Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

サカキバラ先生。

2008-01-18 | 徒然雑記
 冬という季節は、人のなかで耳をとりわけ大きくする。
 縮こまる身体と同調して背は丸くなり、視線は細くなり足元に落ちる。ただでさえ急ぎ足になる僕の眼に映りこむものは、網膜から脳へと投影されるよりも速く、流れ去ってゆく。

 近所の奥様がたの憩いの場になっているらしい喫茶店で、幼稚園の先生がたについての批評が活発になされていた。聞きたくもないその会話が、キンと張った自己主張の強い声によって勝手に届けられてくる。
「あの先生は、とても優しくて丁寧な方だけど、子供はコドモだと思っているのよ。まだ経験が浅くていらっしゃるから仕方ないことだと思うのだけど。」
なるほど、ひとりの子の親としてはなかなかの意見だ、と僕は思った。そして、その言葉の真意を、そこに居た奥様がたの全てが同じ温度で理解し得たとは到底思えない応対が続く。
「でも、先生は、子供になにかを『させる』ことができる点で、親と違う意味があるのよ。」
会話としては成り立っていないけれど、『させる』ことができる、というのは感覚的によくできた言葉であることに変わりない。僕はそれなりによい議論の場を目撃しているようだ、とこの偶然に満足もし、同時に薄ぼんやりした自らの幼稚園生時代を思い出そうと試みた。しかし結局思い出せるのは、幾度も反芻した偏った記憶の断片と、のちにその場面を考察することによって得た「先生」というひとりの人間の葛藤にすぎない。
 
 僕は、幼稚園に2年しか行っていない。そして、そのどちらかの年に担任であった「サカキバラ先生」というひとりの先生の名前しか記憶していない。記憶している出来事の背景にはそれ以外の先生が居ることもあるけれど、「先生」という人はいくら複数人いたとしても、僕にとってはひとつの大きな「先生」という権力にすぎなかった。「サカキバラ先生」は、その権力に実体と名称を付与するための代表としてひとつだけ僕に覚えられた名前だったにすぎない。
 サカキバラ先生は、僕がうまくみんなにいじめられるようにするのがとても上手かった。みんなの前で僕の「悪事」(その殆どは身に覚えのないことであったが)を数ヶ月おきに暴いて、みんなが僕を攻撃できる言い訳を上手に作った。僕の悪事をみんなに話すとき、サカキバラ先生はいつも、とても気の毒そうな哀れむような目をして僕を見ていた。まるで、僕がほんとうにその悪事をやらかしてしまったと信じ込んでいる目であった。僕はその先生の目がとてもかわいそうなものに見えたので、「先生、僕はやっていません。」と云ってしまうことが憚られた。みんなが一丸となって僕の悪事を糾弾する様子を見ながら、サカキバラ先生は哀しそうな目のままに、とても満足そうなのだった。

当時の僕はあからさまな敵意の渦の中で、サカキバラ先生だけがほんとうは僕に敵意なんか向けていないことをなんとなく判っていた。それから10年くらい経ってスケープゴートという言葉を知ったとき、成る程そういう一般的な習慣が社会にはあるものなのだと腑に落ちた。そうして同時に、当時の僕の存在意義がわかったのだった。それからというもの、僕はもう会うこともないサカキバラ先生に一種の情愛めいたものさえ感じた。サカキバラ先生が僕に向け続けた哀しい目、「僕はやっていません」と云うことを拒否し続けた矜持。それらはきっと全て共依存という甘えの構造にすぎず、僕は当時先生のことをいちばんよく判っていた、という自負に繋がっていたに違いない。

子供は単にコドモではない。幼稚園という社会の中で、まだ言葉として知らない様々な社会構造に触れ、それを感じ取って演技をしながら過ごしてゆく。大人とただ違うのは、感じ取ったものを言葉に置き換えることができないことくらいだ。
僕がいまこうしてサカキバラ先生のことを暖かく思い出しながら煙草に火を点けるさまなんて、きっと先生は想像もできないだろう。仮に、先生が僕という人間がいたことを覚えていたとしたならば。