SpiMelo! -Mie Ogura-Ourkouzounov

L’artiste d’origine Japonaise qui mélange tout sans apriori

呼吸法のこと

2017-09-27 17:52:00 | Essay-コラム

September 28, 2017


我が子がある日とんでもない悪い言動をしたら。。。そりゃあ、それは生まれたときからの欠点だから親なら毎日それに悩んで来た分よく知っている。生まれつきの性分はどうしようもないですがな。でもでも、、やはり教育上問題があったのではないか?と点検し、また自分の教育を省みることは必至である。

 

なーんちゃって、超マジな話題になってる!(笑)

 

この夏は音楽の教えの業務がないのをいいことに、自分のCDの録音に、海でのヴァカンスに、ホームページ制作から昂じてなんと初のミュージックヴィデオ制作まで。。。(もうすぐupします!!乞うご期待!)自分のことに全力で集中しておりました。

 

しかし、9月より業務復帰。またまた生徒達に囲まれるにぎやかな日々となりました。

 

ところで、冒頭に言っている事。実は生徒のことにもとても当てはまるんでですね。去年の試験で、私のクラスの生徒がふたり、異常な緊張により、音楽院の試験を落としてしまったのです。丁寧に丁寧に、音楽作りをしてきたにもかかわらず、です。

 

確かにもともとこの子たちは簡単にいろんなことがすぐに出来て来た子達ではない。いろんなことを理解するのに時間がかかっていた。言い換えれば、あんまり才能がある方とは言えない。(この言葉はいまのパリの教育界では嫌われるのでなぜか公言はできない。でもいいじゃん、多少生まれつきの才能なくたってさ、、、どんな音楽家だって天才に比べたら無能なんだし。みんな同じ才能だ、なんていうのは戯言でしょ。)

 

でもしかし。才能の多少有る無しにかかわらず、本番で、やってきたことが丸ごと地震のごとく全て崩れさってしまうのは、やはりなにか、もっと根本的な問題があるのではないか??

 

そのように考えていた5月のある日、私は他区のパリ市立音楽院の試験の審査員をすることになった。それで分かったんだけど。。。そこの生徒達、みんな、スゴく丁寧に練習して、みんなまじめな子で、音楽的なこともちゃんとやってあった。しかし、それにも関わらず、どうして外から客観的に見て(自分の生徒だと感情移入しちゃうけど、そういうのナシ、という意味で)「受かる」と「受からない」ときれいまっぷたつに別れてしまうのか?が一目瞭然だったのだ。

 

それは「呼吸法」。私の見るところ、生徒たちは三つのカテゴリーに別れていた。

 

一、演奏中お腹の動きがきちんとした方向でできている(吸う時に膨らみ、吐く時に凹んでいる)

 

二、演奏中お腹がまったく平ら。(動きがゼロ)

 

三、演奏中お腹の動きが逆になっている。(吸う時に凹み=肩が上がり、吐く時に膨らんでいる)

 

はっきり言えるのは、試験で通るのは一だけ。二または三はどんなに練習していても通らない、なぜかというと、各自の音楽的資質を問う以前に、本人がやっていること(またはやろうとしていること)が現実に音となって現れてこないからなのです。呼吸法が大切なのはもちろん前から知っていたけれど、もっともっと生徒に呼吸法の時間を割かなくては!ぜったいに習得させなければ!!と決意を新たにしたのです。どんなに生徒がいやがろうと、生徒のことを本当に思うのであれば。。。(みんな曲はやりたがるけど、基本基礎はやりたがらない苦笑)正しい呼吸法の会得こそががもしかして、緊張しても全部やってきたことが崩れない方法ではないのか??

 

これはフルートだけの問題じゃありませんよ。他の楽器をしている人だって、出来てないといけないんです。同僚にチェロの先生がいて、たった11歳の彼のチェロの生徒がこのあいだとある事情でフルートを試したときに、お腹の正しい動きを知っていたの。どうして知ってるの?!と聞いたら、なんとその先生がチェロの一回目のレッスンで教えるんだって。凄い先生だと改めて思ったよ。

 

ということで、悪い言動をする我が子にも、緊張で総崩れする生徒達にも、悪戦苦闘の日々が続く9月です(笑)一年後に結果報告しますね(続!)



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