SpiMelo! -Mie Ogura-Ourkouzounov

L’artiste d’origine Japonaise qui mélange tout sans apriori

巨匠は違う~(2)相撲編

2009-09-26 06:41:59 | Essay-コラム
    

巨匠、と言っても今回は音楽ではなく、なんと相撲の話。

私たちのパリでの生活は相撲の場所をタイム・テーブルにして回っている、といっても過言ではない。(過言か。)もうすぐ秋場所だな~、とかね。場所に入ると、初日から千秋楽まで、連日インターネット観戦。
シラク元大統領も、場所中は午前中ランデヴーを取らないそうで、(時差のせいで取組はフランス時間の午前なのだ。)そういう所とビールが好きというところだけは共感できる。

話が逸れましたが、朝青龍、やりましたね~~
私たちはなんといっても、希代のヒール・ファンである。
しかし、あの、今日の優勝決定戦での集中力
白鵬だって、本割でのあの気迫、信じられない程すごかった。白鵬、という人は素人目にみても立ち会いの速さで決めるタイプではなく、相手を受けるように立って時間の中で解決していく相撲だから、いきなりあんな激しい立ち合いで来られたら、そりゃあ朝青龍にとっては完全な作戦負けである。
普通のひとならあんな負け方をしたら、絶対にショック、15分間では絶対に立ち直れない。

しか~し、ここからが巨匠の巨匠たる所以!
こんな過酷な状況のなかで、彼の集中力はますます研ぎすまされていたのだ。

「速さ」と「待つ余裕」、「情熱」と「冷静さ」、「綿密な計算」と「それを覆えす即興性」。このすべての一見相反するような要素が朝青龍の今場所の相撲をみていると、同居しているのが分かる。
この全ての要素をこの短い土俵での瞬間で体現できる集中力。

相撲というのは、このへん音楽に似ている。
理想的な音楽への集中力とはそういうもののような気がする。

「仕切り」は表情や雰囲気で力士の精神状態や勝敗を予測する時間。観客にとっては大相撲の大きな魅力のひとつであるが、朝青龍の場合、相手のエネルギーに火をくべて倍増させ、同時に観衆のすべてのポジティヴなエネルギーを吸収し、自分のエネルギーへと還元しているのが、よく分かる。だから見ていてすごく楽しい。そんな力士、ほかにいる?普通は集中力って言うと、「努力」して自分の内側にこもって集中していくのを想像するよね?この人は世界中のエネルギーを、自分のなかに取り込めるように、チャクラが外側に開いている。このおおらかな集中力。
その辺は、あの怪物ウサイン・ボルトを思い出す。
これが、新時代の、進化した集中の仕方なんだろうね。

その「努力」ということ対して、朝青龍が態度を持って問題提示し、よくも悪くも大論争を引き起こし、日本を揺さぶってるのが、すごいね。

彼の努力の仕方、それはもう、日本の伝統でいう、あの内にこもっていてジメジメしていて、これだけやったんですから!と言う見え透いた「努力」とはかけ離れているから。
あれだけマスコミに叩かれて、それでもこれだけ結果を出す精神力、これは精神的な見えない「努力」なくしてできるはずがない。
社会の重圧に押しつぶされそうになっているひとたちに、彼は限りない勇気を与えていると思う。

すごいぞ、ドルジ
でも琴欧洲も日馬富士も、超応援してるから、ぜひもう一皮むけて横綱になってね
「偽クラシック」な私としては、ただのクラシックな相撲でない、個性あふれる力士の大ファンなのです。

ということで、今回は音楽家の目から見た相撲を書いてみました。それではまた!

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