SpiMelo! -Mie Ogura-Ourkouzounov

L’artiste d’origine Japonaise qui mélange tout sans apriori

音楽の前では。。。

2020-03-30 04:55:59 | Essay-コラム

先日FBで投稿した、ジェレミーさんがトランペットで音楽化した安倍自民政見放送の動画。
なんと、ツイッターで一晩で6万回も再生されたらしい!
どれだけみんながこいうものを渇望していたのか、という証拠だと思う。

大分前になるが、フランスのユーモアについて書いたことがある。

私は香川県生まれで、「笑いの文化人講座」を読んで育ったせいか、(田尾和俊さんのファンなのです)めちゃユーモアが好きで、フランスに来てから益々目覚めてしまった。

前述のブログでも書いた通り、フランスのユーモアは社会を反映して自由で、どんな拘束も受け付けない。と言うか、社会的な拘束にどれだけ反発出来るか、そこに挑戦している気さえする。

そのように言うと、多くの日本人が、「自由と履き違えて人を攻撃している」と言う。私自身はそのような人を攻撃する意図を持っているものは、ユーモアとは呼べないと思っている。ユーモアとは、そもそも政治の右だ左だや、些細な個人の意見の差、そういう争いの元になるものを、ユーモリストの感覚を通して一段高いものへと昇華することで、笑いころげたり、やられた方は爪を噛んで悔しさを飲み込む、まさしく生の馬鹿ばかしい人間の争いを乗り越えさせる力があると思う。

これだけストやデモの多い血生臭いフランスで、これこそ人々が生んだ生活の知恵ではないかとおもう。

動画を作った本人ジェレミーさんも、「僕は別に特定の政治意見を攻撃している訳じゃない。ただ言ってることに音楽つけてるだけだよ。」と。言い得て妙である。その通り、私は彼の音楽付けの大ファンだが、彼の動画には、フランスの右派から左派の政治家、外国語で響きの面白いもの、彼が音楽付けたい!と希望したものには何にでも、感性赴くままに自由に音楽を付けちゃっているのである。

自由って簡単にいうが、こういう自由さは誰にでも出来るものではない。
音程とリズムを完璧に聴き取る耳、それを完璧に表現する厳格な技術が必要だ。

それだけではない。私自分が即興言語を教えているから、音程とリズムだけではなく、どれだけ他言語のアーティキュレーションとイントネーションを理解し楽器で実現するのが難しいか知っている。

ジェレミーが、「いやあ、日本語発音がドライで難しいかったー、でもすっごい楽しかった!!」って言ってたよ。日本語の特殊さ、面白さをフランス人の経験を通して実感。私は、逆にジャズやブラジル音楽なんかの柔らかなアーティキュレーションを実現させるの、何十年苦労していることか!

しかも、この手の「音楽ユーモア」の決め手は(といっても本当に質の高いもの限定だが)「音楽」がどのような思想の壁も言語の壁も、簡単にぶち抜いてしまう、ということだ。それは、その人物がどんなに苦労してホンモノっぽく見せようとしているウソも、簡単に暴いてしまう。間の取り方や、語尾、何処から声を出しているのか、そんな決定的な細部までもだ。文化のバックグラウンドも全て透けて見通せる。だから、こういうのを見ていて、私はどれだけ音楽が強大な力を持つのか、実感してしまう。例えばイスラム国が音楽を禁止するのも、オーストラリアやアンティーブで植民者が地元民と音楽をとにかく切り離させたたのも、きっとその何より強大な力を恐れているからなのだろう。

そこのところに共鳴して、私のFB投稿をツイッターで投稿してくれたのが、私のパリでの生徒であり深谷市在住のフルート奏者、川上葉月ちゃん。さすがパリで生活しただけあって、同じ感じ方を共有でき、嬉しかった!!

誰がどんな権力を持っても禁止出来ないもの。それは人間の知恵が生み出したユーモアと、そして上質な音楽の力である。

コチラがその話題の動画!→

Shinzo Abe vs Trumpet

Feat. Le premier ministre Shinzo Abe 👨‍💼 et l'ex-chanteuse et fe...

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