孫文さんの“多摩たまの隠れ部屋”ブログ編

「孫文さんの“北京の隠れ部屋”」を「孫文さんの“多摩たまの隠れ部屋”」に変更しました。

東日本大震災の影響に関する説明会

2011年09月29日 22時58分08秒 | 北京雑感 (北京の話題何でも)
9月26日(月)北京で東日本大震災の影響に対する説明会が行われた。
福島原発の影響をはじめとする、食品の安全性の状況、観光産業の状況説明等がされた。
北京では2回目の開催となる。

なお食品に関しては、水産品の輸入は可能になったが、食品類は5月に両国首相間で緩和が合意されながらも、中国側が技術的な問題で難色を示し進展が無い。

説明会を伝えるNHKのニュース


会場となった長富宮飯店


会場は、中国と日本のマスコミ、中国の企業、日本の企業関係者などで満員となった

業余無線機もニセモノ

2011年09月29日 02時41分07秒 | 業余無線
中国のCQ誌にあたる現代通信を何気なく見ていたら、ヤエスのFT-7900のニセモノの見分け方が載っていた。 某D社のアンテナのニセモノが多いのは聞くが、無線機のそっくりモデルのニセモノがあるとはビックリ。
しかも雑誌を見る限り見分けがつかない。

FT-7900の偽者の見分け方が掲載されていた現代通信誌


写真では、どちらかがニセモノ 見分けがつかない


カートン (上のカートンがニセモノ)


FUSEが違うのでホンモノかニセモノかが分かると・・・・
でもFUSEなんて、メーカーはコストダウンや数社購買で限定は難しい部品
FUSEでニセモノ鑑定するというのは、ホンモノがニセモノと同じメーカーのFUSEに変更する事だってあるはず…
その意味では、危険な見分け方なのだが


ネットではFT-7900が安く売られていたので買おうかなぁ~と思ってもいたのだが、こういった事情もあったのね!!
それにしても、モービル機もニセモノがあるとは・・・
この国は、知的財産のことなんか忘れて面の皮が思いっきり厚くないと生きていけないなぁ


これだけ似せられる技術があるなら、まっとうな仕事をすれば成功すると思うのだが・・・

朝ドラ おひさま と大河ドラマ 江 姫たちの戦国

2011年09月27日 01時02分03秒 | 日本雑感 (日本の話題何でも)
NHKの朝ドラ、おひさまはもうすぐ最終回となるが、好調をキープ。
ゲゲゲの女房に迫る勢い。
主人公の普通の家庭の、普通の暮らし、しかし戦前戦後の激動も感じられ出演者の好演もひかる。
最終回に、白紙同盟の3人の現代での姿が揃うのが楽しみ…
サプライズの育子の現代役の●●●子が画面に出たら、にぎやかだろうなぁ・・・


一方、日曜夜の大河バラエティドラマの江 姫たちの戦国。
私はこれを大河ドラマの派生の大河バラエティドラマのジャンルに位置づけている。
こっちはこっちで、時代劇としてありえない展開でばかばかしくて私は好きですけどね。。。
しかし、視聴率はここ数年の大河ドラマの中では最低で低迷。 
ま、今年は逃げた視聴者は戻ってこないでしょうね。

天津へ行ってきました

2011年09月26日 21時44分48秒 | 旅行(中国)
先週、仕事で天津へ出かけてきました。
天津までは100kmちょっとしか離れていない隣町です。

高速道路を走っていると新幹線が天津方向へ向かっていきました。


高速道路では、写真のように積載量満載のトラックもあり、こわーーー


金威啤酒ではビールの試飲を味わいました。 このビール、酵母が入っている状態のビールです。
市販のビールは酵母を抜いています。 普通のビールより濃い味で美味しかったです。


この金威ビールは北京で見ないなぁ??? 説明を聞くところによるとシンセンを中心に活動している企業とのことです。この金威ビール美味しいよ!!!


見学した地帯の信号です。 LED点滅の信号は珍しくないのですが、このように、赤・黄・緑の全面表示で、かつ時間によって色の長さが変わるので、後どれくらいで信号が変わるのかが判断できる信号です。


天津空港に隣接してエアバスの工場もあるので見学してきました。 この天津工場ではエアバスA320を製造しています。
写真撮影は禁止なので、この写真はパンフレットに載っている写真を写したものです。A320クラスといえども工場は広かったなぁ。

QRV Result

2011年09月26日 21時36分38秒 | 業余無線
9月25日、久しぶりに北京から運用。
交信局数は合計148局でした。 その内訳は以下。

使用コール JH1TEB/BY1TTY
運用周波数 21MHz, SSB, RTTY

通常交信(100W)   120局
QRP運用交信     7局
RTTYコンテスト参加 21局

通常交信の中で、EH Antでの運用もしました。
FT-817を使用してQRP運用もしました。秋のDXシーズンのコンデションで、RTTYでは欧州の局が強く聞こえていていました。JAとは終日オープンしていました。

RTTY運用では、接続I/Fが不調だったのでパソコンのスピーカー付近にマイクを置き、スピーカーからのピロピロという音響をマイクを通して送信と言う方法で対応。 なんとかRTTY交信できました。
QSLは来月上旬に島根ビューローへ郵送します。 

運用の様子 FT-897にAT-120をAnt Tunerとして使用



HF3エレYAGIとEH Ant.  アンテナゲインの差は歴然ですが、EH AntでもJAと交信しました。 
CWの場合には順調に交信が可能でした。

ソバのまうい店

2011年09月21日 23時53分01秒 | 美味しかった食べ物・食の安全
北京では蕎麦の美味しい店は少ない。
その中で、下記の2店の蕎麦は美味しかった。
2日間連続の夜の会食。 最後の〆は両店ともソバにした。

地球人の蕎麦
 三元橋近くの外交公寓の地下にある店。 
服務員が運んで来る途中の器だけ見たとき、ナニ?? この大盛り!!と思ったのだが、
写真のように氷の上に蕎麦がのっている。
味はしっかりして美味しかった。


蕎麦人の蕎麦
 二十一世紀飯店内にあり、店内で蕎麦も打っている。北京で蕎麦だったらココという店。 いつ食べても蕎麦は(も)旨い!!
蕎麦湯も出てきて、美味しかったです。

坂の上の雲 威海・煙台の旅 Part 3 (最終回)

2011年09月18日 14時22分20秒 | 旅行(中国)
さて、9月12日は中秋節での祝日。 日本はまだ残暑厳しいようようだが、中国はもう秋。
朝、朝食前に煙台の海岸を散歩した。 盛夏の頃なら、海水浴の観光客でにぎわっただろう海岸は静かだった。

煙台の砂浜が綺麗な海岸



ホテルでの朝食を終え、煙台市内の旧市街部へ向かった。
なんとなく風情を感じました。 


この道の角にあったのが、克利頓飯店。
すでに使用されておらず閉まっていましたが、ここに1912年孫文が来たと書かれていました。




煙台山景区です。 入場料は50元。 たいした建物無さそうなので、入場せずに入り口で写真を写しただけ。



近辺は歴史的な建物が多かったです。
この建物はフィンランド領事館の建物でした



そうすると、この通りに面している場所は領事館街って事なんでしょう。いまはみやげ物屋の店に変わっています。フィンランド領事館の隣りも領事館の建物でした。


近くの日本食屋さん。 当時では比較的美味しい店との事です。 北京や上海と異なり、地方で暮らす日本人にとって日本食屋の存在はありがたいことなのでしょう。


海岸に行きました。 延々と続く岸壁で沢山の人が釣りをしていました。


その傍で、ある測定をしている人が。。。。 これ、たぶん●●●です。 日本と違って測定には資格が必要で外国人が同じ事を行うと国外退去されてしまうでしょう・・・



しばらく歩いて、張裕酒文化博物館に行きました。 張裕葡萄酒は中国最大手のワインメーカー。中国で最大の 葡萄栽培面積を保有する会社で全国の4分の1を占めています。 そのワインメーカーの博物館で、ワインの歴史や試飲も可能です。 入場料50元。


博物館の地下の蔵です。


ワインの試飲がありました。 3種類のワインを試飲させてもらいました。 美味しかった!!!



その後、又しばらく歩き旧市街部をブラブラ


ここは、しばらく前までは日本人オーナーの床屋さんだったそうです。


海岸傍の店でピザとスパゲッティを食べた後、煙台空港に向かい北京へ帰りました。
気候は穏やかで生活しやすい街と感じました。 煙台も威海もハングル文字が多かったなぁ。 海の向こうは韓国。 そして、領事館の建物があったことから、山東半島の過去から歴史も感じた旅でした。


煙台は山東半島にあり渤海をはさんで大連がある遼東半島と向かい合い、東は黄海をはさんで朝鮮半島と海で繋がっている。1858年7月、清は天津条約を結び、西洋諸国に開港された。
第2次アヘン戦争の際にイギリス・フランス連合艦隊が煙台を占領した。
17カ国が煙台に領事館を設置し、1876年に芝罘条約が結ばれている。
漁港だった煙台はイギリスの条約港となり急速に都市化したが、20世紀初頭に山東半島全域でドイツ帝国の力が増すと、煙台もドイツに支配されることとなった。
また、清も北洋艦隊の拠点とし、1903年に設置された煙台海軍学校は1928年まで中国の海軍士官を育成した。
第一次世界大戦でのドイツの敗戦により、煙台はアメリカ海軍のアジア艦隊の夏の駐留港となった。日本も交易のために煙台に拠点を置いた。
日中戦争では、この地域の抗日運動の中心となった。

一方、威海も清末に李鴻章率いる北洋海軍基地となり、1890年劉公島に北洋水師学堂が設置。
日清戦争末期、丁汝昌率いる清国北洋艦隊は日本軍の攻撃を受けて壊滅した。
下関条約締結後、日本が一時保障占領した。
1898年にイギリスが清国から租借し、イギリス海軍の管轄下に置かれ、1900年には行政長官署が設置されてイギリス植民地省の管轄下に入った。
ワシントン会議でイギリスは威海衛の返還を声明していた。1927年、蒋介石によって建てられた南京国民政府が、翌年に北伐を完了させた後、1930年10月1日に返還式が行われた。
日中戦争では再び日本軍が占領している。

9月17日朝陽公園 外交部婦人主催バザー

2011年09月18日 12時37分16秒 | 北京雑感 (北京の話題何でも)
9月17日(土)朝陽公園で外交部婦人主催バザーが行われた。
外交部婦人ということは日本では外務大臣婦人ってことです。
多くの外国や地域の機関からバザー展示がありました。
勿論、日本からも展示があり、秋晴れで天気もよく盛況でした。

収益金は雲南省での貧困地帯援助に使用されます。


バザーの様子です。 各国が特色ある出展を行い、面白かったです。


地方の衣装で歓迎してくれた雲南省の女性たち




欧州連盟のブースにて (このEUウサギ、買うのを忘れた 30元でした)




これは韓国? だったかな


ブラジルのブースにて


ジンバブエのブースにて




これはエジプトのブースです


シンガポールのブースにて ホンモノだよ!!といって販売するのがいかにも中国
日本のブースでも、某社のウオークマンをバザー出品しましたが、これホンモノ??という質問が来たそうです。


ノルウエーの提示会場にて
(ノルウエーからのサーモン輸入ってノーベル賞の事件以来、改善されたのかな??? もしかして、バザー会場で中国当局へのチクリと抵抗。 だとしたら、さすが・・・ )


比利時は、ビールを出展していました。
さて、比利時ってどこの国でしょう。


日本のブースも盛況でした。天気が良いので、ビールでも飲もうと立ち寄ったら、ビールは開幕してアッというまに完売。 国慶節帰国時に土産に日本酒の花水木を買おうと思っていたのですが、これも完売でした。


国際竹籐組織は竹製品のキーボードやUSBメモリー等を出展していました


いろいろなブースがあり、楽しかったです。
さて、こういった展示なので、小さな国のブースには各国の大使もいたはず。
下記は、公園に駐車していた各国大使館の大使用の車です。 車に国旗がある場合には大使がいることを示しています。














SMAP公演から一日たった工人体育場

2011年09月17日 23時23分23秒 | 北京雑感 (北京の話題何でも)


16日夜は、工人体育場がSMAPで燃えた。 直前にはダブ屋出現でずいぶん値段が下がったようだが、チケット販売開始から公演数日前まではプレミヤで入手した人もいたようだ。
さて、公演から一日たった工人体育場を歩いてみた。 昨日のざわめきは嘘のように静かなスタジアムで、舞台の取り壊しなのだろうかスタジアムから工事音がするだけだった。

7万人収容可能な工人体育場スタジアム全景


近づくとSMAPの看板が見えてくる。


もっと近づくと


さて、スタジアムの敷地内で、なにやら音がするすると思ったら、下記の車からだった。
乗用車に音響設備を積み、多くのスピーカーが搭載され。DJとして使用できるようだ。




日中国交正常化40周年

2011年09月17日 07時09分29秒 | 北京雑感 (北京の話題何でも)
来年は日中国交正常化40周年。

1972年9月29日、時の総理、田中角栄は中国北京で中国の周恩来首相との間で「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」を交わした。
田中角栄は1972年7月に総理となり、2ヵ月後の9月には訪中という決断。
前首相のダメ菅直人には真似もできないフットワークと指導力、そして個性の強さ。
今の野党・与党共に足を引っ張りあう政治家、そして足を引っ張られ簡単に辞任に追い込まれる●●省大臣など、今の政治家は小物揃いで芯が無くブレまくり。
と、なげいてもしょうがないか・・・

来年はその40周年になる。

9月16日のSMAP公演は日本・中国共に40周年の前フリとしてSMAPを政治的に利用しようという臭いがプンプンなのだが、ま平和利用なので、これはよしとしよう。

30周年のときは、ロゴの正式許可を受け添付のようなQSLカードを作成した。
さぁて、40周年はどうするかなぁ・・・・

第3回上海アマチュア無線フェスティバル

2011年09月17日 03時11分32秒 | 業余無線
9月2日~4日まで上海で開催された上海アマチュア無線フェスティバルに、週末を利用して9月3日に出かけてきた。
朝7時半のフライトで出発。 空港はテロ警戒で第2級警戒体制(これは上海万博時の警備体制と同等)と聞いていたので、5時前には出発。 眠い!!

上海虹橋空港から地下鉄とタクシーを乗り継いで11時前には上海の会場到着。

会場入口です。


会場で、KENWOODの美人スタッフにハンディ機が書かれたうちわをもらう。
こんど、KENWOODの製品買わなくちゃ・・・ と思ってしまう魅惑的な目をしていた!!!
TS-590欲しいなぁ


YAESUでは、美人二人が微笑んでくれた。 うーー、中国製コピー商品ではないホンモノのVX-3欲しいなぁ


ICOMではダンスの女性たちがダベッていました。
(日本では、こういった控えの場所は隠すのが普通ですが、そうじゃないのが中国!!)


KENWOODのブースでは営業許可証を掲示。 さすが中国。


エッ、アマチュア無線機の様子はどうだったのかって???
この無線機、当日限り300元で販売していました。 28MHzFM機


併設の模型展の様子です。






肝心のアマチュア無線機の展示の様子が無いじゃないかって???
CQ誌に上海アマチュア無線フェスティバルの様子が載ると思うから、雑誌を買ってください!!

5人組で北京はにぎやかになってきた??

2011年09月14日 23時23分52秒 | 北京雑感 (北京の話題何でも)
写真は、今日、某飯店の日本食屋で宴会があり、その帰りに写した看板の写真なのですが、記載しているのは、北京コンサートツアーオフィシャルツアーとある。
北京コンサートって、9月16日に工人体育場で行う、某5人組のことでしょう。
日本から1700人のツアーでコンサート参加者が北京に来ているとか・・・
今週の後半は、北京の街はにぎやかになりそう。
仮に、1700人のツアーが10万円だったとして(そんな安くないか…)ツアー代金だけで1億7000万円の経済効果。
うーん、●●●●さまさま。


北京首都空港、UFOでフライト遅延

2011年09月14日 23時12分36秒 | 北京雑感 (北京の話題何でも)
14日に入った携帯NEWSによると、9月13日午後北京首都空港はフフホトに現れたUFOによってフライト遅延・欠航が発生したとのこと。

ワタシは今年は1回しか北京でUFOに遭遇していないけど・・・
今年はUFOの出現が多いなぁ・・・


下記は、その携帯NEWS.


下記は、NET上での記載.
http://media.people.com.cn/GB/40606/15650720.html

http://tt.mop.com/read_10492497_1_0.html

坂の上の雲 威海・煙台の旅 Part 2

2011年09月13日 01時27分33秒 | 旅行(中国)
9月11日 威海から煙台まで約60km。 バスは高速道路を一路、煙台に向かい海岸線沿いを走る。
煙台のホテルについて、知人と合流して夕食に向かった。

煙台のホテルに到着


ホテルの近くからはfoxconn行きのバスが頻繁に出ていました


美人すぎるシェフに料理していただきました
年を聞いたら、20歳左右(二十歳前後)と軽ぁるくかわされましたが、美人でした・・・・


フォアグラを料理しているところ
この料理、絶品でした




あわびのステーキ
このあわびは大連産かと聞いたら、地元産だそうです。


玉子蒸し(?) 茶碗蒸しではなく、椀の代わりに玉子の殻を使っていました

坂の上の雲 威海・煙台の旅 Part 1

2011年09月12日 23時43分08秒 | 旅行(中国)
9月の中秋節の連休を利用して、NHK“坂の上の雲”でも登場した、清国の定遠を見に威海へ出かけた。
参考URL:
http://www9.nhk.or.jp/sakanoue/specials/meiji20/
威海の後は煙台へ向かうことにした。 さて、9月11日朝7時10分の早朝便で北京から威海へ行くはずが、フライトキャンセル。 なんと予定より4時間半遅れになってしまった。 
あーー、連休の予定が狂ってしまった!!!
などと、ぼやいてもしょうがないので、威海に着いたら定遠のある港に向かった。

神国の北洋艦隊の旗艦の定遠は日清戦争の黄海海戦(1894年(明治27年)9月17日)で日本の攻撃を受け、最終的には日本の接収を避けるため自沈し艦長の劉歩蟾は自決した。
この船は復元したレプリカ。こんなの作っちゃう中国って、すごいなぁ・・・

定遠の見学料は50元でした。




艦のレイアウトです


主砲の305mm連装砲  
ここに洗濯物が干してあり、東郷平八郎は艦の士気が高くないと感じたのでしょうか・・・
砲塔を近くで見ると威圧感あります




艦の全景です




艦首方向を見る 艦首付近にあるのは副砲
向こう側に見える島は劉公島


射砲砲です


遠方に見える島が、劉公島。かつて、北洋艦隊の基地があった島。
今は観光地で島に渡る渡船費用(島の観光も含む)は128元でした。 今回は時間が無いのパスしました。


なお同型艦の鎮遠は日本に接収され、日露戦争では日本の軍艦として戦っている。


威海ではいろいろ見たいところがあったが、夜は煙台で食事の予定があったので、バスで煙台に向かった・・・