夢中人

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ハム

2014年11月10日 | Weblog
本を読み返してみた。佐藤優さん「人間の叡智」。
以前に読んでいたのだが読み返してみる。ここのところ、旧約聖書のある部分が気になっていて、なぜだ、なぜだと思っていたところに再び読む。
人間の叡智 (文春新書 869)
佐藤 優
文藝春秋


佐藤さんの本を読んでいると、シンプルな感じで書かれてあるようなのですが、見たことがないような字や言葉、いろんな人物、そしてその人物の出来事などが書かれてあって、新しい世界が開けるような感じです。あと何と言っても、他のストーリーとリンクすることが多くて、また、こうなのだろうなと感じることが多い。

旧約聖書の気になる所というのは、創世記に書かれてあるノアと息子達のストーリーです。
創世記9-20『さて、ノアは農夫となり、ぶどう畑を作った。あるとき、ノアはぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。カナンの父ハムは、自分の父の裸を見て、外にいた二人の兄弟に告げた。セムとヤフェトは着物を取って自分たちの肩に掛け、後ろ向きに歩いて行き、父の裸を覆った。二人は顔を背けたままで、父の裸を見なかった。ノアは酔いから醒めると、末の息子がしたことを知り、こう言った。
「カナンは呪われよ
奴隷の奴隷となり、兄たちに仕えよ。」』
このお話の意味は何なのだろうと、しばらく思っていたのです。旧約聖書のことだから、そのままストレートではなく、解釈であって、その裏にある愛のはずなのですよ。
お話のタイプ的には、黄泉の国で見てはいけないというのにイザナキがイザナミの姿を見てしまった話とか、また「鶴の恩返し」のように見てはいけない物を見てしまって話が動く系統なのかなと思ったりしていたのですが、それだけじゃないなとしっくりこなくて、そんな時に佐藤さんの「人間の叡智」を読んでみたところ、この話は「後継者選び」なんだなと感じました。
「カナンは呪われよ」の「呪い」は「願い」の意味。マイナス的な感じがするのですが、プラス思考で考えると「試練」の意味なのかなと思いました。ハムに試練の試練を与えよという感じでしょうか。いろんな試練、いろんな訓練が後継者には必要なのですね。

ノアは、エリート。つまり神にお願いされた人。神に魅入られた人だと思うのですが、ノア的には、この神に魅入られたことが辛いことで、なんといいましょうか、呪縛的な感じだったのかなとも思ったのです。そうなってしまったからには、もうそれからは逃れられない呪縛でしょうか。
ノア的には、実はそれが辛くて折れそうな時もあった。ノアには後継者が必要で、その後継者は引き継いでいかなければいけない。だからこそ「試練」を与えた。
エリートとは、いいことばかりではなくて、いろんな状況に陥るのだと思います。それは現代の状況をみていても思います。それで「脆さ」もあると思います。エリートであり続けるというのはリスクもあるのかなと思うワケで、それに打ち勝っていくには試練、訓練が必要なのかもしれませんね。
最近、本を読んだり、お話を聞いたりしていると「エリート」という言葉を目や耳にします。
今、このエリートが動いていないというか、動きにくい状況なのでしょうか。
コメント
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