ある産婦人科医のひとりごと

産婦人科医療のあれこれ。日記など。

医療事故はいつでも起こる

2009年01月12日 | 医療全般

医療に間違いはないという神話とは決別する必要があります。今後、「事故はいつでも起こりえる」という前提に立った上で、医療の水準を高めていくべきです。

****** 宮崎日日新聞、2009年1月11日

医療事故の10年

「いつでも起こる」を前提に 

 医療事故が起きると、医療側と患者側が対立する。

 本来、医療が対決するものは病気やけがだ。治療のために必要なことは医療スタッフと患者の協力と信頼関係である。

 「医療に間違いはない」という神話とは決別しなければならない。過去の不幸な事例を生かし、「事故はいつでも起こりえる」という前提に立った上で、医療の水準を高めていくべきだ。

 都立広尾病院で消毒薬誤投与事件が起きた1999年は「医療安全元年」とされる。

 十分とはいえないものの、病院は医療事故を隠さずに報告するようになった。この10年、医療現場は劇的に変化した。

■フルネームで呼ぼう■ 

 本県でも黒木や日高、甲斐といった姓の方は経験したことがあるだろう。病院などの待合室で呼ばれると、しばしば別人が同時に立ち上がる。

 全国の医療機関では患者の取り違えといった初歩的なミスを防ぐため患者の姓名をフルネームで呼ぼうといった試みや、院内感染防止などの取り組みが進んでいる。

 仮に間違いが発生しても重大事故にならないよう食い止める。もし、不幸にして事故に発展した場合は真相や原因を科学的に究明する。再発を防ぎ、被害者を救済する。そんな役割を果たす公的な中立機関も待望される。

 そのための医療安全調査委員会(医療事故調)を設けようとする厚生労働省案が昨年できた。だが、医療への官僚による統制などを嫌う現場医師の反発は強い。

 医師で作家の海堂尊氏の新著「イノセント・ゲリラの祝祭」は、その迷走ぶりを描き、医療行政で失敗続きの厚労省を痛烈に批判している。

「魔の時間」が訪れる

 医療事故すべてを警察の捜査に委ねるのは無理であり、適切とも思えない。

 医療者自らが事故の原因、経緯を調べ、つまびらかにする院内調査を補完する医療事故調査の公的仕組みがあれば患者も納得できるだろう。

 厚労省案ばかりでなく、院内調査を重視した民主党案も議論して、幅広い合意を基に医療事故調査の仕組みを議員立法で築くべきではないか。

 医療事故で業務上過失致死傷罪に医療者が問われることがこの10年で増加している。しかし、医療で業務上過失致死傷罪の対象となる基準はあいまいである。

 犯罪として捜査するのは、悪質な場合に限定すべきだ。そのためには基準作りも課題となる。

 「魔の時間」というものが存在する。医療現場でも看護師らの泊まり勤務明け直前に事故が起きやすいという。医療スタッフを慢性的な過労状態から救い出すことも安全向上に直結する。

 対立する前に協力を。医療側と患者側の相互理解を促す環境づくりこそが急務である。

(宮崎日日新聞、2009年1月11日)