や、血管造影による動脈瘤診断の様な事も出来ず、鬱病をはじめ様々な精神疾患と診断する為の確かな根拠、定義は存在しない。鬱病の薬を処方された患者というレッテルを貼られた方々は、インフルエンザ治療薬を服用する事で飛び降り自殺している数多くの事例と同様に、薬で却って慢性化、及び悪化している。その様な対症療法は、逆効果である。「強迫性神経症」や「HSP」については、本ブログの本シリーズの別記事、2019年1月31日付、『My Testimony/僕の証<2-1/2>:僕の成熟過程「試練の時期」の「敏感期」と「アセンション」に伴う「強迫性神経症」と「HSP」、エビデンス無き精神科医療、予防医療で作られる「医原病」』と、『My Testimony/僕の証<2-2/2>:僕の成熟過程「試練の時期」の「敏感期」と「アセンション」に伴う「強迫性神経症」と「HSP」、世間の精神面での「空気感染」、「毒」でしかない薬とワクチン』に綴る。
 その症状を素直に認めたり、「自己実現」は出来ずに「神実現」でないと不可能である事を悟り、自分の能力は大したものでは無い事を悟った時、神様に在る(繋がる)事が出来、本当の強さを得る事が出来る。

 
 



 新約聖書・コリント人への手紙 第二12章9~10節
  しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。
  ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。

 The New Testament・The Second Epistle to the Corinthians 12:9~10
  He has said to me, “My grace is sufficient for you, for my power is made perfect in weakness.” Most gladly therefore I will rather glory in my weaknesses, that the power of Christ may rest on me.
  Therefore I take pleasure in weaknesses, in injuries, in necessities, in persecutions, and in distresses, for Christ’s sake. For when I am weak, then am I strong.


 8月末から再び動き出し、直ぐに新たな鉄工所に入った。しかし、初日の帰宅後に洗濯をしていたのであるが、突然、17年間使用の洗濯機が壊れてしまった。何回かに分けて洗濯した最後の分である。既に夜中、しかもその日は睡眠を取らずに急ぎの投稿をスピード0.02Mbpsのインターネット・ダウンの中で行った為に、「しんどい」。そして、洗濯機も急ぎで必要な為、真夜中にネット・ダウンの中でネット・ショッピングにて発注するのに時間がかかった。そうする内に翌日の朝、一昨日の夕方から続けて寝ずに起きていて「しんどい」。その朝、「しんどい」という理由で休んだ。そして、休んだ事で立ち止まって考え、自分に合わないと思い、その会社を辞める事にした。
 9月に入り、依頼されていた母の店の止水栓と湯沸かし器の水道の修理を行った。ホームセンターにて部品を買い、合計\1,300程で済み、安く上がった。
 ネット・ダウンから2ヶ月、依然回復しない為に、ADSLとNTT回線の解約とWi-Fiの新規契約を行った。自宅が一戸建てであり、光の工事費は高く、今までと変わらないか、或いは安くなるかとキャッシュバック等を含めた料金を比較し検討した結果、それを選ぶ事にした。しかし、自宅の周囲は家に囲まれて密集し、有線の光と異なってWi-Fiの電波は安定せず、また、よくよく考えてみると、無線の電磁波は身体に悪影響をもたらす。Wi-FiやBluetooth等のワイヤレスの電磁波は、医療で使われているX線やγ線等の放射線よりは周波数が低くエネルギー強度が低いものの、同様である。耳に当てて携帯電話を長時間使い続けたり目覚まし時計代わりに枕元に置き続ける事で、脳腫瘍等が出来る可能性が有る。妊婦のお腹の中の胎児や保育園の子供等にも、悪影響が有る。他にも、スマートフォンの画面やパソコンの液晶モニター、LEDランプ等から発せられる「ブルーライト」による、眼や精神への悪影響も有る。電磁波を浴びる事によっても、身体や精神面、心の不調、不定愁訴、「しんどい」に繋がっている可能性が有る。
 そして丁度、Wi-Fiの新規申込を行った日に台風が通過した影響で、玄関のインターフォンが故障した。ずっと成り続ける症状が出たがインターフォンの親機からである事や玄関の子機のボタンを押しても鳴らない事に気付かず、約2周間後、とりあえず応急的な処置をして直した。
 また丁度その同じ頃、僕のおじに当たる方が亡くなられた。
 Wi-Fiのターミナルが届き、これでやっとネットの調子が良くなると思いきや、今度はパソコンのタスクマネージャーでディスク100%を維持し重く動かない症状のトラブルが発生した。原因は8年半使用のパソコンに最初から内蔵してあったハードディスクにセクタ不良が多発していた事であったのであるが、新しいHDDに交換するまでに、段階を経て最終的にクリア・インストールまで行ったトラブル対策を実施した事で、非常に時間を費やしてしまう事となった。
 HDDを交換して漸く、と思ったのも束の間、今度はパソコンのディスプレイがチラツキ始め、その1週間後、映らなくなってしまった。PC本体とセットで購入し使い始めたそのモニターの故障原因は、液晶パネルのバックライトの寿命である。
 10月に入り、お金に余裕も無く、「飯の種」を探すべく、職業安定所を通して20年程前に2年間勤めていた鉄工所に入る事となった。以前、上司に相当し工場長で年配でベテランの職人(当時、僕は30歳前後で若かった)の言う事を聞かなかった事から、クビになった会社である。それと同じくして、今度はATM(現金自動預け払い機)で暗証番号を数回、間違えた事から、キャッシュカードの再発行を依頼する事となった。
 久しぶりの会社に入ったものの、会社のカレンダーをよく眼を凝らして見ると、僕が最も重視していた「土日休み」が隔週程しか無いのである。僕はこの度、「飯の種」を探すに当たり、求人情報で「土日休み」かどうかを第一に見ていた。そして、入って1周間程経った朝、求人情報では毎週週休二日と書いてある事と異なる事を理由に辞めるつもりで話した。その翌日、その事も影響してか、「売り言葉に買い言葉」、別の理由で辞める事にした。

 何故、僕が「土日休み」に拘るのか?。それは、こうした物書きや読書、研究、検証等と、出来る限りのバランスを取る為である。僕にとっては正直、今に至っては、僕を雇っていただいている方、使って頂いている方には申し訳ないが、鉄工所の仕事、製缶の仕事は「飯の種」、生計を立てる為の「手段」でしかなく、それが決して「目的」では無い。「手段」と「目的」とは異なる。僕には、物書きを「飯の種」に出来る程の才能は無い。しかし、お金に生らないからといってその事を止めていいとは思わず、行い続けるべきものであると思い、前述した様にお金に生る事だけを「仕事」と呼ぶのでも無い。昔は、否、つい最近、数年前までは、その様な「目的」も無かった事もあり、特に若い頃は夜の9時や10時までの残業や日曜日の休日出勤をよくしたものだった。またその頃は、偶の休み毎に趣味の魚釣りに行っていた程、今にして思えば「タフやったナァ」と自ら当時の自分について感心してしまう程である。因みに、今まで職場を転々として来ながらも、以前は新築マンションに住んでいた。税金や社会保険料も払って来ている。高校中退で学歴も無く、巷の公務員や大企業に勤めている者達と比較しても、町工場を転々として来た僕は、給料は安かった。残業や休日出勤で稼いでいた訳である。今は、飽くまでも「飯の種」。何が欲しいと言うような欲望も、殆ど無い。生計を維持する為と将来の為に少しづつ残していければ十分である。否、其処に奉仕(寄付)の分も付け加えておきたい。

 その会社を辞めた直後、お金に余裕が無く、或る派遣会社に当たってみた。僕自身、何ぼ「飯の種」として、「手段」としてしか考えていないけれども、探す上で自分に合うか否かの為のフィルターを持っている。「土日休み」もその内の一つである。職安の求人情報を見ても自分に合いそうな鉄工所が少ない為、「飯の種」、「手段」と割り切って、ある程度の許容範囲内であれば仕事の内容は何でも良いと、ネットから6件程の希望を未明に出してみた。同日午後、連絡が無い為に僕の方から電話を掛けた。その派遣会社を通す場合は履歴書は必要無く、僕が応募している件は誰でも出来る、素人が出来る、単純作業的なものであるのだが、僕の高齢を理由に撥ねるのならば解るが、駄目らしい。求人情報には即決と書いておきながら、書類選考等と矛盾した事を言い、派遣会社が勝手に独自に口頭の聞き取り等で一応書類は作成してはいるが、履歴書も無いのにどの様に選考するのか疑問に感じ、オペレーターに聴いてみた。そしてついでに、「あなた方は派遣社員の“ピンハネ”で食えているんでしょ?解っています?」と言っておいた。その後、連絡は全く無い。実際その昔、山口組とその関連会社が神戸の港湾労働者の派遣を行い、現在でも関係会社が引き続き行っている事と同様に、派遣会社にはヤクザ的な会社が多いと聞く。
 そして更に同日、昔勤めていた鉄工所で知り合いとなり、その後も趣味の海釣りの内の船釣りに誘い連れて行ってもらっていた鉄工界に於ける先輩から電話が有り、新しく立ち上げる鉄工所に誘われ、ほぼ僕の希望通りという事もあって、現在、その個人事業の工場に勤めている次第である。その後、今日までの約1ヶ月間、遅刻はしているものの、トラブルは起きていない。そして8月以降から現在まで、再び精神面と心の安定が復活して来た。

 さて、長期休暇の後、何故、精神面や心が不安定になってしまったのか?。確かにそれ以前、昨年から、その兆候は伺えていた。
 僕は49歳、一般的に言われている「ゆらぎ世代」真っ最中。僕の場合も、今まで事ある毎に、又、日々の暮らしの中で繰り返し行って来た内省、内観によって自分を知り、「目的」がはっきりとし、「手段」との区別が明瞭となり、今後の「Preparation」も明確となる中で、今現在は「変革期」である様に思う。例え保守的に漸進的に変革していくにしても、ある程度の動揺はその上で付きものであり、そういう意味で僕は現在揺らいでいる様に思う。
 しかし、そう簡単に揺らいでしまうのは、自分の心の中に礎、土台が出来ていなかったからではないのか?。クリスチャンと言いながらも、聖霊が心に存在していなかったからではないのか?。
 長期休暇に入る前、僕は周囲のバッシングや挑発、煽り立てを受けながら、聖書を依頼む様にして通読していた。その事で、必要で無い、意味の無い、低レベルな事に対する怒りを発する事を抑え、忍耐力を持つ事が出来ていた様に思う。それは恰も、プライバシーが侵害され、ストーカーされていた、古代ユダヤの王ダビデが、旧約聖書の詩篇の中に綴られている様に、常に主である神様にお祈りをしていた事から学ぶ事と同様である。旧日本軍が、支那(中国)の蒋介石軍から通州事件をはじめとした数多くの挑発を受けながらも忍耐を重ね、最終的に「止むに止まれぬ」気持ちとなった上で、堪忍袋の緒が切れて、自衛戦争の為に、現地の日本人を守る為に、南京に進出し、同時に南京の民間の支那人をも解放して救った事にも、見て学ぶ事が出来る。其処には、武士道の「義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義・克己」が見えるが、特に「勇」は「忍耐」、「敢為堅忍」とセットで捉えて考えなければ、「勇」だけでは却って卑怯、臆病となってしまう。怒りの感情を安易に力任せで、暴力に訴える事は、臆病、卑怯である。前述の自分の弱さを素直に認める事こそ、神様の力が覆い、真の強さに繋がっていく。
 しかし長期休暇の間、アメリカによるシリア征服失敗、アメリカによりエルサレムをイスラエルの首都として決定した事の失敗、イルミナティIOCによる平昌冬季オリンピックからのロシア排除、アメリカ・イギリス・フランスの三国連合による偽旗・自作自演の化学攻撃捏造後のシリア侵略攻撃、現イスラエル独立宣言に伴うパレスチナ人ナクバ(大災厄)70周年とアメリカの駐イスラエル大使館のエルサレムへの移転等と、大きな出来事が続いた事もあって、それら時事問題を追いかけるも、その急速で大量の流れから追っていくのも必死で、或いは追いつかず(僕のやり方、要領が悪いせいでもあるが)、その間はロクに読書も出来ず、結局はそれら多くの時事問題の情報に流されていたのではないかと思える。そして、それら多くの情報、出来事を処理出来ず、今後の予想される生活パターンの中での時間が無い中でそれをどう熟していけば良いのかといった焦燥感と不安感から、長期休暇の終盤は精神面に苛立ちが募ると共に、パニックに陥ったのかもしれない。またその長期休暇の間、書き物に集中するあまりに引きこもり、他の事に時間を割くのももったいなく感じ、それ故に外出する事が殆ど無く、運動する事も無かった。

 精神面と心が不安定な状態、神経症的、神経過敏な「症状」に陥ってしまった事についての対策、世間一般的な解決策として考えられるのは、先ず、海や山等の自然の中に身を置き自然に触れ合う事。波打ち際や森林浴ではマイナス・イオンやα波の効果でリラックス出来る。また、趣味に高じる事。僕自身、ここ3年半程行ってはいないが、魚釣りを趣味としている。かつて若い頃は、納期の無い(=納期までの日数が少ない)故の、また町工場、下請けとして薄利単価の品物の数を熟す為の、平日の残業や休日出勤の仕事の忙しさの中で、その趣味と自然に癒やされていた。また、そういう自然の中、特に澄んだ空気が在る中での深呼吸も良い。
 その他に、同じく僕が趣味としている読書、クラシックやイージー・リスニング、自然環境音楽を聴く事も、リラックス、精神の落ち着きをもたらす。また、映画やテレビ・ドラマを観て、小説、物語の空想の世界に浸る「現実逃避」をする事も効果があろう。同じくテレビのお笑い番組やバラエティ番組も同様であろう。笑いは、免疫力を向上させる。
 更に、僕自身もストレッチや水泳、ランニングを趣味としているが、運動は血行を促進し、ストレスを発散し、新陳代謝を促して、身体だけでは無く精神を蘇生させる。最近は、ストレッチに似たヨガが、世間の中ではブームである。また、同じく巷でブームとなっているのが、座禅である。座禅は心を「無」にしてリセット、初期化し、赤ちゃんや幼児期の頃の様な純粋な心の状態に戻す。パソコンもトラブルが起きた時、メモリやハードディスクを一旦初期化してクリアしリセットすると、調子が良くなる。僕自身も趣味として、「メディテーション」(“Meditation”)を行う。“Meditation”とは、黙想、熟考、熟慮、瞑想、内省、内観等の事である。更にそれは、「沈思黙考」、データ・マイニング、そして『神様への祈り』でもある。他にも、理解してもらえ、共感してもらえ、相互に信頼関係に在る、家族をはじめとした人達との交わりも、効果があろう。「飯の種」となる職場、或いは職に長期間安定して勤務する事によって、金銭・収入の安定だけでは無く精神の安定にも繋がろう。
 心技体のバランスが崩れる事も安定を損なう。教養、道徳を取り入れ、日々の生活に於ける家事等の一つひとつの「作務」を丁寧に行う修養や修行。食事に於いては無添加、無農薬の食材や納豆をはじめとした発酵食品、ハーブ等の香辛料を使って味覚、嗅覚からのリラックス。間違っても、薬を使ってはいけない。薬は毒であり、その多くが交感神経を優位にさせ、却って身体にストレスを与え、副作用を含めて逆効果、悪化、無効化(耐性化)、慢性化してしまう事となる。漢方薬は緩徐に効きマシであると言うが、薬には違いない。やはり、「自然療法」が良い。
 これらによって精神や心の安定、落ち着きを取り戻す事が出来る。しかし、その中で最も大事なのは、『神様への祈り』である。

 
 



 新約聖書・ヤコブの手紙1章5~8節
   あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。
  ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。
  そういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。
  そういうのは、二心のある人で、その歩む道のすべてに安定を欠いた人です。

 The New Testament・The Epistle of James 1:5~8
   But if any of you lacks wisdom, let him ask of God, who gives to all liberally and without reproach, and it will be given to him.
  But let him ask in faith, without any doubting, for he who doubts is like a wave of the sea, driven by the wind and tossed.
  For that man shouldn’t think that he will receive anything from the Lord.
  He is a double-minded man, unstable in all his ways.

 今まで、僕は何回か人生の中でターニング・ポイントが在った。……(「My Testimony/僕の証<1-2/2>」へ続く)

 「 My Testimony/僕の証<1> 」<1/2> ~ <2/2> ↓
  【1】 【2】


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