パリ19区、というとどうも怖い、治安が悪い、というイメージがあるらしい。
。。。ということをパリ区別治安案内、みたいなネットのページにたまたま読んでいて知ったんですが。
移民地区なので日没以降歩くと危険、どこどこ駅(私の学校の駅や、、、)周辺は寂れている、、、ふむふむ。。。ふむふむぢゃない
移民が多い、イコール怖い!というイメージはいったいどういう訳なのでしょうか。。。
あーた自分が移民でしょうが!とツッコミたくなるのは私だけ?
今日はこのことについて書いてみたくなりました。
最近19区の小学校でフルートの手ほどきアトリエで教え、それに19区中学校の音楽科でも教え、で19区の音楽院でも教える為に19区を自転車で走り回る日々なので、道を歩いていても子どもが挨拶してきたりすると、なんかフルーティストというよりは19区のフルートお姉さんが職業かという感じがしてくる。(私を年だと思う人はフルートおばさんと呼んでね)
冒頭の写真、見事な肌の色のグラデーションでしょう?ここパリ19区は確かに人種のるつぼで、教えてる小学校では、純フランス人名の率はすごく低い。アトリエの始まる時間になるとぱあーっと生徒がよってきて、「先生日本人なんでしょ。わたし、おばあちゃんが日本人なの、で父親はイギリス人」「わたしは両親がコモール出身」「うちはチュニジアとオランダ」なんて次々教えてくれる。こういう環境で育つ子たちって、単一民族の中で育って来た私とはずいぶん違う感覚になるんだろうなあ、と思う。自然にできてきた環境は国によって違うからどちらがいいとは言えないけど、もうここまでひとりひとりが違っていると、自分と人が違うことは当たり前になるので、そういうことで悩んだり差別したりしなくなるのはいいよね。ただし依然として教えていると人種の違いによる考え方の違い、というのはすごく感じる。でもそういうのがぶつかり合っているのを見るのはとても面白い。
19区のヴィレットではいつもアフリカの太鼓ジェンベーを誰かが叩いてるのが風にのって聴こえてくるし、お昼に北アフリカ料理のクスクスを食べるのがもう日々の習慣になってる。自転車で帰る音楽院脇の道を上っていくと、最初にイスラムの学校があり、その次にキリスト教系の学校、次に数人の軍人が常駐してるユダヤ系の学校がある。ご存知のようにそれらは現在のパリの抱える、また世界の抱える問題を象徴している。でもそういう地区で教えられるチャンスを得られたことが、私の音楽活動の原動力になっている。私は根っこに回帰したい。根っこに回帰して音楽がしたい!そういうことを思わせてくれるのが、ここの子どもたちなのです。
PS あ、前にもこれに似た記事を書いていました。http://blog.goo.ne.jp/cieuxstage/e/6f3dfb39f839012412ea33c65ae178d3?fm=entry_awpただし、これはいまよりもっとキツイ学校で教えていたときのもの。キツイ、というのは地区による、というより学校の運営方針によるもののほうが大きいようです。
もちろんひとりひとりの出自が違うという豊かさ楽しさの他に、いろんな人種や貧富の差を超えて集うことによる決定的な難しさもあります。最近親しい音楽院の同僚の先生が、19区ではないのですがやはりそのような学校で教えていて、どうしても一緒にアンサンブルしようとしない生徒を他の生徒と教室内隔離させた際に軽いもみ合いになり、なんと市が生徒の言い分を聞いて先生のほうを停職処分にした、という悲しい話があるんです。私だって、同じようなシチュエーションだったらそのようにしたに違いない。先生にはどのようなシチュエーションであれ音楽を守る義務がある。それは人種やら個人のエゴよりずっと大事なこと!もしその生徒が音楽がやりたくないということであれば、やる必要はない。パリ市の「全ての階級に音楽を」という上から目線の素敵なスローガンがそのような難しい状況を作ったのだとしたら、それは市の責任じゃないのか。私は彼を弁護するためパリ市庁舎まで出向きます。まったく、このようなシチュエーションでさえ一生懸命に音楽を伝えようと頑張っている先生に限ってそんなことが降り掛かるのを黙って見ているわけにはいかないもの
。。。ということをパリ区別治安案内、みたいなネットのページにたまたま読んでいて知ったんですが。
移民地区なので日没以降歩くと危険、どこどこ駅(私の学校の駅や、、、)周辺は寂れている、、、ふむふむ。。。ふむふむぢゃない
移民が多い、イコール怖い!というイメージはいったいどういう訳なのでしょうか。。。
あーた自分が移民でしょうが!とツッコミたくなるのは私だけ?
今日はこのことについて書いてみたくなりました。
最近19区の小学校でフルートの手ほどきアトリエで教え、それに19区中学校の音楽科でも教え、で19区の音楽院でも教える為に19区を自転車で走り回る日々なので、道を歩いていても子どもが挨拶してきたりすると、なんかフルーティストというよりは19区のフルートお姉さんが職業かという感じがしてくる。(私を年だと思う人はフルートおばさんと呼んでね)
冒頭の写真、見事な肌の色のグラデーションでしょう?ここパリ19区は確かに人種のるつぼで、教えてる小学校では、純フランス人名の率はすごく低い。アトリエの始まる時間になるとぱあーっと生徒がよってきて、「先生日本人なんでしょ。わたし、おばあちゃんが日本人なの、で父親はイギリス人」「わたしは両親がコモール出身」「うちはチュニジアとオランダ」なんて次々教えてくれる。こういう環境で育つ子たちって、単一民族の中で育って来た私とはずいぶん違う感覚になるんだろうなあ、と思う。自然にできてきた環境は国によって違うからどちらがいいとは言えないけど、もうここまでひとりひとりが違っていると、自分と人が違うことは当たり前になるので、そういうことで悩んだり差別したりしなくなるのはいいよね。ただし依然として教えていると人種の違いによる考え方の違い、というのはすごく感じる。でもそういうのがぶつかり合っているのを見るのはとても面白い。
19区のヴィレットではいつもアフリカの太鼓ジェンベーを誰かが叩いてるのが風にのって聴こえてくるし、お昼に北アフリカ料理のクスクスを食べるのがもう日々の習慣になってる。自転車で帰る音楽院脇の道を上っていくと、最初にイスラムの学校があり、その次にキリスト教系の学校、次に数人の軍人が常駐してるユダヤ系の学校がある。ご存知のようにそれらは現在のパリの抱える、また世界の抱える問題を象徴している。でもそういう地区で教えられるチャンスを得られたことが、私の音楽活動の原動力になっている。私は根っこに回帰したい。根っこに回帰して音楽がしたい!そういうことを思わせてくれるのが、ここの子どもたちなのです。
PS あ、前にもこれに似た記事を書いていました。http://blog.goo.ne.jp/cieuxstage/e/6f3dfb39f839012412ea33c65ae178d3?fm=entry_awpただし、これはいまよりもっとキツイ学校で教えていたときのもの。キツイ、というのは地区による、というより学校の運営方針によるもののほうが大きいようです。
もちろんひとりひとりの出自が違うという豊かさ楽しさの他に、いろんな人種や貧富の差を超えて集うことによる決定的な難しさもあります。最近親しい音楽院の同僚の先生が、19区ではないのですがやはりそのような学校で教えていて、どうしても一緒にアンサンブルしようとしない生徒を他の生徒と教室内隔離させた際に軽いもみ合いになり、なんと市が生徒の言い分を聞いて先生のほうを停職処分にした、という悲しい話があるんです。私だって、同じようなシチュエーションだったらそのようにしたに違いない。先生にはどのようなシチュエーションであれ音楽を守る義務がある。それは人種やら個人のエゴよりずっと大事なこと!もしその生徒が音楽がやりたくないということであれば、やる必要はない。パリ市の「全ての階級に音楽を」という上から目線の素敵なスローガンがそのような難しい状況を作ったのだとしたら、それは市の責任じゃないのか。私は彼を弁護するためパリ市庁舎まで出向きます。まったく、このようなシチュエーションでさえ一生懸命に音楽を伝えようと頑張っている先生に限ってそんなことが降り掛かるのを黙って見ているわけにはいかないもの