SpiMelo! -Mie Ogura-Ourkouzounov

L’artiste d’origine Japonaise qui mélange tout sans apriori

Les rencontres des talents~才能と才能の出会い

2011-08-09 22:24:08 | Essay-コラム
今年はパリでヴァカンス!を決めこんでいます。こういうことはめったに無かったんだけど。。。これが、すごく良い
とくにこの8月初旬のみんながヴァカンスに出た後の静けさよ!パリはもうあなただけのもの
パリの隠れた名レストランやカフェを発掘するのとプールに通う以外は音楽三昧の日々。
ということで、久々にディスクをご紹介。。。!

Chick COREA&Touchstone "Rhumba Flamenco"

Chick joue avec les membres de Groupe de Paco de Lucia! Un disque miraculeu de "Flamenco Imaginaire"!
この幻のCD。。。カバーもいいね!(なぜか発売されていない。というか限定的に昔発売されていたらしい)みなさんおなじみ「イマジネーティヴ・フラメンコ」チックと、「フラメンコ」という音楽をパコ・デ・ルシアという巨人とともにやってきたミュージシャン達の共演のライヴ・レコーディング。私はチックの「エレクトリック・バンド」が大好きだけど、(昔コラム書きました http://blog.goo.ne.jp/kedamayu/e/e6db4a8479fce35723dba0b0ef8be962 )チックの「ミューシャン達を最大限に活かせ弾かせる」というリーダーとしての才能が見事なこのバンド、それにもかかわらず、何人かのミュージシャンにデラシネ感みたいな物足りなさを感じているところだった。対してこれは、もっとひとりひとりが地球と繋がって、確固としたエネルギーに満ちた音楽をやって、それにチックが挑発されてさらに集中し、ますます高いイマジネーション・ワールドへと飛翔しているんであるちなみにこのフルートのホルヘ・パルドさん私はフルート自体にはあんまり興味がないので普通フルート奏者に惚れたりしませんが、この方には惚れます!!かっこいい。。なんというかっこいいアーティキュレーションなんだ
みんな自分をひけらかすのでなく、「フラメンコ」に対する、アプローチはちがっていても深い理解とともに、すべての瞬間を聴くことに集中して音楽してる。自分の根っこに自信を持った人こそ国粋主義から脱することが出来る。私たちは今、そういう地に深く根ざしてかつ、自由に空に向かって伸びて行ける音楽を、喉が渇いたように求めてる。すこし意味合いはちがうけど、純「ジャズ」でいまどき、そういうフィーリングがあるのはキース・ジャレットのトリオぐらいだろうか。ところで、この間、かの「ジャレット・トリオ」、初めてライヴで聴いてきました!


Keith Jarrett&Gary Peacock&Jack DeJohnette "Still Live"
25 ans après ce disque,au concert du Trio à Paris, Mardi 12 Juillet 2011 On a vu "La voie lactée"!
初めて聴いたとき「なんだコレは!」とショックを受けて、翌日即買いに行ったこのCD。旅をしている車窓から見る景色がどんどん流れていくように、どこまでも瑞々しく続く音楽と、それが目の前で立ち上がってくるような音質。私の理想のディスクで、これはもうどこでなにが起こるか空ですべて歌えるほど聴いた、ジャレット・トリオ初期のミュンヘンでのライヴ録音です。(私の音楽の聴き方はこのように繰り返し病なので、大変周囲に迷惑いまはパコデルシアでアタを辟易させています。)
その時から15年、憧れだったトリオのコンサート!前回のソロ・コンサート(http://blog.goo.ne.jp/cieuxstage/e/faa3b1b234e7eb775132fee9f71221cd)の時に比べてかなりリラックスした雰囲気でステージに現れたキース。まるで天の川のような満天の星空がただそこに広がってたり、自然の中で水が流れて行くように、音が、ただただそこにあり、奔流となって流れ出てきた、としか言えないなあ。キースが自著で「なにかを起こそうとする」のではなく、「起こっていることをそのまま起こさせ続ける」というやりかたこそがジャズなのだ、と言っているけど、これですか
このCDから25年という時を経て、ますますこなれて音楽のエネルギーのヴァイブレーションが細かく超微粒子みたいになって、「ジャズ」とか「コンサート」とかいう枠を通り越して、いつのまにか宇宙の摂理に同化していた。。。最後のトリオの十八番「When I fall in love」の後奏ではあまりの高みに上り詰めたキースにファンは大陶酔!キースの「自分は音楽家でさえない」という謎の発言が少し分かる気がする。あとの2人もキースの影響だろうけど、年を取ってかなり通常のミュージシャンとは掛け離れた謎の雰囲気になってました。このトリオの在り方は他には絶対に存在せず、この3人でしか起こりえない。どれほど年月が流れたとしても。

Miles Davis&Gil Evans "Quiet nights","Porgy&Bess","Sketchs of Spain","Miles Ahead"

Le plus grand rencontre entre "la musique écrite" et "la musique improvisée"!
最後はみなさんおなじみ、マイルス.デイヴィズと編曲家ギル・エヴァンスによる作品集!(写真はあえて、マイルスに毛嫌いされていた「クワイエット・ナイト」すごくデザインが良い。)
これは厳密なるギルの記述音楽とマイルスの自由に飛翔する即興との、わくわくするような、出会いです。
ポーギー&ベス、スケッチス・オブ・スペイン、クワイエット・ナイト、マイルス・アヘッド。。。どのCDもものすごい創造エネルギーがみなぎっていて、改めて全部聴いて、表現方法がまったく違う二人にも関わらず、白人と黒人ということにも関わらず、魂の次元ともいえる深いお互いの音楽への理解度に圧倒される。
(実際マイルスはギルが死んでからも彼と会話ができたんだって。)
二人の共同作業のことがマイルスの自著に書かれていて、バックのミュージシャンにマイルスの個性を邪魔しないようにわざと無個性な音の人を選んだり、リズムの種類によってはクラシックの人を選んだりと、編曲のみならずひとりひとりの個性まで厳選しているマニアックぶりがすごい。
そこまでやる、微塵も平凡さの入り込む隙のないギルの超個性的な編曲を、そのメロディー、ハーモニー、リズム、すべてを一瞬のうちに直感的に聴き取って即興で奇跡的に引き立てつつ、マイルス自身が、水を得たさかなのように鮮やかに引き立っている。

う~ん、何が言いたいねん!!と思った方。では私のいいたいことを一万倍くらいかっこよく書いている村上春樹氏の表現を引用しよう。

「ギルが作り上げるサウンドの壁をマイルスのトランペットがすうっと切り裂く。そこをギルのスコアが動じず、揺らがず、またぴたっとふさいでいく。そのへんの呼吸の具合が本当に見事で、何度聴いてもため息をつきたくなる。そこにはエゴイストとインディヴィデュアリスト(個人主義者)のもっとも美しく、もっともスリリングなせめぎ合いがある。」

話は逸れますが、この本、村上春樹著「ポートレイト・イン・ジャズ」、あまりに各音楽に対する文章の表現がすばらしくって、それこそ読むたびにため息をつきたくなります。そして聴きたい欲求を抑えられずに、図書館へと走る日々がまたはじまるのだ!!