コメント(私見):
産科医療では、一定の頻度で母体や児の死亡や重大な障害が発生する可能性があり、しかも、こうした事例が突発的に発生するのが産科医療の最大の特徴と言えます。産科の急変事例で母体や児の命を守るためには、非常に高度の医療技術を要しますし、産科医・新生児科医・麻酔科医・助産師・看護師などで構成される医療チームの力を集学的に駆使して、初めて母児の救命が可能となります。
産科救急の救命率向上のためには、不幸にも母児を救命できなかった症例を集積して詳細に検討し、『今後、同様の症例に遭遇したら医学的にどのように対処していけばいいのか? また、今後、産科医療提供体制をどのように変革すれば、同様の症例に対処することがが可能になるのか?』について、医療側、患者側、医療行政側などが、一つのテーブルで真摯に話し合うことができる新しい問題解決システムを創設する必要があると思います。
医療側が救命を目的にできる限りの対応をした事例については、刑事裁判で争うこと自体が非常に不適切と思われます。刑事裁判は有罪か無罪かの争いですから、弁護側は最後の最後まで『問題がなかった』と主張せざるを得ないし、検察側は職務上何としてでも有罪を立証しようと全力を注がざるを得ません。最後に勝敗が決するまで、どこまでいっても対立するしかないシステムで、このような事例の解決方法としては大きな違和感を感じます。
**** 日本産婦人科医会報、2008年10月1日
福島県立大野病院事件を振り返って
主任弁護人弁護士 平岩敬一
はじめに、物心両面にわたって多大なご支援をして下さった医会の皆様に心から御礼を申し上げたい。無罪を勝ち取り、検事控訴もなく一審で判決が確定したのは、医療界を挙げてのご支援があればこそと深く感謝している。
平成20年8月20日、福島地裁の法廷で、被告人は無罪との判決を聞いた時は、ほっとした、やっと肩の荷が下りたというのが偽らざる心境であった。しかし、なぜ加藤医師は逮捕・勾留されたのか、なぜ起訴されねばならなかったのかと考えてみても、私には今だに何一つ合理的な理由を見出すことができない。検察・警察の医療に対する無知が招いた不幸な事件であったとしか言いようがないのである。
現在もなお、不正確な情報に基づき、事件について論議されている節もあるので、以下出来る限り正確に事実をお伝えすると共に、判決の内容についても少し触れておきたい。
加藤医師は、平成8年に大学を卒業後、福島県立医科大学産婦人科学教室に入局し、周産期医療の権威である佐藤章教授の指導を受けた。同大学付属病院の研修医を経て、その後いくつかの病院に勤務し、平成13年に日産婦学会から専門医として認定され、平成16年4月から大野病院の産婦人科の一人医長に就任した。
加藤医師の産婦人科医としての勤務年数は約8年7カ月であり、この間約1,200例の分娩を取り扱い、そのうちの200例が帝王切開手術であった。平成16年7月には妊娠37週の全前置胎盤患者の帝王切開手術を無事に終えている。
大野病院には、12名の医師が常勤として勤務しており、看護師は90名前後、一般病床は146床であり、第二次救急病院に指定された双葉郡内における中核病院であった。産婦人科には、常勤9名、臨時1名の助産師が勤務していた。
本件患者は、昭和50年に出生、平成13年に双葉厚生病院において、帝王切開手術により第一子を出産していた。その後平成16年5月6日、大野病院で加藤医師の診察を受け、妊娠5週と診断された。初診時の超音波検査の際、通常の切開場所に前回帝王切開創が認められたが、以後の超音波検査では、胎児の成長に伴い子宮壁が薄く伸びたため、確認ができなくなった。本件患者は、6月15日(妊娠10週3日)、経腟超音波検査により、後壁の低い位置に胎盤が付着していると診断され、10月22日(妊娠28週6日)、経腟及び経腹超音波検査により、後壁付着の全前置胎盤であるとの確定診断を受けた。加藤医師は同日の診察時、本件患者に対し、避妊手術の希望の有無を確認したが、希望がないため、診療録に「mad せず」と記載した。本件患者は、その後も幾度か加藤医師の診察を受けたが、11月22日(妊娠33週2日)、切迫早産及び前置胎盤の管理のため、大野病院に入院した。
加藤医師は、12月3日(妊娠34週6日)、経腟超音波検査を行ったところ、血流が豊富であり、わずかに尿中潜血が認められたことから、医師記録に「血流(+)」「尿中潜血(±)につき癒着胎盤又は前置胎盤による出血注意」と記載した。東北大学の岡村教授は、画像の血流は前置胎盤にしばしば認められる血流を示す所見であり、癒着胎盤を疑うほど豊富な血流ではなく、尿中にわずかな潜血があることをもって癒着胎盤を疑うことは過剰診断であると述べている。
加藤医師は、12月6日(妊娠35週2日)のカラードプラ検査により、芋虫状の血流が見られたので、医師記録に「膀胱下血流(+)」と記載した。岡村教授は、このような血流は通常の妊婦にも臨床上よく見られるものであって、この血流から癒着胎盤を疑うことはできないと述べている。同日、加藤医師は、術中超音波検査のためにプローベを清潔にすること、MAP5単位を用意すること、場合によっては単純子宮全摘手術を行うことを前提に手術の準備をするよう指示し、本件患者に対しても、輸血や子宮全摘手術の可能性について説明している。
加藤医師は、12月14日(妊娠36週3日)、本件患者夫妻に対し、本件患者が前置胎盤であること、輸血や子宮摘出の可能性、血栓症、抗体、DIC 等について説明し、何かあったら双葉厚生病院の産婦人科医に手伝ってもらう旨話した。本件患者は、被告人の説明を受けた後、手術承諾書、輸血同意書に署名している。この間加藤医師は、本件手術の麻酔医に対し、手術中に出血が多くなる可能性や子宮を摘出する可能性があることを伝え、これを受けて麻酔医は点滴ラインを2本取るよう指示している。
過去に県立医大で帝王切開時に大量出血となった症例があったことから、助産師の1人が加藤医師に対し、本件患者の転院を進言したが、加藤医師は、その助産師の経験が浅い上、やっかいな症例についてはすぐに転院を勧めるということがあったことから、大丈夫である旨答えている。あるジャーナリストは、チーム医療の観点から、助産師の進言を容れなかったとして加藤医師を非難するが、チーム医療は、医師、助産師、看護師が、それぞれ役割を分担してその職責を果たし、互いに協力、連携して医療にあたるものであって、経験が浅く、医療行為ができない助産師の進言を聞かなかったことを非難されるいわれはない。
本件手術は、平成16年12月17日(妊娠36週6日)に行われた。患者の夫が立ち会うことになっていたが、風邪を引いたとのことで立ち会うことはなかった。手術開始時の担当者は、執刀医が加藤医師、麻酔医、助手として外科医、助産師2名、オペ責の看護師、器械出しの看護師、出血量確認や雑務を担当する外回り看護師2名の合計9名であり、後に看護師ら3名が加わった。
午後2時26分加藤医師は、患者の腹壁を切開し、露出した子宮壁に直接プローベをあて、子宮内部を超音波検査した後、子宮を切開した。子宮切開前、子宮前壁下部に太さ2~3mmの男性の手の甲にある静脈程度の数本の血管怒張を認めたが、加藤医師がプローベでなでると消失した。助産師や看護師の中には、初めて見る血管の怒張を大げさに表現するものもいたが、前置胎盤の患者にこの程度の怒張が生ずることは珍しいことではなく、この怒張から子宮後壁の癒着胎盤を予見することは全くできなかった。
午後2時37分、体重3,000グラムの女児が娩出された。午後2時40分の出血量は、2,000mlであると麻酔記録に記載されている。臍帯血を採取した後、子宮収縮剤を注射し、臍帯を牽引したが、胎盤を剥離することができなかった。そこで、子宮をマッサージした後、再度臍帯の牽引を試みたが剥離しなかったことから胎盤の用手剥離が開始された。初めはスムーズに剥離できていたが、後壁部分の3分の2程度剥離が進んだ頃から、剥離がしづらくなってきた。加藤医師は、子宮の収縮が悪いためか、癒着胎盤のためかと疑いつつ、胎盤と子宮壁の間の白く薄い膜状の索状物をクーパーの刃でそいで切り、用手とクーパーを併用しながら剥離を続行した。この間、出血の吸引もスムーズに行われ、術野は完全に確保されていたことから、加藤医師は、クーパーの刃先を目視しながら剥離を行うことができた。最後に前壁部分にあった胎盤がするっとはがれ、午後2時50分胎盤娩出を終えた。剥離に要した時間は約10分である。この2、3分後である午後2時55分の出血量は2,555ml、剥離開始時の午後2時40分の出血量は2,000mlであるから、胎盤剥離中の約10分間の出血量は、最大でも555mlであった。麻酔記録には、この直後から輸血等を始めたとする記録がある。
胎盤娩出後、加藤医師は、子宮収縮剤を再投与したが、出血は収まらず、ガーゼを充填しての双手圧迫、出血部位の縫合等を行ったが出血はなお続き、午後3時5~10分の出血量は7,675mlに達した。加藤医師は、この頃子宮摘出を決意している。
午後4時30分、加藤医師は、輸血により血圧が安定したのを見計らって子宮摘出手術を開始し、約1時間後に無事終了した。
午後4時45分には、最高血圧は120mmHg 最低血圧は30~60mmHgまで回復した。
午後6時5分、加藤医師が子宮摘出の際に傷ついた膀胱を縫合し、膀胱からの漏れがないか確認していたところ、突然心室細動が起こり、約1時間の蘇生術にもかかわらず、午後7時1分患者は死亡した。
患者が手術室に入室した午後1時30分から、加藤医師が待機していた家族らに患者の死亡を告げた午後7時すぎまでの間、加藤医師から経過についての説明が何もなかったと、家族らは加藤医師を非難する。しかし、長時間にわたり、片時も手を休めることなく、一生懸命患者の治療に当たっていた加藤医師を非難するのは酷である。家族への説明は当然に必要であるが、それは病院のリスク管理のシステムの問題である。他山の石としたい。
午後8時30分頃から、加藤医師は、家族に対し、改めて手術経過を説明し、病理解剖を勧めたが断られた。当日夜、加藤医師は、麻酔医と共に院長らと協議したが、医療過誤ではないと判断し、警察へ届出をすることはなかった。
ちなみに大野病院の「医療事故防止のための安全管理マニュアル」では、旧厚生省の「リスクマネジメントマニュアル作成指針」に基づき、届出は院長が行うことになっていた。また、同年12月20日に行った院内検討会においても加藤医師の施術に過失があったという指摘はなかった。
ところが、平成17年3月22日付けの県の事故調査委員会報告書には、過失を認めるような記載があり、県は記者会見を開いて医療過誤があったとして遺族らに謝罪している。検察官は、裁判において、謝罪の記者会見を写真入りで報じた地元新聞二紙が捜査の端緒であったとし、新聞の記事を甲1号証として証拠請求している。
報告書を検討した警察が、過失の存在を前提に捜査を開始したことは、やむを得ないことであったと思う。しかし、1年近い捜査によって、報告書が再発防止と過失の存在を前提とする保険適用を意図して作成されたことは判明した筈である。だからこそ、検察官は、裁判においても、本来甲1号証として真っ先に証拠とすべき報告書について、ついに証拠請求すらしなかったのである。県は、報告書の公表や記者会見をすることについて、配慮を欠いたものと言わざるを得ない。平成18年2月18日、あらかじめ自宅待機を指示されていた加藤医師は、警察署に任意同行を求められた上逮捕されている。
患者が死亡してから1年2カ月が経過していた。事件後も一人医長として、激務のなかで地域医療に貢献していた加藤医師を逮捕する必要性がどこにあったのであろうか。警察は、身柄を拘束した上で、接見禁止により外界と接触させないようにして、自白を得ようとしたのであろう。
加藤医師は、その後勾留されているが、この勾留も不当であった。刑事訴訟法上、勾留は、「罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由がある場合で、定まった住居がないとき、罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由があるとき、逃走し又は逃走すると疑うに足りる相当な理由があるとき、の1つにあたるとき」に限られる。カルテ等の記録はすべて押収され、必要な関係者らの取調べも終わっている段階で、事件発生後1年以上経ってから加藤医師が関係者らと口裏合わせをすることなど無意味である。隠滅すべき罪証などないに等しい。加藤医師に罪を犯したという認識はなく、県立病院の医師として真面目に働き、まもなく第1子が生まれようとする時に逃走すると疑うことは不合理である。薬の種類や量を間違えたり、誤って臓器や血管を切ったり、あるいは医療器具を体内に残置したりして、その結果患者が死亡するという明白な医療過誤事件ではない。癒着胎盤という疾患についての産科医としての通常の医師の裁量そのものが過失とされたのである。全国の医療関係者が猛反発したのもうなずける。
加藤医師は、平成18年3月10日、業務上過失致死罪、医師法違反の罪で起訴された。検察官は、起訴状の公訴事実において、胎盤の剥離が困難になった時点で、直に剥離を中止し、子宮を摘出すべきであったと主張するが、胎盤剥離を継続するか、あるいは中止するかは臨床現場の医師が、刻々と変化する患者の病状に即して判断し、最良と信ずる処置を行うしかないのであって、事後的に生じた結果から、施術の是非を判断することはできない。そうでなければ、単なる結果責任を追求するものにすぎないことになる。
検察官は医師でも医療の専門家でもない。癒着胎盤という極めて稀な疾患の施術について、過失の存否を判断するにあたっては、医療現場で実際に行われている、癒着胎盤に対する施術を前提とし、これが専門的な領域の事象であることから周産期医療の専門家の意見に耳を傾けて、本件施術時点において、何が診療当時の、いわゆる臨床医学の実践における医療水準であるのかを慎重に見極めなければならない。その上で、カルテ等の客観的な資料を仔細にかつ慎重に検討して合理的な判断をすべきである。ところが、検察官は、周産期医療の専門医の意見を全く聞いていない。警察の依頼により鑑定書を作成した大学教授は、婦人科腫瘍の専門医である。鑑定を依頼した警察官に対し、私は、周産期の専門医ではなく、一般の産婦人科の専門医であるが、その知識でしか鑑定できないがよろしいかと尋ね、警察の了解を得ている。同教授は、自ら執刀医として癒着胎盤の手術をしたことはなく、一度も癒着胎盤の超音波検査をしたこともない。癒着胎盤の施術の当否を判断する適格性がないのである。
一方、弁護側の鑑定書は、日産婦学会の当時の周産期委員長であった岡村教授と前周産期委員長であった宮崎大学の池ノ上教授が書いている。両教授が、本件患者のカルテ等を十分に検討した上で、加藤医師の施術に過失はなく、自分でも同じように施術していたと思うと証言したことはそれなりの重みを持っている。
癒着胎盤の臨床例についても検察官は「剥離が困難となった時点で、直に剥離を中止し、子宮を摘出する」という症例を1つも証拠として提出することができなかった。逆に検察官申請の証人である双葉厚生病院の産科医は、産科の臨床医として32年の経験があり、1万件を超える分娩を担当し、これまで3例の癒着胎盤症例を経験したが、いずれも出血は多くなったものの、胎盤剥離を完了している。岡村教授は、約33年間で1万件以上の分娩に立ち会い、そのうち100ないし200例は前置胎盤であり、臨床的に癒着胎盤の症例は8ないし10例くらいあったが、穿痛胎盤の1例を除き、すべて胎盤を剥離している。池ノ上教授は、約36年間に多数の分娩に直接、間接に関与した。宮崎大学で経験した12例の癒着胎盤のうち、5例は胎盤剥離をしないで子宮を摘出し、他の7例は、すべて胎盤剥離をしている。新潟大学医学部の医局検討会では、34例の前置胎盤症例について、うち癒着胎盤症例が3例あったが、この3例については、いずれも胎盤剥離を完了させている。このように裁判においては、癒着胎盤の剥離を開始した後に剥離を中止し、子宮摘出手術に移行した臨床例は1つも提示されていない。
そこで判決では、「岡村、池ノ上、加藤の3人の医師の鑑定ないし証言から、大学病院や地方病院などの臨床現場の標準的な医療措置をくみ取ることが可能であるとし、用手剥離を開始した後は、出血をしていても胎盤剥離を完了させ、子宮の収縮を期待するとともに止血操作を行い、それでもコントロールできない大量出血する場合には子宮を摘出する。これが臨床上の標準的な医療措置と解するのが相当である」として、弁護側の主張をほとんどそのまま認めている。さらに判決は、刑罰を科す基準となり得る医学準則について「臨床に携わっている医師に医療措置上の行為義務を負わせ、その義務に反したものには刑罰を科す基準となり得る医学的準則は、当該科目の臨床に携わる医師が、当該場面に直面した場合に、ほとんどの者がその基準に従った医療措置を講じていると言える程度の、一般性あるいは通有性を具備したものでなければならない」と判示している。常識的な判断であると思う。
胎盤の癒着部位について判決は、「後壁は相当程度の広さで癒着していたが、前回帝王切開創部分を含め、前壁に癒着があったことを認めるには合理的な疑いがある」とし、癒着の程度については、「嵌入胎盤であり、絨毛の深さと子宮筋層全体の幅が約1対5程度であることが認められる」として、前壁にも癒着があり、癒着程度は子宮筋層の2分の1であるとする検察側の主張を排斥し、弁護側の主張を容れている。これは、検察側の病理医が、「癒着胎盤の病理診断を行うのは本件が2件目であり、胎盤病理についての専門的な研究の経験がない」のに対し、弁護側の病理医は、「胎盤病理の経験豊富な専門家である」という経験の差が如実に反映された結果であると思う。
大量出血の予見可能性について判決は、「癒着胎盤と認識した時点において、胎盤剥離を継続すれば、現実化する可能性の大小は別としても、剥離面から大量出血し、ひいては、患者の生命に危機が及ぶおそれがあったことを予見する可能性はあった」とし、子宮摘出手術等への移行可能性についても、「単に移行が可能か不可能かという問題であり、移行が相当か否かとは次元を異にすることがらである」としつつも、単なる移行可能性自体は認めることができるとする。さらに、移行等による大量出血の回避可能性についても、「単なる可能性の有無というレベルに止まるが、結果回避可能性があった」と解している。
確かに医療行為、特に産科のそれにあっては、大量出血の予見が可能な場合があり、危険な医療行為をそもそも行わないとすることで、事後的に見て結果を回避することが可能な場合があろう。しかし問題は、そのような医療行為が、適切か、相当かという点にある。その是非を判断する基準になるのが、わが国の臨床医学の実践における医療水準、判決でいう医学的準則である。この点について判決は、証拠に基づき常識的に妥当な判断をしていることは前述のとおりである。
次に医師法違反について判決は、「医師法21条にいう異状とは、同条が、警察官が犯罪捜査の端緒を得ることを容易にするほか、警察官が緊急に被害の拡大防止措置を講ずるなどして社会防衛を図ることを可能にしようとした趣旨の規定であることに照らすと、法医学的にみて、普通と異なる状態で死亡していると認められる状態であることを意味すると解されるから、診療中の患者が、診療を受けている当該疾病によって死亡したような場合は、そもそも同条にいう異状の要件を欠くというべきである」と判示する。合理的な判断だと思う。
最後に起訴から判決言い渡しまでの2年6カ月、医師でも医療専門家でもない法律家が、専門的な医療裁判を担うことの困難さを痛感した。特別弁護人として日本医科大学の澤先生を迎えることができたことは幸いであった。
それにしても、専門性の高い医療事件について、医療については素人である警察や検察が直ちに捜査にあたるというわが国のシステムには明らかに欠陥がある。最初から専門家が介入していれば、今回の不幸な刑事事件は起訴されることなく終熄した筈である。大野事件を契機に設置が検討されている医療安全調査委員会が、一日も早く設置されることにより、現在の欠陥が是正されることを願ってやまない。
(日本産婦人科医会報、2008年10月1日)