まずは、宮脇俊三氏の著書からの引用…。
『自分だけの密かな楽しみ、しかも親しい友達にも知られるのを憚るような秘めごとがあって、内心忸怩としていると、思いがけず同好の士に接し、ほっとすることがある。
先日、「鉄道ジャーナル」誌の編集長の竹島紀元さんと酒を酌んでいるうちに、ふと「自転車ダイヤ」の話が出て、私だけではなかったのかと安堵した。竹島さんも子供のころ、それをやっていたというのである。
「自転車ダイヤ」という用語はないけれど、要するに自転車を列車に擬し、時刻表を作成して、それに従って走らせるという遊びで、時刻表を読み耽っているうちに、とうとうそんなことを始めたのであった。
起点と終点は自宅の門前、途中駅は電信柱やポストや公衆電話のボックスなどである。
列車の種類は、普通、準急、急行、特急の四種類で、時間の単位は秒であった。
たとえば普通列車の場合、「自宅発15時38分00秒、K氏邸前電柱着48秒、同発39分03秒……」というふうにやる。時刻表の紙片を左手に持ち、父親の古い腕時計をハンドルにはめ、寸秒たがわず着発することを旨とした。
電信柱で停車していると、通りがかった近所の人が変な顔で見るので恥しかったし、ローカル線に見立てた路地の奥で折り返しの発着時刻を待つのも、空巣狙いのようで気がひけたが、とにかく、そういう時刻表ごっこをして遊んだ。』
(以下省略)
【宮脇俊三著『汽車との散歩』の中から「自転車の時刻表」より引用】
西宮で過ごした小学生時代、私も、自転車を電車に見立てて遊ぶ〝電車ごっこ〟をしたことがある。だから、宮脇俊三氏の著書の中でこの記述に出合ったとき、私も〝ほっとした〟のを覚えている。ひょっとすると、多くの鉄道ファンが経験している遊びなのかもしれない。
「自分だけの密かな楽しみ」として遊べるのはもちろんだが、私の場合、同じように鉄道ファンだった同級生のコニタン(ニックネーム)と一緒に、ふたりで遊んだことも思い出である。
ふたりでこの遊びをやると、再現できる〝運行シーン〟のバリエーションが増えるので面白かった。私たちは、「特急」と「各停」に役割分担して〝途中駅での特急待避シーン〟を再現して遊んだ。
いつも遊んでいた公園の前を〝始発駅〟という設定にして、まず「各停」役がそこを出発し、あらかじめ示し合わせておいたルートをたどり、道沿いの電柱や電話ボックスなどを目印にした〝途中駅〟に丹念に停車しながら走る。一方、「特急」役は2分ほど遅れて始発駅(公園前)を出発し、同じルートをたどりつつも途中駅は全て通過し、前を行く各停役を追うのである。
始発駅から〝5駅〟ぐらい進んだ地点の自動販売機の前が〝待避駅〟の設定で、各停役はここに着いたら路肩ぎりぎりに自転車を止めて、『待避線に入った』ことを表現した。
すでにその頃には、追い上げてきた特急役が後方間近にまで迫っているのだが、各停役が待避線に入り終わるまで特急役は追い抜いてはならず、もし手前で追い付きそうになった場合は、特急役は〝減速・徐行〟して各停役と一定の距離を保たなければならない、というルールだった。現実の列車運行においても、前を行く各停電車との距離が詰まってしまった特急・急行電車がのろのろと走っている場面がしばしば見られる。
各停役が待避線に入ったことを確認したら、特急役は加速に転じ、一生懸命ペダルをこいでスピードを上げて〝待避駅〟に突入する。各停役のそばを高速で通過するのが特急役の醍醐味となるのだが、その際、各停役は自転車を降りて待機し、接近する特急役に向かって手を挙げて合図を交わすことになっていた。特急の進路となる通過線の安全を確認する「ホーム監視」の場面を再現していたと言える。これも、実際の鉄道現場ではよく見られる光景だ。
さらに、コニタンがいつも言っていたのは、
「阪神電車の運転士は、終点に到着するときに〝立ち上がって〟運転している」
ということだった。
正直、当時の私にはよく分からない作法だったが、この技法も再現メニューに組み込んで私たちは実践した。ルートを走り終えて公園前の始発駅に戻ってきた際には、自転車のサドルから腰を浮かした〝立ち乗り〟の姿勢をとって、最後の停止位置を合わせるように努めていた。
のちに私が知ったところでは、阪神電車では、信号機が「注意現示(黄色信号)」以下の場合に運転士はその場(運転席)で一旦立ち上がることになっているらしい。信号の見落としを防ぐための安全確認動作の一環とされているようで、これは他社では見られない阪神電車独特の流儀である。コニタンが言っていたのは、恐らくこの動作のことであろう。
実際の阪神電車では、走行中であっても前方の信号機に注意現示が出たら運転士はこの動作をやるようなので、必ずしも「終点駅に到着するときだけ」に限定される動作ではないが、終点駅に着くときは場内信号が注意現示以下の場合が多いから、そう解釈したコニタンの観察力もなかなかのものと言わなければならない。
もっとも、阪神電車の運転士は、一旦立ち上がったあとすぐに着席して運転を続けるようなので、この点、最終局面で完全に停車するまでずっと〝立ち乗り〟の姿勢をとっていた私たちの解釈はやや滑稽であったと言える。
静々と終点駅に接近し、スピードを失ってふらつく自転車をいさめるように立ち乗りして、微妙なブレーキ操作で停止位置にピタリと合わせたら、乗務完了である。
そんじょそこらの〝電車ごっこ〟とは一線を画していたものと自負するが、さて、いかがなものか。
(終わり)
『自分だけの密かな楽しみ、しかも親しい友達にも知られるのを憚るような秘めごとがあって、内心忸怩としていると、思いがけず同好の士に接し、ほっとすることがある。
先日、「鉄道ジャーナル」誌の編集長の竹島紀元さんと酒を酌んでいるうちに、ふと「自転車ダイヤ」の話が出て、私だけではなかったのかと安堵した。竹島さんも子供のころ、それをやっていたというのである。
「自転車ダイヤ」という用語はないけれど、要するに自転車を列車に擬し、時刻表を作成して、それに従って走らせるという遊びで、時刻表を読み耽っているうちに、とうとうそんなことを始めたのであった。
起点と終点は自宅の門前、途中駅は電信柱やポストや公衆電話のボックスなどである。
列車の種類は、普通、準急、急行、特急の四種類で、時間の単位は秒であった。
たとえば普通列車の場合、「自宅発15時38分00秒、K氏邸前電柱着48秒、同発39分03秒……」というふうにやる。時刻表の紙片を左手に持ち、父親の古い腕時計をハンドルにはめ、寸秒たがわず着発することを旨とした。
電信柱で停車していると、通りがかった近所の人が変な顔で見るので恥しかったし、ローカル線に見立てた路地の奥で折り返しの発着時刻を待つのも、空巣狙いのようで気がひけたが、とにかく、そういう時刻表ごっこをして遊んだ。』
(以下省略)
【宮脇俊三著『汽車との散歩』の中から「自転車の時刻表」より引用】
西宮で過ごした小学生時代、私も、自転車を電車に見立てて遊ぶ〝電車ごっこ〟をしたことがある。だから、宮脇俊三氏の著書の中でこの記述に出合ったとき、私も〝ほっとした〟のを覚えている。ひょっとすると、多くの鉄道ファンが経験している遊びなのかもしれない。
「自分だけの密かな楽しみ」として遊べるのはもちろんだが、私の場合、同じように鉄道ファンだった同級生のコニタン(ニックネーム)と一緒に、ふたりで遊んだことも思い出である。
ふたりでこの遊びをやると、再現できる〝運行シーン〟のバリエーションが増えるので面白かった。私たちは、「特急」と「各停」に役割分担して〝途中駅での特急待避シーン〟を再現して遊んだ。
いつも遊んでいた公園の前を〝始発駅〟という設定にして、まず「各停」役がそこを出発し、あらかじめ示し合わせておいたルートをたどり、道沿いの電柱や電話ボックスなどを目印にした〝途中駅〟に丹念に停車しながら走る。一方、「特急」役は2分ほど遅れて始発駅(公園前)を出発し、同じルートをたどりつつも途中駅は全て通過し、前を行く各停役を追うのである。
始発駅から〝5駅〟ぐらい進んだ地点の自動販売機の前が〝待避駅〟の設定で、各停役はここに着いたら路肩ぎりぎりに自転車を止めて、『待避線に入った』ことを表現した。
すでにその頃には、追い上げてきた特急役が後方間近にまで迫っているのだが、各停役が待避線に入り終わるまで特急役は追い抜いてはならず、もし手前で追い付きそうになった場合は、特急役は〝減速・徐行〟して各停役と一定の距離を保たなければならない、というルールだった。現実の列車運行においても、前を行く各停電車との距離が詰まってしまった特急・急行電車がのろのろと走っている場面がしばしば見られる。
各停役が待避線に入ったことを確認したら、特急役は加速に転じ、一生懸命ペダルをこいでスピードを上げて〝待避駅〟に突入する。各停役のそばを高速で通過するのが特急役の醍醐味となるのだが、その際、各停役は自転車を降りて待機し、接近する特急役に向かって手を挙げて合図を交わすことになっていた。特急の進路となる通過線の安全を確認する「ホーム監視」の場面を再現していたと言える。これも、実際の鉄道現場ではよく見られる光景だ。
さらに、コニタンがいつも言っていたのは、
「阪神電車の運転士は、終点に到着するときに〝立ち上がって〟運転している」
ということだった。
正直、当時の私にはよく分からない作法だったが、この技法も再現メニューに組み込んで私たちは実践した。ルートを走り終えて公園前の始発駅に戻ってきた際には、自転車のサドルから腰を浮かした〝立ち乗り〟の姿勢をとって、最後の停止位置を合わせるように努めていた。
のちに私が知ったところでは、阪神電車では、信号機が「注意現示(黄色信号)」以下の場合に運転士はその場(運転席)で一旦立ち上がることになっているらしい。信号の見落としを防ぐための安全確認動作の一環とされているようで、これは他社では見られない阪神電車独特の流儀である。コニタンが言っていたのは、恐らくこの動作のことであろう。
実際の阪神電車では、走行中であっても前方の信号機に注意現示が出たら運転士はこの動作をやるようなので、必ずしも「終点駅に到着するときだけ」に限定される動作ではないが、終点駅に着くときは場内信号が注意現示以下の場合が多いから、そう解釈したコニタンの観察力もなかなかのものと言わなければならない。
もっとも、阪神電車の運転士は、一旦立ち上がったあとすぐに着席して運転を続けるようなので、この点、最終局面で完全に停車するまでずっと〝立ち乗り〟の姿勢をとっていた私たちの解釈はやや滑稽であったと言える。
静々と終点駅に接近し、スピードを失ってふらつく自転車をいさめるように立ち乗りして、微妙なブレーキ操作で停止位置にピタリと合わせたら、乗務完了である。
そんじょそこらの〝電車ごっこ〟とは一線を画していたものと自負するが、さて、いかがなものか。
(終わり)