犬と猫と考える

レスキューした犬猫と考える。。生き物の大切さ。。

わたしが強く生きるわけ。。

2011年03月25日 | ワインカントリーに住んでること
被災地の皆様に、お見舞い申し上げます。


そして、動物を含め、救助をなさってる方々、本当にご苦労様です。

とにかく、前進あるのみですよね。 おこったことはしょうがない。 だから先の明るい将来をみつめてのしがるしかない。。

ほとんどテレビを見ないのですが、車の運転中ラジオを聴いてると日本の情報が流れてきます。その中で最近日本から、こちらに帰国されたアメリカ人の方が日本人のことをものすごく誉めてました。

”あの中でも日本人ってほんとPoliteでびっくりしたわ。。。 それにあの我慢強さ。。。 アメリカ人も少しは見習わなきゃならないわね。。” 



人生の半分以上をこちらで過ごしていても、日本の中にいたら、変な日本人な私でも、心は日本人。。

Are you Japanese?” と聞かれると、”Yes I am."と私は答えるでしょう。

そんなわたしが、車を運転してて、このコメント聞いて、日本人という自分に誇りを持ったコメントでした。。





1989年10月アメリカ西海岸、サンフランシスコの空港に到着!

初めてのアメリカで、右も左もわからないまだまだ、若い20代のころのわたしでした。



サンフランシスコについて2日後、語学学校のクラスから、ワールドシリーズをに観戦するという企画に私は参加してみた。 その前にサンフランシスコの市内を見学。。。

とそのとき。。 



めまいがした。 めまい? なんでだろう。。 あ、めまいではなくなんかゆれてる。。


地震というものがどんなものか、生まれてこの方経験をしたことがなかったので、これが地震?というのもわからず、ただただ、たってはいられなかった。。 

本屋にいた私は、とにかく机の下にもぐろうとしても、ゆれる中動けないわたし。。 


本棚がドミノ倒しのように倒れてくる。。 あ、あぶない。。こんな中にいたら、わたし本棚の下敷きだ。。

逃げなきゃ。。 でも足が動かない。。 一緒にいたクラスメイトもいない。。 英語も話せない。。

頭の中はパニくった。。


1989年10月  6.9MGを襲った、サンフランシスコ大地震。。。








誰かが私を抱えて逃げてる。。 誰? 


英語で何か言われたけど、わからない。  わからない。。ただ涙がこぼれおちる。



外に出たはいいけど、車のなかにいる人が瓦礫の下敷きになって死んでいるのが見えた。。


”Help...”という声もあちこちで聞こえる。。 人の足だけが見えた。。 ぞっとした。。 


いったい何がおこったんだろう。。 語学学校のクラスメイト探しに、本屋に入ろうとしたけど、本屋も中もぐちゃぐちゃ。。本棚の下敷きになってる人も何人か。。。










足がすくんだ。。
  


どうしよう。。 どうしよう。。英語もわからない、電話のかけ方もわからない。。どうやったら日本にいる両親に連絡をとらなきゃいけないんだろう。。


日本領事館。。どこにあるんだろうか。。。


ビルが壊れてる中をとにかく歩いた。。 余震が続いて歩いては止まり、歩いては止まった。。 

まわりでパニくってる人たち、サイレンがあちこちから聞こえ。。何分たったんだろう。。いや、何時間かな。。 それすらわからないかった。。


誰かが駆け寄ってきた。。英語で何か聞かれる。。 ただただ、わからないと首を横に振る。。涙しか出ない。。

その後の記憶がない。。 思い出せない。。思い出せなかった。。

当時の私は21歳だったけど、アメリカ人からしたらきっとまだまだ、子どもにしか見えなかったに違いない。



目が覚めれば、病院。。   



あ。。。 気を失ったんだ。。  きっと消防士さんが私を抱えて救急車に乗せてくれたんだろう。。。


看護士の方が英語で質問される。。 私はわからない。。 看護士さんは頭をなでてくれて頭にキスをしてくれた。


きっと、大丈夫よ。とか言ってくれてるんだとおもう。 隣で怪我をしてた人が、手を差し伸べてきた。


何か言ってるけど英語だからわからない。。  でも耳を傾けて聞こえた言葉。。


”Live Strong  OK?” そして、私の手をぎゅってにぎってくれた。 

わたしなんて怪我ひとつしてないのに。。  もっと強くならなきゃだめだ。。



でも、不安がつのる。。。 地震から24時間後。。  


語学学校の先生が生徒たちを探しにきた。



”Oh!!!  Gumi!! You're here!!!!!” それだけはわかったけど、そのほかの英語はわからなかった。

わたしだけが見つからず、死んだのではないかとおもってたらしい。。




あれから、22年。  



私はこのベイエリアに住んでいる。   地震の経験をして、怖いとおもった。 いまだにトラウマもある。 あのあと、怖くって寝れない日が続き、ずっとカウンセリングをうけた。

大好きな街だから。。。 たとえ地震のトラウマがあっても、また地震がきても私はこの町を離れることはない。ここは生まれ育った大阪以上にも、ふるさとだから。。。この町で私は大きく育ち、習い、挫折をして、のし上がり、差別をうけてもへこたれず、誰よりも動物を愛するといことを教えてくれた街だから。 


22年前に比べたら、ものすごいう強くなったとおもう。 そして、日本にいる以上に正直に生きてる。 NOと言えない日本人って言われたこともあったけど、私は嫌なことはNOとはっきりいえるようになった。

日本人からしたら、たまに人を傷つけるコメントもするだろう。  



後ろを振り向かない。 前進あるのみ。。後悔なく毎日を生きる。 


あの地震の後の瓦礫を歩いて、死んでいく人を見てきた私です。 もう、この世が最後か?ともおもった私です。 



強く生きろ! そう知らない人に言われ、私は立ち上がりました。 






今回の東北地震の被災地の方への応援はただ単に言葉だけではないとおもってもらいたい。
同じ、経験をした者。。 海外という場所で同じ経験をしてきたものから私の生まれた日本へ。。

Live Strong !



がんばってください。 前進あるのみ。。   亡くなれた方へのご冥福お祈りいたします。







                


Kooからも! 元気写真!  






そして、近所の山の中から。。。




    




  


少しでも癒してもらいたい。。  少しでも。。。








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