孫文さんの“多摩たまの隠れ部屋”ブログ編

「孫文さんの“北京の隠れ部屋”」を「孫文さんの“多摩たまの隠れ部屋”」に変更しました。

頤和園

2011年12月31日 23時49分52秒 | 旅行(中国)
2011年大晦日の12月31日、頤和園へ出かけてきた。
元旦に行くことが多いのだが、2012年は元旦の早朝便で上海へ行くため、大晦日の12月31日に出かけた。 ここ数日、北京の空気は悪く、視界が良くなかった。 今日も晴天ではあるが、何となくぼやけている。
今日は快晴の方だが、アメリカ大使館発表の汚染度はUnhealthyのレベルだ。
今年一年を考えながら頤和園を歩くことにする。

頤和園の傍にあるのが、中共中央党校。 車が何台か慌ただしく入っていく。
ここは、中国共産党高級幹部を育成する学校。 だから、歴代の校長は劉少奇、胡錦濤 、習近平等、中国の指導者になる者が勤めていたこともある。 頤和園も一時、中共中央党校が置かれていたらしい。 ここら辺は秘密の空港もあったり、北京の中でも軍の臭いがプンプンする場所だ。

中京中央党校の正門


ま、今日は大晦日だし、そんなとこを忘れて、入園料20元を払って園内にはいる。

いきなり目に入ったのが、イギリス・フランスの連合軍によって破壊されたという碑。


蘇州街の水は凍結していました。


蘇州街の氷上を親子が遊んでいました。 氷上で楽しそうだなぁ・・・


昆明湖の凍結。 観光船がつながれて、春を待っていました。


石舫


恋人が写した写真を見ていた・・・


昆明湖を横断することにして氷上を歩きました。
氷上は雪が溶けずに残っていて、女性が雪を舞わして遊んでいました。


昆明湖からみた石舫


昆明湖からみた仏香閣


昆明湖からみた十七孔橋




昆明湖の氷上で遊ぶ親子


昆明湖から見た西堤の建物


ここで氷上から西堤に上がることにする。


けっこう歩いた・・・ 万寿山がかすんで見える。

一番南にある南如意門から出た。


歴史に、もしは無い・・・
 しかし、西太后の浪費が適度の所で止まっていたら、頤和園への投資が限られていたら・・・
 1894年、西太后の還暦を祝うために白銀540万両が使われた。
 もし、が起きていたら・・・
 その後起きた日清戦争の結果は変わっていたかもしれない。
 ということは、その後の世界が大きく違っていただろう・・・

2011年、危機管理体制が十分に理解し機能していたら・・・
 福島のあの惨劇は、もう少し変わっていたかもしれない。 
 無能な首脳者による判断ミス・判断遅れに伴う人災の部分が多かったのではないだろうか・・・

そんなことを考えながら、頤和園を歩いた・・・
そのため、いつもと違ってupした写真の色を消しました。

                  2012年こそ、良い年を!!