「太平の世」を求める篤い思い、「浄土世界」を飽くなく追及した主従が、戦の無い世、諍いのない平安の世を実現した!
今週は第50回「石を受け継ぐ」最終回でした。
最後、とても感動しました。大河ドラマを見てこんなに感動したのは初めてです。これはネット上でも多くの方がそうだったようです。
今回の「女城主直虎」
あまりなじみのない井伊家の話・・・これまでドラマや小説にはほとんど取り上げられてこなかったテーマでしたので、ドラマの進行が面白くまるで未知との遭遇のようなドラマの世界で、「ドラマとしてはとても面白い!」というスタートでした。ドラマの進行とともに背後の歴史などを調べたりしてみると、かなり史実に忠実なドラマ仕立てだとわかって来て余計面白くなってきました。
「井伊」と言うと、幕末の大老「井伊直弼」くらいしか思い浮かばない、どちらかと言えばマイナーなテーマだと思いましたが、よくよく歴史を見てみれば、井伊家と言うのは徳川幕府の成立に実に重要な役割を果たした、徳川四天王の一人、井伊直政とその養母「井伊直虎」をテーマにしていることがわかり、その精神や生きざまに引かれるようになってきました。
筆者はかつて山岡荘八が書いた「徳川家康」という長編歴史小説を読むことに没頭したころがありましたが、そのころ読んだ「徳川家康」の物語で一番心に残っているのは「厭離穢土欣求浄土」という旗印についてでした。
徳川がその戦いの途上に求め続けたのがこの「厭離穢土欣求浄土」の思想だと言うことです!
小説だからかなり誇張されているとは思いながら・・・徳川がその後天下を治めて以来300年間戦のない時代を実現したことは歴史的事実です。勿論その歴史の中には時代にそぐわなかったり様々な不正があったり、問題が無かったわけではないでしょうが、世界の歴史の中でもこれほど長い間、国内の騒乱が途絶えた時代を作った政権は他の諸国の歴史には見られないと言うことを聞くときに、徳川が戦国時代の争乱を最終的に治めたことは歴史の必然だったような気がしたものです。
明治維新を扱った歴史ドラマや小説を読むと、とかく徳川の愚かさのようなものが強調され、井伊直弼なども明治の志士、中でも吉田松陰などを処刑した悪役のイメージがあったが、よくよく歴史を公平な目で見てみれば、徳川による治世の出発には「天下泰平」の世の実現、戦のない時代をもたらすという、とてつもなく大きな功績を果たしたような気がしてきました。
「ブラタモリ」でちょうどドラマの終了時期に合わせるように「彦根」を扱っていたが、「彦根」と言う戦略上重要な地点の城主を井伊家に任せるという、当時の情勢の中からすれば破格の扱いを井伊が受けたと言うことの意味が、その前後の歴史を見れば、とてもよくわかり感動したものでした。
一つの時代や、歴史を形成する主人公は、もちろんその主役の城主であったり殿様であったり、主君となるものがあれば、その主君を支えた側近や幹部の在り方も重要です。その両者が巧みにマッチしたときに、それらの求められた理想が実現して行くという、最上の歴史の結末を、今回の「女城主直虎」は見せてくれました。
井伊家は井伊谷と言う浜松川の上流の小さな一地域の領主(地頭)の家系でした。初代は井戸の傍に捨てられていた子と言うことになっています。
井伊谷の城の近くに井伊家の鎮守である二宮神社がありますが、そこの祭神は、三宅氏の祖である「タジマモリ」と後醍醐天皇の皇子「宗長親王」です。
田道間守(タジマモリ)と言うのは天日鉾(アメノヒボコ)の後裔である三宅連の祖です。後醍醐天皇に忠誠を尽くしたという児島高徳の祖でもあります。このタジマモリから出たのが応神天皇の母であった神功皇后(オキナガタラシ姫)でもあります。
後醍醐天皇による南朝側に立ってその皇子の宗長親王を擁して戦ったというのもその背景を知ることが出来る家系のようです。
ドラマでは、井伊家が今川の配下に降らざるを得ず、今川家による様々な圧迫の中で家系の主流たる嫡男を相次いで失っていくのです。
直虎(ドラマでは「おとわ」)は、かつて許婚だった直親が今川によって謀殺され、その遺児がいまだ幼かったゆえに井伊谷の城主(地頭)になります。井伊家の家系図に「直虎」の名はありませんが、いまだ直親の遺児の虎松(後の井伊直政)は幼く、今川からはその命までも狙われていたので、井伊家と井伊谷の民を守るために、苦肉の策で女ながらも男名で城主を引き受けたのでしょう。これは、ほぼ事実のようです。(直虎についてはあまりにも歴史資料が乏しくその存在を疑う向きもあるようですが、その実在は間違いないようです)
その後の様々な争いの中で井伊直虎は城主の位置を離れ一旦井伊家は地頭職を失い武家としては滅ぶわけですが、その後虎松の生母が嫁した松下家からその主君であった徳川に仕官したのが後の井伊直政、松下から井伊の家名に復して井伊万千代として仕官した虎松でした。
井伊直虎が女城主となりながら目指したのが、民の平安、戦のない世の実現でした。打ち続く戦乱のゆえにどれほど民が苦しんでいるか!全ての民が平穏無事に暮らすことのできる世の実現を願ったのです。
その精神が万千代に受け継がれます。但し、万千代は血気盛んな若者です。井伊家の復興を願い続けていました。しかし、直虎は井伊家の復興よりも井伊谷の民の平安、敷いては日ノ本全体が平安の世になることを願い続けたのです。(この辺りはドラマか、史実かはわからないが?)
そのころ徳川は西には強大化した織田信長、西には今川を滅ぼした武田がその勢力を拡大しているその間で生きるある面弱小なともすれば消え去ってしまいそうな弱小領主かの如くでした。「天下武布」を掲げた織田信長は巧みに諸国の領主を味方に引き入れながらも敵対する者には情け容赦なく、さらには配下に置いた領主たちもその勢が長ずるのを嫌って自らと自らの一族が天下を独占するかの戦いを続けていました。
一度は織田に与してきた徳川ではあるけれども必要以上に強大になることを恐れ、様々な言いがかりからその勢を削ごうとして来たのです。その中で最もひどい仕打ちが、家康の嫡子信康が武田と通じているのでは!という言いがかりから徳川をして嫡男信康とともに正室築山殿(ドラマでは瀬名)を失うという悲劇を見るのです。
かつて井伊は今川のもとで同様の悲劇を味わってきました。そして井伊家は取り潰されたのです。
ここで井伊万千代は決意します。信康様を失って失意にある家康公をお守りし、信康様の意志を継いで行こう!そう決意して、家康の小姓から、最も家康の願いを組んで歩む猛将となり、交渉役となり徳川による天下平定に最重要な役割を演じて行くのです。
ドラマでは最終回、「本能寺の変」ののち、たった三日で中国から大返しで京に上り明智を打ち取ったというい秀吉の動きに、京への出兵を準備していた家康がかつての武田の遺領に手を付ける決意の場から始まりました。甲斐、信濃、上州のかつての武田の遺領には北条も手を出してその覇権をめぐって徳川と北条の争乱が起きる状況になっていました。
信長亡き後の京の覇権を秀吉が掌握しつつある状況の中で北条との必要以上の争いは無益な状況の中で、徳川は甲斐と信濃は自らの手中に残すために会と信濃の国衆の指示を纏めるために奔走したのが井伊万千代と配下の3人でした。所領の安堵と褒美までと言う徳川の働きかけに甲斐と信濃の国衆は応じて、このことを根拠に北条との交渉を纏めたのがいまだ22歳の若造だった井伊万千代だったのです。
この働きが認められて、井伊万千代は元服とともに侍大将の重責を任されそののち徳川四天王と言われる働きを為すようになって行くのです。
井伊万千代は元服して井伊直政の名が与えられ、その後の徳川の戦いで常に前線指揮を執り武功をあげて行くのです。さらには交渉役として、特に関ヶ原の戦いでは京極氏をはじめ西軍側の諸侯を数多く東軍に寝返らせ、東軍勝利に大きく貢献します。また、東西決戦の端緒を開いたのも井伊直政ではないかとも言われています。戦いでは島津を追い詰めその戦乱の渦中大怪我を追いますが、それでも戦い続け、戦いの決着がついて後は西軍の総大将であった毛利との交渉役としてその任を果たします。毛利には長門と周防を安堵することで喜んだ毛利はその後徳川に忠誠を尽くして西の守りを固めるようになるのです。
このように井伊直政の働きは天下に諍いを無くして行くことに重要な役割を演じて行くことになり、家康の信任を得て、かつての石田三成の居城佐和山を廃して彦根城を築き30万石の大大名となり、歴代に4人の大老を輩出するという徳川の治世において最も重要な役割を担っていくようになるのです。
全ては「浄土」あるいは「太平の世」「戦のない平安の世」を願った徳川と井伊の願いを一つにして、家康と主従の関係を親子の関係にまで高めた井伊直政、そのような心を直政に与えた女城主直虎の歩みが根底にあったと言うことでしょう!
「徳川をして日の本一の殿として平安の世を実現する井伊家でありたい!」その篤い思いと実践が300年の太平の世、浄土の世を実現したのだと思います。
女城主の切なる思いが、亡き許嫁の子直政をして結実したのが300年の「戦の無い世」の実現だったのです。
女城主、光っていました!主演の柴咲コウもよく演じていました。脇役も好演していましたね。そして、脚本の森下佳子も良かったです。タイトルの語呂合わせも面白かった。
久方ぶりに本気で見た大河でした。
篤い感動をありがとう!