くろにゃんこの読書日記

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彼女の名はネメシス

2007年03月13日 | ミステリー 海外
クリスティのマープルにはまって、何冊か読んできましたが、ギリシア悲劇の影響があることは、わりと早い段階で気がつきました。
「カリブ海の秘密」「復讐の女神」は3部作を想定して書かれたものであることを知ったとき、おおっと思ったのは、言うまでもありません。
3部作構成といえば、3大悲劇詩人アイスキュロスの十八番ですから。
きっと「カリブ海の秘密」と「復讐の女神」は対称になっているはず。
3作目が、クリスティーの死去によって書かれなかったとは、残念なことだけれども、
散逸した悲劇のよう。
などという先入観を持って読みました。

ギリシア悲劇において、復讐の女神といえばエリーニュスですが、ウィキペディアによりますと、エリーニュスは母親に対する侮辱や暴行を司っていたという歴史があり、クリュタイメーストラーがエリーニュエスを叱咤するのは当然ということになるでしょう。
主に血縁関係にあるものの復讐というイメージが強いですね。
一方、ネメシス祭(アテナイ)では、十分な祭祀を受けなかった死者の恨み(nemesis)が、生者に対して向かわぬよう、執り成しを乞うことを目的としていたそうで、限定されていない死者の恨みであることを意識して、クリスティーはネメシスという名称を使ったのではないかと思います。
ネメシスは人間が神に働く無礼に対する、神の憤りと罰の擬人化であること(クリスティーとしては多少キリスト教的解釈があったのだと思います)、ボイオティアではアドラストスが始めたとされるネメシス・アドラステイア(Adrasteia 遁れることの出来ない者)、すなわち必然のネメシスの崇拝があったとされることから、罪を犯したものが当然報いを受ける必然をもあらわしているといえるでしょう。

ネメシスという名称が初めて使われるのは、「カリブ海の秘密」の後半で、
殺人者の犯行を食い止めようとラフィール氏の寝室に、マープルがふわふわしたピンクのスカーフを頭にかぶって現れる場面です。
当然予想される「復讐の女神」で、そこに対応する場面は、
マープルの寝室での殺人者との対決シーンです。
守護天使は、ジャクソンの役割ということになりますね。
この対決シーンは、明らかに文体が変化していて、
ギリシア悲劇の詩を模倣したものであることがわかります。
このように「復讐の女神」では、これまでのマープルと違って、強烈にギリシア悲劇を前面に押し出しているのが特徴です。

また、マープルを読んでいくうちにわかってくるもう一つのことがあります。
それは、マープルというキャラクターが持つ冷酷さです。
「パディントン発4時50分」で、マープルが犯人に向かって言った言葉があります。
「ほんとうに残念ですね。絞首刑が廃止になってしまったのが。」
私はこのセリフの持つ厳しさに驚愕しました。
罪への断罪を求める彼女には、許すということはないのです。
これは終始一貫とした彼女の信条でもあります。
ところが、「復讐の女神」にはこんなセリフがあります。
「わたし、冷酷だったかしら」
この言葉に、俄然興味を掻きたてられ、後の展開を期待させます。
老齢に達している彼女に変化がみられるのか。
興味がある方は、本書を読みましょう。

さて、3部作構成ということが、アイスキュロスをなぞっていると思われるというのは最初に書きましたが、そこから勝手に予測すると、書かれなかった3作目は、世代交代が描かれ、普遍の人間性、人生の賛歌が謳われたのではないかと思いますが、「Woman's Realm」(直訳すれば女性の領域ということになりますか)というタイトルにはあまりそぐわないですね。
「復讐の女神」の最後に、マープルが手にした2万ポンドで、彼女がどんな計画を立てていたのかわからず仕舞いなのは、本当に残念なことです。

カリブ海の秘密
復讐の女神




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2 コメント

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スリーピングマーダー (しおね)
2007-03-14 11:28:21
お天気は良いのに寒くって何かちぐはぐ、風邪を引かないようにしましょう。
「復讐の女神」の後クリスティーが亡くなった後に「スリーピングマーダー」が出版されました。この本も私は好きですが、いかにもイギリスらしいミステリーだと思うんです。最後のシーンがあのトーキーという街のホテルなのも良いですね。
「スリーピングマーダー」とポアロの「カーテン」は世界大戦中にクリスティーが自分の死んだ後に出版するようにと考えて書いたそうです。特に「カーテン」はポアロが小説の中で亡くなるんですが出版されたときは「ポアロの最期」ということで評判になりました。「カーテン」はクリスティーが亡くなる前に出版されたと思います。二冊ともポケミスではなくてハードカバーでした。
「カーテン」より「スリーピングマーダー」のほうが強く印象に残っているのでこちらのほうがミステリーとして出来がよいのかもしれない、というのが私の感想です。
ミス・マープルの冷酷さについては私はクリスティーが育った時代はまだビクトリア朝の考え方が強く残っていてその影響があるのではないかと思ったりしています。
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エウメニデス (くろにゃんこ)
2007-03-14 12:20:36
アイスキュロスのオレステイア3部作目「エウメニデス」は、復讐の女神たちエリーニュエスが恵み深い神へと変わります。
そのことから、マープルも何らかの形で2万ポンドを用いて、復讐の女神ネメシスから恵み深い存在へと変化していくのではないかと思います。
マープルの冷酷さ、その信条は変わらないけれども、何かしらの変化、「復讐の女神」の犯人へみせたような憐れみのような変化があったのではと、つらつら考えてみたりしています。
「スリーピングマーダー」はこれから読むつもりです。
「鏡は横にひび割れて」を読んでいないので、先ずこれを読まないと。
実は、中学生時代に読むのを途中で放り出したのはこの本だったのです。
20年以上、忘れ去られていましたが、記憶の片隅からひょっこり出てまいりました。
あの頃は、若くて、若すぎて、マープルのよさが分からなかったんです。
ポアロの最後「カーテン」も気になりますが、それを読むためには、ポアロものを1から攻めないといけませんね。
遠い道のりが予想されますが、挑戦してみたいです。

最近の冷え込みに、考えられないぐらいの重ね着で対処しています。
着込みすぎて、ちょっと動きにくいかも。
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