言葉がどこか身体の奥のほうで凝って、発露されない日々が続くことがある。
言葉を失わないために、わたしは文字を連ねるのではなかったか。
想うことを放棄しないために、わたしは言葉を探るのではなかったか。
今とは違う会社に居たとき、あまりに多忙なせいで月を見上げることを忘れ、時が衣替えしてその姿や日差しをくるくると変えてゆくのを見過ごし、凍った水や枯れた花に気付かなかった。
義眼のように風景や人の心情を反射するだけの目は要らない。枯れ枝の鳴らすかりかりした神経質な音に冬の焦燥や苛立ちを聞くことができない耳、季節の訪れや湿度を感知できない鼻はやはり要らない。なにしろ、それらを引っ掛ける幾重にも分かれた細い枝を持たない自分の脳が、疎ましかった。
人の言葉を奪うものは、ひとえに多忙とは限らない。
想いがあり、葛藤があるのに、言葉として流れ出してくることがない日々は、それは一方で午睡を貪るような脳の怠惰を疑うが、ひとえにそればかりでもあるまい。言葉が凝ったままに固まるという現象自体がひとつの表現であるとしたならば、それもまた可とせざるを得まい。
わたしの奥のほうで凝ったままの言葉のカタマリはいま、どんな色をしているか。目を閉じて想像する。
深い緑と、黒と見紛うほどの深い蒼がその多くを占め、入り乱れている。そして、その合間を柿色や朱の染みが埋めている。とりわけ美しいものでもないように見えるが、かといって醜いわけでもない。自ら光を発するよりもむしろ、光の悉くを吸収せんばかりのその暗い色味は、なんとなくしっくりくる。
いまわたしの中に手を差し入れてその丸いカタマリを取り出したら、それはきっと体温よりも冷たいものだ。
役立たずの眼球の代わりに、右目にそれを嵌め込んでみたらどんな世界が見える。
まるで新しいもののように見える風景を貪欲に吸収し、暗い輝きを増してくれるに違いない。そして言葉は言葉以外の何かとなって、受容体の枠に収まりきれず、わたしの目の中で破裂するのだ。
(一方、光線や蛍光は該当する波長域を発しています。)
我々が日々「赤」と思っているものは、赤色以下の波長(~約650nm)を吸収しているのです。
そして「黒」はあらゆる波長を吸収する故に、黒いのです。
「貪欲に吸収し、暗い輝きを増してくれるに違いない。」
このフレーズは、物理をかじった者には心地よい表現です。
我々の眼は(諸説ありますが)380~800 nmのみを可視光としているにすぎません。
見えないもの=「存在しない」とは、誰にも言えないのです。
(防○庁官のUFO発言みたいになってしまったw)
reference
■オックスフォード・生理学 ISBN4-621-04920-8
それがなかなか、何らかの事情で出来ないときも
あったでしょうし、これからもあるかもしれません。
だから、人生はうまいこと、
チャラになるように出来ていて、
バランスを考えるとそういう時期・状態というのも、
ありなのかもしれません。
喜悦も懺悔も上手く表現できない現段階においては,あなたへの感謝もうまく伝えられないけれど,取り急ぎ,ありがとう.
物理的距離を超える人と人との近しい距離感を教えてもらったけれど,次は,第六感・霊感の存在かしらね.
マユさんの言葉には,いつもふっと立ち上がる時を与えてもらっております.
日々の生活で少しずつそのしきい値は周囲と同調していくため、いつからか引っ越したばかりの部屋が放つあの独特の匂いは消え失せ、玄関の雑草には気を留めなくなり、家路を急ぐ夕焼けは風景と認識されにくくなっていくのだと思います。
逆に基準値自体を意識的に下げることはわりあい簡単なので、結果いろいろなものが引っかかりはしますが、その実体はポジティブであれネガティブであれストレスには変わりないので、処理する心が平静にスタンバれていないと事象に共鳴した感情で押しつぶされてしまいます。
それを防ぐためにまたスレッショルドは上がり防御体制に入って…(以下無限ループ)
バイオリズムのように周期的に訪れるそれは人の意志でのみ反転するのだと思います。
"その時"を今僕は目撃しているのでしょうか。
紡ぐべき出来事を捉え、紡ぐための言葉を発する。それは反応レベルをターゲットよりも下げ、分析できる心の状態を用意し、出力する時間を削りだすということ。
エネルギーをどんなにつぎ込んでも、それらを全て満足いく条件お膳立てるのは、なかなかに難しいものだなとつくづく思います。
破裂したマユ姉さんの言霊、是が認識できる手段で出力していただけることを切に希望しております(笑
わたしもほら、美術屋ですから(笑
モノに執着する一方で、「すべからく、モノはただの光にすぎない」という現実との狭間に立っております。
そしてわたしと云えばご存知の通り、発散系ではなく吸収系の人間ですから、わたしの中にもし色があるならば、それはとっても暗くて、その分凄まじいギラつきのある光じゃないかなと思うわけなのです(笑
物理系視点をお持ちの方でないと引っ掛かってくれない箇所に、うんうんと頷いてくれてありがとう。
嬉しいぜ。
>藤井太郎 さま
わたしは多分、バランスを取るのがそれほど下手糞ではない人間です。
しかし、バランスを取るために必要なエネルギーの充填方法が下手糞なのです。
そして、バランスを取っているわたしと、エネルギー充填をするわたしは、まるで別人のようにして居ます。
うまいこと分業制になっているお陰で、あらゆる状態を俯瞰することができることがなかなかに便利です。
共鳴とは、その人が望んだときに、望んだ場所からふいにやってくるものかもしれませんね。
他意はなかったのだけど、乱暴なこの書き散らかしがあなたの心に届いたということは、ひとまずそういうことなのでしょう。
ことばと時間とが「やってくる」瞬間は、いつも不思議に突然で感動的だったりします。
>レン玉
バイトの話、急務すぎて第一陣は手元で済ませてしまいました(挨拶)。
バイオリズム。
なんとも不愉快なバイオリズムです。月の満ち欠けじゃあるまいし、もう少しランダムにやってくればよいではないか、と思います。
とはいえ一方で、このバイオリズムは自身が引き起こしているものなので、ある種予定調和の意味合いもあったりして厄介です。
常に渇望するその先に、ことばがあります。
渇望を餌としないことばは、ひどく無味乾燥で人畜無害です。
そして、わたしのこころから渇望が費える日はきっとありません。わたしがその渇望に光を当てれば、いつでもことばはその芽を出すのです。ただ、忙しいせいでその芽の世話ができないから、放置してあるにすぎないのです(笑)
ぜったい全然レベルというか次元違いなんだけど、
饒舌というか喧しい自分からことばが出ないことがある最近、
すごくもどかしくって、こわいんだよね。
マユちゃんに時々会えて、いつもとっても嬉しいよ。
何の告白じゃ、って感じでごめんなさいね。
またポツポツ話しましょう。
きっと、わたしたちの口から「ことばが出ない」などと云ったなら、きっと非難ゴウゴウになるでしょう。
自分たちがほんとうに言いたい言葉を発しているかどうかはさておき、きっと我々は(自分としては「ことばがでない」と思っている最中であるにも拘わらず!)傍目からはそれでも饒舌に見えるはずです。
ことばに全権を与えていないくせに(からこそ?)、こんなにもことばに期待する自分がどうなのさ、とも思ったりします。
ヨーコちゃんに逢うときはいつも、そういう「どうなのさ」を感じずとも済むので、大層心地よいわけなのです。