What A Wonderful World

毎日の暮らしの中で、心惹かれたことを語ります。

声優 内海 賢二さん死去

2013年06月13日 19時36分25秒 | アニメ
 あぁ、なんてこったい・・・ラオウが、剛腕の錬金術師・アームストロングさんが、ドラゴンボールのシェンロンが、居なくなっちゃったよ(号泣)

心から、ご冥福をお祈りします。長い間、たくさんの夢を見せて下さって、本当にありがとうございました。


★「スポニチ / 「北斗の拳」ラオウ、サリーちゃんのパパ 声優内海賢二さん死去」
( http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2013/06/13/kiji/K20130613006006110.html )より引用

 アニメ「北斗の拳」のラオウ役として知られる声優の内海賢二(うつみ・けんじ、本名健司=けんじ)さんが13日午後3時1分、がん性腹膜炎のため東京都新宿区の病院で死去した。75歳。北九州市出身。葬儀・告別式は未定。喪主は妻で声優の野村道子(のむら・みちこ、本名内海道子=うつみ・みちこ)さん。

「魔法使いサリー」のパパや「Dr.スランプ アラレちゃん」の則巻千兵衛など、張りのある低音を生かして多くのアニメに出演した。ほかの出演作は「狼少年ケン」「それいけ!アンパンマン」など。

外国映画の吹き替えでは俳優スティーブ・マックイーンやジャック・ニコルソンらを担当。テレビ番組のナレーターとしても活躍した。

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おかげさまで、父は順調に回復しています。

2013年06月13日 10時53分58秒 | 日常
 実家の父ですが、順調に体調が回復しているようです。昨日電話したら、家で多頭飼いしているネコたちのワクチンを打って貰う時期だそうで、ここ何日か動物病院へ車で通っているとのこと。どうやら1日1匹、連れて行っているらしい・・・確認されているネコは、10匹は居るんだけどな(未確認が居るんですよ! )


参照 ★「くるねこ大和 / ワクチンを打ちに」( http://blog.goo.ne.jp/kuru0214 )


そもそも年齢(80歳)と目の状態(加齢+酷使)が不安なうえに、手術後で体調が戻りつつあるといっても、運転してだいじょうぶなの?と訊いたら、まず最初に掛かりつけの眼科へ行って、視力検査と診察を受けて先生から運転の許可を頂いたそうです。さすが石橋を叩き割るA型長男気質の父でした(笑)以前よりは、自由に動けなくなったストレス解消&外出することで他人との会話もできるから、安全運転なぶんには、車の運転は良いと思っています。

仙台市内で、ややスローな安全運転で、助手席にネコの入ったバスケットが積んである軽自動車を見たら、すみませんが、広い心で接してやって下さい。
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こちらは昨夜から霧雨、今はぼやぼやした曇天。

2013年06月13日 10時52分28秒 | 日常
 防災訓練やら、次男の誕生祝の品を買い集める(「とある」を全巻揃えたいときたもんだ!)やら、健康診断やらで、ブログ更新に間が空きました。ネットもさっぱりうろうろできなかったので、健康診断の話をひとつ。


 計測結果→身長 156cm。体重 44.4Kg。血圧 116/95。異常無し。で終わるはずだったんすが、採血した場所(?)からの出血がなかなか止まらなくて、しばし処置室のソファで片手万歳してきました(恥)心臓より高く出血箇所をあげると、止まりやすいんだそうです。看護師さんに、二回バンソウコウを貼り換えてもらって、血が止まったのを確認して頂いてから、帰ってきました。採血しづらい(過去に「血管が逃げる!」とまで言われた)ことで、何度もやり直しされたりとかはあったんですが、血が止まらないというのは初めての事だったんで、ちょっと驚きました。

検査のための朝ごはん抜きが、本当に辛いので(三食きっちり食べたいタイプ)即座に家に帰ってご飯を食べましたー。納豆がウマいわ~。
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「良い風化」

2013年06月13日 10時30分53秒 | 日常
 ちょっと前の地元紙・河北新報の「今日のデスク日誌」より引用。

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 「風化という言葉を広辞苑で引くと、まっ先にどう説明しているか、分かりますか」

 片田敏孝群馬大大学院教授から、そう問われたことがある。東日本大震災の際、小中学生のほとんどが津波から避難して助かった釜石市で、防災教育をリードした学者として知られる。


 答えは「徳によって教化すること」。はじめは「?」と首をかしげたが、片田さんの解釈はこうだ。

大災害を経験する。そこで教訓を学ぶ。その教訓が当たり前のこととして、地域のみんなに浸透する。「教訓が広く定着して文化となること。それが良い意味での風化です」

岩石だってそうだ、と片田さんは言う。風雨にさらされ、砂になり、広く薄くなって一番安定する。「沿岸部で津波に備えるということは、地域の文化であるべきです」


 紙面で昨年から、住民らが震災の教訓を防災・減災に生かす「むすび塾」を展開中だ。記者が地域に入り、住民と語り合い、「わがこと」として震災に向き合っている。

その積み重ねが、地域に良い風化をもたらすと、信じたい。

(報道部副部長 古関良行)

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 私が宮城県沖地震を体験して得た教訓は、

「余震の次に本震が来る」
「上から物が落ちてきそうな場所(例えば台所の開き扉の棚の下とか)に居ない」
「慌てて家の外へ出ない(屋根瓦が落ちてきたり、ブロック塀が倒れてきたりするから)」

でした。

更に、東日本大震災を体験して得た教訓は、

「(海の近くの土地では)大地震の後には、津波が来る可能性を忘れない」
「必要最低限の食料や水、灯油や常備薬などの備えをする」
「自分(家族)の身は、自分(家族)で守る」
「減災のための努力をする」
「電気&通信を過信しない」
「同じ災害は無い。以前は助かっても、今度は違うものとして考える」


です。

そして、震災から二年ちょっとが過ぎて、当時はそんな事ができるなんて思えなかったけど、本当になったこと。

体育館で生活を余儀なくされていた人たちが、仮設住宅に移り住み、復興住宅に入居しはじめた。山と積まれたガレキも、重機や人の手で処分された。ドロとゴミの溢れた田畑も、大勢の人の手によって除塩やどろ掃きが進んで稲が植えられハウスが建てられた。真っ黒なハエがたかった腐った冷凍魚の山も全て片付けられ、新しい倉庫や機械が入った。ぼろとなった崩れた家も更地となって、新しい家がたつのを待つようになってきた。

災害のちからはあまりにも大きくて、無慈悲になにもかも奪っていきました。失った悲しさや辛い暮らしに、大きく傷つけられました。けれども、ちいさな人の手が、時間をかけて確かになしとげつつある復興を体感していることは、幸福であると言わずにはおられません。


>その教訓が当たり前のこととして、地域のみんなに浸透する。

 どうか、大地震が予測されている地域にお住いの皆さん、備えて下さい。身の回りの減災を、どうぞお考えください。
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