くろにゃんこの読書日記

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賭け チェーホフ

2007年09月15日 | 海外文学 その他
現在読書が好きな人は、きっと過去もそうであったに違いない。
小学校や、中学校、高校の国語の教科書のなかに、
思い出深く残っているものがきっとあるはずだ。
自分がそうだからという、いたって自分本位な論理である。

今も昔も場所は違えど静岡県に住む私は、子供の使っている教科書に
自分が習ったタイトルをいくつか見つけることが出来る。
蜘蛛が風に乗って移動するという題名は忘れたけれどもそんな内容の話や、
「白いぼうし」という児童文学もそうである。
「白いぼうし」は挿絵も同じで驚いたけれど、子供の教科書のそのページを開いた途端に、小学校の教室で教科書を開いている自分、暖かい日差しがさす窓、窓の外にある神社跡に残る木々、その奥にある小学校と棟続きになっていた幼稚園の園舎への渡り廊下が次々と思い出された。

中学の教科書に「沈黙」が載っていたのは前にも書いたけれど、
その教科書にはチェーホフ「賭け」も載っていた(と思う)。
この2つの小説は、小学校の頃の懐かしいという思い出ではなく、
強く印象に残る小説として記憶に残っている。
「賭け」というのは短篇小説である。
ある夜会の席で死刑の是否についての議論が交わされた。
だが、あっという間に死に至る死刑よりもじわじわと時間をかけて殺す終身禁固のほうが人間的ではないという意見が出る。
議論はあらぬほうへエスカレートし、激昂した法律家と銀行家はある賭けを取り決めることになる。
賭けの金額は200万ルーブルという大金だ。
15年という年月、銀行家の家の離れに厳重な監視のもとで
法律家が幽閉生活を送るというものである。
法律家は敷居を跨ぐことはおろか、人との接触は許されない。
手紙や新聞は受け取れず、食事は小窓を通して与えられる。
楽器を奏でること、本を読むこと、手紙を書くこと、酒タバコは許されている。
だが、言葉を交わすことは許されない。
必要なものはメモによって意思表示する。
1、2年は、孤独にさいなまれていたようだ。
最初の年に差し入れていた本はごく軽い読み物だったが、6年目になると囚人は語学や哲学、
歴史学を熱心に学ぶようになる。
その後の4年で求めに応じて取り寄せた本はざっと600冊ほどにもなったが、10年目には、
福音書ばかりを読むようになる。
やがてそれは、宗教史と神学に取って代わり、最後の2年間はおびただしい数の本を乱読した。
自然科学を読むかと思えばシェイクスピアを、医学書かと思えば同時に
小説や神学、哲学をという具合である。
もうすぐ約束の時間が迫っている。
銀行家は焦っていた。
若い頃の傲慢さは、富豪をわずかばかりの株価の上がり下がりにビクビクするほどの中どころの銀行家にしてしまっていた。
もはや銀行家は200万払えば破産なのである。
そうだ、法律家には死んでもらおう。
銀行家は離れにやってくる。
ちょうど番人もいない。
入り口の封印を丁寧にはがし、部屋に踏み込む。
法律家はテーブルの前で座ったまま眠りこんでいた。
40そこそこであるはずの法律家は、まるで老人のようにやつれ、痩せて白髪が光っていた。
テーブルには書きつけがおいてある。
「15年のあいだ、わたしは注意深くこの世の生活を研究した。---あなたがたの本は、わたしにに叡知を与えてくれた。---自分があなた方の誰よりも懸命であることをわたしは知っている。そこでわたしは、あなたがたの本を軽蔑し、地上の幸福いっさいと叡知を軽蔑する。すべては蜃気楼のように、とるにたりないもので、はかなく、むなしく、まやかしじみている。---あなたがたが生きる拠りどころとしているものにたいするわたしの軽蔑を実際に示すために、わたしは、かつては楽園をあこがれるように夢想し、いまや軽蔑以外のなにものでもない200万ルーブルの金の受とりを拒絶する。---」
約束の時間の5時間前に立ち去ると書かれていたこの書きつけをテーブルに戻し、
銀行家はその場を立ち去る。
深い軽蔑を自分自身に向けながら。
翌朝、離れに寝起きしていた男が窓から庭へ抜け出し、門のほうへ歩いていって、そこからどこかへ姿をくらましたと番人が告げた。

よくもまあ、このような難しい短篇が中学の教科書に載っていたものだと今にして思う。
法律家の読書遍歴には、読書好きには興味をひくところではないだろうか。
世間から切り離された彼が、おびただしい本を読み、世の中を研究するというのも皮肉ではあるが、読書好きな人にとっては自尊心をくすぐられるところでもある。
短篇はここで終わっているが、じつは後日談がある。
後日談にあたる第3章は、マルクス版全集への収録にあたり削除されている。
どうやらあまり評判がよろしくなかったらしい。
私が中学の時の国語の先生は、その問題の後日談を読んでくれたか、テープで聞かせてくれた。
大変貴重なことである。
私のあやふやな記憶によれば、賭けを自らの意志で放棄したはずの法律家が、
その後銀行家のところに現れる。
やはりあの200万ルーブルが欲しいというのである。
おびただしい本を読み、この世の真理を知ったはずであったが、世の中に出てみたところ、
それは間違っていたようだと。
中学生だった私は、後日談を聞いて(そのときには削除されている部分だという理解がなかった。多分、先生の話を全く聞いていなかったのだろう)、何故こんな後日談を書いたのだろうと思った。
ここで終わらせた方が絶対に良いのに。
さすが10代。
理想に燃える世間知らずである。
今の私は、後日談を削除してしまわないほうが良かったのにと思う。
皆さんはどう思われるだろうか?

チェーホフ全集〈5〉




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14 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
これは (ntmym)
2007-09-15 15:19:24
興味深いお話ですね~。
私もこのチェーホフの「賭け」を読んでみたくなりました。読んでから、くろにゃんこさんのご質問にお答えしたいですね!

それにしても、チェーホフってこういう話が多いんですかね、私は最近になるまでずっと読んだことがなかったのですが; 最初に読んだのは「退屈な話」と「六号病室」。面白かったのは「黒衣の僧」ですね。まだこれしか読んでません…。

ちなみに、私はいまは読書が好きですが、子供のころは人並みくらいにしか読まなかったですね~。ああ、もったいない!

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チェーホフ (くろにゃんこ)
2007-09-16 08:10:05
ntmymさまは、私よりチェーホフを読んでいますよ。
私なんて、これ一つしかまだ読んでいませんから(笑)
「桜の園」の舞台のTV放映を、遠い昔に観た記憶がありますが、さっぱり内容を忘れています。
だから、チェーホフがどのような作家であるかというのもよく分からないのです。
「賭け」を興味深いと言ってくださって、ありがとうございます。
後日談の内容を、私の記憶にたよるのではなく、ちゃんと調べようと、ウェブ検索してみたのですが、「賭け」は注目度が低い作品のようで、これといった記事にめぐり合えませんでした。

先日、知人と話したときにふと「賭け」のことを思い出して、図書館から「賭け」の載っている全集を借りてきたのですが、他の短篇を読む気にもなれずにいます。
というか、このところ本を読みたいという気持ちはあるのに、なにかこう億劫で。
時々、そういう時がありますよね。
ウィンターソン「ニュートン」をニューゴシックの短編集「幻想展覧会」から拾い読みした後は、なにか軽い推理小説でも読もうと、以前に買ってあったポケミス「幻の女」のページをめくったりしています。
多分、夏の疲れが今出ているのでしょう。
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ヘッセなど (迷跡)
2007-09-16 12:48:27
後日談を削除する方に一票。後日談が入ると通俗に堕してしまいませんか?
さて、教科書登載の小説は、私も思い出深いものがあります。題名を失念しましたが、ヘルマン・ヘッセなんかよかったですね。ただ、今の時代、ヘッセなんか登載したらB.L.の文脈で読まれてしまうかもしれませんね。
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はじめまして (kaho)
2007-09-16 14:44:21
はじめましてランダムから訪問させてもらいましたすごくいいブログですねもしよかったら私のブログにも遊びに来てくださいhttp://blog.goo.ne.jp/ilove_konatu
GOO友達にもなって大勢の人と コメントの書きあいっこをしたりして 楽しんだりしていきたいと。思ってますそれでは お待ちしています
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迷跡さま (くろにゃんこ)
2007-09-17 08:33:29
ほおお、削除する方に1票は入りましたね。
私としては、その通俗に墜ちるところが現実的で面白いと思うんですけど、この3章があるのとないのでは、思想が全く異なってしまうというところが非常に興味深いです。

ところでヘッセですが、今も教科書に載っていますよ。
「少年の日の思い出」だったかしら。
娘は面白いと言っていましたが、腐女子的に面白かったと言っていたのかは不明。
ヘッセといえば「車輪の下」ですが、私はヘッセを読んだことがないんです。
教科書というのは、普段手にしない作家を知るいい機会でもあり、将来、思い出して手に取ることもありえるわけで、そう考えると、選定する方々は責任重大なお仕事をしているのですね。
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kahoさま (くろにゃんこ)
2007-09-17 08:41:49
へええ~、ランダムから来たのですか!
85万からあるブロウのなかからランダムに選ばれるというのも凄い確立ですよね。
ちょっと感動してしまいました。
ブログを褒めてくださってありがとうございます。
kahoさまも、ブログ生活を楽しんでくださいね。
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読んでませんが (piaa)
2007-09-17 10:50:35
私は残す方に一票。というかカットしてしまうと違う作品ですよね。
本から得る知識は実生活の一部にしか役立ちません。もともとはそのことを描いた作品なのではないのでしょうか。
ちなみに私もチェーホフは全く読んだことがありません。

教科書に載っていた作品って、全く思い出せませんが、中学生の頃はかなり本を読んでいました。中学生のときにゲーテの「ファウスト」を読んでノックアウトされました。今もその時の本を大事に持っています。
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チェーホフの賭けだったんだ・ (クレタク)
2007-09-18 01:38:59
僕は削除しない方が良いと思います。削除すると作者の伝えたいことが変わる気がして・・・僕も中学生の頃教科書で読んだんですが作品名と作者を記憶してなく、再度読みたいと思い、友人達に聞いたのですが、現在の周りの人たちとは教科書が違ったか、読んでないみたいであらすじ話しても知らない人ばかりでした。
「200万ルーブル賭け」で検索してここに来ました
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削除しない方に2票入りましたね (くろにゃんこ)
2007-09-18 10:12:58
piaaさま

解説によれば後日談のある結末は、人生において金が全てという金銭賛美の印象を読者に与えてしまったようです。
もとはpiaaさまがおっしゃるような作品であったように思いますが、小道具の一つであった賭け金が読者の目に目立ってしまったということなのでしょう。
それでもレフ・トルストイは後日談のある結末を高く評価していたようで、賛否両論だったのですね。

中学で「ファウスト」ですか!
凄いなぁ。
私も中学時代にはよく本を読んでいましたが、名作や古典よりもSFやミステリを多く読んでいましたね。
そのころに読んだSFやミステリが現在は古典と呼ばれているなんて、時の流れは残酷です。


クレタクさま

「200万ルーブル」という金額をよく覚えていましたね!
私は金額は忘れていましたが、チェーホフという作家名を覚えていました。
クレタクさまと年齢的に離れていなければ、私と同じ教科書であった可能性もありますね。
同じ教科書を使っていても、授業で使われない場合も考えられますから、こうして教科書に載っていた作品を覚えているという共通の記憶があることを嬉しく思います。
昔読んだものを読み返してみるというのも、以前とはちがったものの見方ができて、新しい発見ができたりするので、ぜひ読んでみてくださいね。
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Unknown (mumble)
2007-09-18 17:20:51
こんにちは。いつまでも暑いですね。話の筋としては、法律家は即死刑よりは長期拘禁の方が犯人にとってはキツイと言ったんでしょうか?それともきつくないと?どちらにしても、即死刑のほう試すことが出来ないのに、長期拘禁だけで賭けるというのは何か論点のすり替えのような感じがします。そう言うことはともかく、加賀乙彦が言うように拘禁状態は相当な精神異常をきたしますから、そうノンビリと読書も出来ないでしょうね。日本には終身刑はありませんけど、無期懲役で15年くらいのひとはかなりいるでしょうね。懲役より禁固の方がキツイんだそうです。人と話が出来ると耐えられるんでしょう。大原富枝の「婉という女」は40年。エドモン・ダンテスとか鉄仮面は何年でしたっけ?実際に独房に入れられるのは辛いけれど、広めの1Kくらいの広さがあって、本読み放題なら、20才で入って、35で出てきて、5億くらい手を打ちましょうか、なんちゃって(^^)。死刑をあやうく免れた人は一瞬一瞬を大切に生きるかというとそうでもないと、ムイシュキン侯爵がいっています。でも、バラバは「さあ殺せ」と言わんばかりの悪党なのに、死刑を免れて安堵のため息もつきませんし、感謝もしませんね。
どんな言葉にも、「それにつけても金のほしさよ」と続ければ川柳になるそうで、「生活」抜きの話は胡散臭いと言うことではないでしょうか?で、人生には後日譚があると知った上で、作品としては後日譚なしに一票。長くなってスミマセン。
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