狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

職人と単なる労働者とは異なる・・・本当の喜びと誇り・・・「職人学」を読んで

2014-05-17 23:42:26 | 鉄工所・職人・町工場
 本当の喜びと誇りを持って、好きで楽しみながら仕事をする職人たち。
 「職人学」(著者:小関智弘氏、出版社:講談社、出版日:2003/11/12)
 本書を読みました。
 「小さな工場の旋盤の前に立って、その目の高さで、世のなかを見据えて書くということを続けてきた。どんな工場をたずね歩いても、どんな人とお逢いしても、その目の高さだけは変えなかった。先生とか作家と呼ばれることもあったが、俺は旋盤工だとみずからを戒めてもきた。卑下してきたわけではない。むしろ、旋盤を使ってものづくりをする工(たくみ)であることを誇りに感じながら働き、書き続けてきた。…(中略)…鉄を削ることが好きだから続けられた。」(本書、著者によるあとがきより。)
 著者は高校卒業後、約50年間一貫して旋盤工として働き、途中「渡り職人」の様にして勤める職場・会社を転々と変えながら「場数を踏む」事による自身の持つ経験と、働きながらの取材から得た多くの知見が、本書をはじめ、旋盤工として働く傍ら作家としての執筆活動によって出された多くの著書に記されて有ります。元々が作家としての才能も持ち合わせていたのでしょうが、豊富な語彙と鋭い感性から表現力も豊かで、深い意味を含む各見出しから私は引き付けられ、共感してしまいます。
 世の中には数多くの職人の携わる仕事が在りますが、著者が旋盤工であった事もあって、本書では鉄工、及び町工場が中心となっています(他の職種も勿論取材されて取り上げています)。
私は旋盤工ではありませんが、同じく鉄工の分野で働いて来ました。私の場合は著者と違って大した腕や技能は持ち合わせてはいませんが、著者と同様に若い頃からただ純粋にその仕事が好きで続けて来ました。また、単なる労働者と異なり、職人のする仕事に携わる事が出来る事に誇りを感じて来ました。給料は二の次で、ただ単に仕事が好きで働いて来ました。納期までの日が浅い特急の仕事を間に合わせようとして遅くまで残業しても苦にならず、ろくな暖房も無い工場の中での冬の寒い中や夏のクーラーも無い暑い中で大量の汗をかきながらでも一向に苦に思わずに働いて来ました。その様にして働いていると、給料・稼ぎは勝手に後からついて来たものでした。
 現在、私は40代も半ばとなりました。鉄工の仕事の上で著者と同様に職場を数ヶ所渡り歩き、同じ所で続けて働き続けるよりは見識が広がっていると自負しています。しかしその後、訳有って暫く鉄工の仕事を離れ、現在は好きな鉄工の仕事に戻る事が出来ました。本書は此度再読したのですが、私自身にとっての原点に今一度戻り、本書を読む事によって基本を見つめ直し、職人としての心構えや姿勢・態度・考え方等を自分の中で点検し整理し直す事に努めました。
 最近は機械化が進んで、たくみを意味する機械工では無く「機械要員」が増え、回転寿司店で働くのは寿司職人では無く「単なる店番」、家を建てるのが大工職人では無く機械加工された材料を組み立てるだけの「下働き」となってしまっていると言います。
 「職人とは、ものを作る手だてを考え、そのための道具を工夫する人である。」。タカを括らずに「広い間口から入っても、その奥ゆきを極めようと努力する人たちだけが職人」と言います。「現合」(現物合わせ)で良い「一品物」では無く、「数物」(量産品)においては誤差やばらつきが限りなくゼロに近い無個性な品物が要求されますが、その場合においても、仕掛かり・段取り、治具・道具の工夫、加工手順等においての「プロセスで個性を発揮」する事が大事だと言います。
 また、図面を見て「全体を見て、手順をイメージ」する事が出来ることが大事で、「イメージできないから見積りをふっかけ(高い値段に見積もり)」、そして「イメージできない人は、結局できません」と言います。特に、数物では無い「一品料理」であるその時限りの「一品物」にはマニュアルや教科書は無く、そのプロセスを考えてイメージする能力が重要であると言います。「段取り八分」の言葉通り、段取りまででその品物の完成度がほぼ決まってしまう事ともなります。その様に図面をもらってからのイメージに始まって品物を完成させるまでは職人はその仕事において主人公であり、その一連の一貫した作業を通して行う事が一人前であると言います。
 与えられた機械をただ受け身になって教えられた通りに使うのは、単なる労働者で機械の奴隷であると言います。考え工夫して「邪道」や「我流」を極めれば、それがやがて「正道」になると言います。一例として、大きな工場でのNC機械を数台掛け持ちした機械要員が、効率重視で時間に追われる中で走り回されている姿は「作らされているにすぎない」と言っています。
 ところで、ステンレスが固いと言うイメージの「神話」が一般的には持たれていると思います。しかし、ステンレスは「加工硬化性」が強い為に、旋盤やボール盤等において送りが細かいと削る端から切削熱で固くなってしまうので、送りを荒くして深く切り込めば、切削熱で焼けていない柔らかい部分を削る事が出来て切削が容易になると言います。理屈では無く、現場で働きながら学んで「場数を踏む」事が、その様な事に気付いたり理解を深める事になると言います。そして「恥をかきながら技能を獲得する」事が、真剣に働きながら本当に学ぶと言う事と言います。
 現在では超硬チップが使い捨てにされ、自分でバイトを火造りしたり研ぐことも出来ない旋盤工が増えていると言います。その超硬バイトは先端では無くナタの刃の両脇で木を割る様に削っており、刃先を殺す事で刃もちが良いと言います。
 「ものを見る目を養う」事が必要だと説き、また感受性を豊かにして鉄などの素材と親しくなる事が大事だと言います。感受性豊かな著者は、「鉄が匂う、鉄が泣く」、「指先で百分の一ミリを感知」、「湯面を見る」、「金属を舐める」、「機械にニンベンをつけろ」等と題して説きます。


 
職人学職人学価格:¥ 1,728(税込)発売日:2003-11-13



 関連動画↓↓
 

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YouTube: OTAKARA発見隊 vol.26 『元旋盤工・作家 小関智弘さん』


 


儲けよりも誇り・意地を大事にし、名を売らず謙虚に「清貧」を貫く職人たち・・・「職人」を読んで

2014-05-17 18:09:22 | 鉄工所・職人・町工場
 威勢の良い、粋な姿・言葉を表現する職人たち。自分の名を売ろうとせず、目立とうとせず謙虚に、小さな町工場や工房、商店等で働き「清貧」を表す職人たち。利益・儲けよりも、誇り・意地・遣り甲斐を優先し大事にする職人たち。目利きを持ち、物事の真偽や人の才能や能力を見分けて育てる力を持つ職人たち。
 「職人」(著者:永六輔氏、出版社:岩波書店、出版日:1996/10/21)
 本書を読みました。
 本書は、著者自身が以前にある雑誌に連載していた「無名人語録」の中から、職人たちの言葉の数々を再び取り上げて編集しまとめたものが中心となっています。その江戸言葉等で語られる職人たちの言葉や、怒ったり叱ったりする職人たちの言葉に触れるだけでも、その活気や意気の盛んな様子が伝わって来て、私自身がその元気をもらっている様に感じます。
 「職人」と「作家」との違い。また同様に、「芸人」と「芸術家」との違い。消費税が導入される前までは、「職人」の作るモノには物品税が掛けられていた様で、反対に「作家」の作るモノには物品税は掛けられなかったとの事。また、一つの名も無き地方の田舎で作られた小さな「雑器」が、都会の有名な「工芸館」に暫く飾られるだけで、世間の見る目が変わってしまうとの事。その様に日本では、法律や世間体等によって、職人が生きにくい様な状態に陥らされています。
 職人(や芸人)の世界は徒弟制度であるのだが、最近は労働基準法がそれを認めていないせいもあって、本来は弟子が親方に月謝を払うべきところを、修行中の弟子にも月給を払わなければならないとの事。
 最近はテレビ等でもよく職人が人前に出演してその腕前を披露している番組が有りますが、しかし著者はその様にテレビ等に出て名を売ったり目立ったりする事は、「粋」では無く「野暮」だと言います。
 「粋」は「いき」でもあり「すい」でもあります。腕の良さ、技能の良さだけでは無く、その「粋(いき)」な姿・言葉と同時に、「粋(すい)」な心、純粋な心を持って働く事からの、単なる労働者とは異なった職人の素晴らしさが有る様に思います。
 江戸時代においての江戸や上方等では、職人たちは大事にされたとの事。その名残として、紺屋町・鍛冶屋町・大工町等が現在も地名として残っているとの事。名古屋の徳川美術館には職人衆を優遇する伝統が残っており、職人は入館無料との事。
 本来は旅芸人である落語家の噺である落語の主人公は、大抵が職人たちとの事。
 著者は、「職人というのは職業じゃなくて、『生き方』(及び考え方)」と言います。そして、「『人間国宝』と書いてあると、それだけで良く見えちゃうっていうの、あるじゃないですか。…(中略)…。むずかしいけれど、自分自身の基準をもたなくちゃね。他人があまり評価しないものをいいなと思っちゃう場合もあるし、だれもが認めているものを、なんでこれがいいの?ということもあるでしょう。そのとき、自分のほうを大事にする。自分の目に自信を持つ。ときには失敗しますけど、その失敗が月謝になるんです。……(後略)。」。
 本書に在る「職人語録」の内の、私の共感する一例の言葉を次に記します。
 「ウチナーの人間は、その日が楽しければいいの。明日はもっと楽しくしようとは思わないのさ。だからヤマトの仕事は合わないの。余計に儲けなくたっていいんだ。向上心がないのとはちがうのさ。欲がないだけのことさ。」(沖縄でゆっくりと仕事をする、ある大工さんの言葉。)
 「人間、ヒマになると悪口を言うようになります。悪口を言わない程度の忙しさは大事です。」
 「職業に貴賤はないと思うけど、生き方には貴賤がありますねェ」
 「人間、<出世したか><しないか>ではありません。<いやしいか><いやしくないか>ですね。」
 「残らない職人の仕事ってものもあるんですよ。えェ、私の仕事は一つも残ってません。着物のしみ抜きをやってます。着物のしみをきれいに抜いて、仕事の跡が残らないようにしなきゃ、私の仕事になりません。」・・・政治家等が自分の名・業績を残す為に、名声を得る為に、あえて無駄な大事業を起こしたり自分の銅像を建てる事とは正反対に、陰徳を行なう様に名を出さず密かに善い仕事を行なっている職人の言葉
 「怒ってなきゃダメだよ、年寄りは。」
 「昔は伜(せがれ)に他人の飯を食わせるということをやったもんです。職人や芸人なんか、とくにそうやって修業したもんです。ところがマイホーム主義なんていうようになって、親の手元で修業する例が増えています。つまり、修業が甘くなっているんです。」
 「褒められたい、認められたい、そう思い始めたら、仕事がどこか嘘になります。」・・・この言葉と同様に、今の世の中、人の為だとか世の為だとか言って行われている事は、とかく「偽善」である事が多い様に私は思います。
 「職人が愛されるっていうんならいいですよ。でも、職人が尊敬されるようになっちゃァ、オシマイですね。」(役人等のお上の決める黄綬褒章等についての言葉。)
 「批評家が偉そうに良し悪しを言いますけど、あれは良し悪しじゃなくて、単なる好き嫌いを言っているだけです。」
 「職人の仕事そのものが名前だと思うんですけどねェ。名前だけをありがたがる人がいるのも、困ったもんですよ。」
 「名声とか金は、歩いた後からついてくるものだった。名声と金が欲しくて歩いている奴が増えてますねェ。」
 「自分の評判なんて気にするんじゃない!気にしたからって、何の得もない。」


 
職人 (岩波新書)職人 (岩波新書)価格:¥ 778(税込)発売日:1996-10-21