兵庫県伊丹市の市立小学校4校に、「ことば科」と呼ばれる教科がある。「『読む・書く・話す・聞く』ことば文化都市」特区の認定を受けた市が今年度から始めた。ゆとり教育による子供の学力低下が懸念されるなか、民話や俳句、百人一首などを通じて、日本語の読解力や表現力を磨き、コミュニケーション能力の向上を図ることを狙いにしている。児童らは「国語と違って、ゲーム感覚で言葉の意味や日本語の大切さを楽しく学べる」と声をそろえる
Sankei Web http://www.sankei.co.jp/kyouiku/gakko/070112/gkk070112002.htm
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取り組みとしては、良いと思うんですが、ここの一行が胸に引っかかってしまいました。
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ことば科には、「『おいしい言葉』を食べると心がきれいになり、『まずい言葉』を食べると友達を傷つけたり、いじめにもつながる」という考えも込められており、授業を重ねるうちに子供らの心や人間関係にも変化が表れ始めている。
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「水からの伝言」という文章に対して感じた事を以前記事にしてから、ますます思うようになったのですが、どこか変じゃないですか?
体格の良い子が、親戚などに会う度に「体に肉がついてきてたね、好ましいね」と言われて、実は本人は太っている事を気にしていて、傷ついている事があります。言っている当事者からすれば、これっぽちも悪意は無いのです、むしろ子供が健康に育っているのを称えている訳です。ましてや自分が相手を傷つけている事なんか、気付くはずがありません。いつか大人になって振り返れば、そうだったのかと思う時が来ると思いますが、今の思春期な彼には苦痛なんです。
言葉の持つ力は、かくも難しい様々な反応を引き起こすモノです。
それを学ぶきっかけになるのに、この取り組みはとても良い事だと思うのですが、「おいしい言葉」と「まずい言葉」の持つ意味を、限定していまっていないでしょうか?
漫画「サザエさん」の中で、猫に向って「またきやがったのかこのやろう」「ぶっころしちまうぞこのやろう」と言う声がして、びっくりしたサザエさんが覗いて見ると、おじさんが猫をそれはそれは撫でまくって可愛がっている光景に、またびっくりする、というお話がありました。
(おじさんのセリフはうろ覚えなので、正確ではないです)
子供心には、単純にその対比が面白かったですが、これは言葉の持つ不思議さに他ならないでしょう?愛情を表すのに「美しい言葉」でしか表現出来ない、そんな訳ないんです。
日本語の持つ、あいまいで寛容で深い意味合いを込める事の可能な表現を、若い柔らかい感性を持つ子供たちが感じれるような取り組みこそを、お願いしたと思います。
Sankei Web http://www.sankei.co.jp/kyouiku/gakko/070112/gkk070112002.htm
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取り組みとしては、良いと思うんですが、ここの一行が胸に引っかかってしまいました。
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ことば科には、「『おいしい言葉』を食べると心がきれいになり、『まずい言葉』を食べると友達を傷つけたり、いじめにもつながる」という考えも込められており、授業を重ねるうちに子供らの心や人間関係にも変化が表れ始めている。
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「水からの伝言」という文章に対して感じた事を以前記事にしてから、ますます思うようになったのですが、どこか変じゃないですか?
体格の良い子が、親戚などに会う度に「体に肉がついてきてたね、好ましいね」と言われて、実は本人は太っている事を気にしていて、傷ついている事があります。言っている当事者からすれば、これっぽちも悪意は無いのです、むしろ子供が健康に育っているのを称えている訳です。ましてや自分が相手を傷つけている事なんか、気付くはずがありません。いつか大人になって振り返れば、そうだったのかと思う時が来ると思いますが、今の思春期な彼には苦痛なんです。
言葉の持つ力は、かくも難しい様々な反応を引き起こすモノです。
それを学ぶきっかけになるのに、この取り組みはとても良い事だと思うのですが、「おいしい言葉」と「まずい言葉」の持つ意味を、限定していまっていないでしょうか?
漫画「サザエさん」の中で、猫に向って「またきやがったのかこのやろう」「ぶっころしちまうぞこのやろう」と言う声がして、びっくりしたサザエさんが覗いて見ると、おじさんが猫をそれはそれは撫でまくって可愛がっている光景に、またびっくりする、というお話がありました。
(おじさんのセリフはうろ覚えなので、正確ではないです)
子供心には、単純にその対比が面白かったですが、これは言葉の持つ不思議さに他ならないでしょう?愛情を表すのに「美しい言葉」でしか表現出来ない、そんな訳ないんです。
日本語の持つ、あいまいで寛容で深い意味合いを込める事の可能な表現を、若い柔らかい感性を持つ子供たちが感じれるような取り組みこそを、お願いしたと思います。
今晩は!今年もどうぞよろしくお願い致します。
納豆の騒ぎは、以前に「かんてん」や「きなこ」でも同様な騒ぎがありましたが、よくもまァ同じパターンにはまるもんだ、という印象です。
「信じたいことだけを信じる」事をしていたら、必ず狭い世界に閉じこもっている自分に気づいて、がっかりする時が来ると思うんです。自分だけならまだしも、沢山の人に影響を及ぼす立場に居る方には、広い視野と柔軟な感性を持っていて欲しいです。
今世間ではテレビ番組の影響で納豆売り切れ店が続出してるそうですが、基本的にタンパク質の固まりなんだから食べただけでやせるはずがありません。納豆を食べたグループと食べないグループで同じ運動をやらせた上での結果なんでしょうかね。
でも、多くの人は『水からの伝言』も「納豆でやせる」も「『おいしい言葉』で心もきれいになる」もただの「願望」にすぎないのに「信じたい」のでしょうね。
もしかして、お子さんが学区においでかな?とも思ったのですが、胸のもやもや感に堪えられず記事にしました。楽しく学んでいるお子さんの声を拝見すると、なおさら指導に当たっておいでの教師の皆さんの頑張りを期待したくなります。
うちの学区は4校に入っていないので「ことば科」は
ありませんが・・・
>日本語の持つ、あいまいで寛容で深い意味合いを込める事の可能な表現を、若い柔らかい感性を持つ子供たちが感じれるような取り組みこそ・・・
→全く同感です。これこそが日本語の本質のひとつ
ではないかと思います。