孫文さんの“多摩たまの隠れ部屋”ブログ編

「孫文さんの“北京の隠れ部屋”」を「孫文さんの“多摩たまの隠れ部屋”」に変更しました。

北京へのたび+寅さん(葛飾柴又)

2011年12月11日 23時58分38秒 | 日本雑感 (日本の話題何でも)
12月11日、朝、起床すると晴天。
自宅から見た富士山がとってもきれい。



さぁて、空港に向かうか…
予定より少し早く家を出発し、途中、柴又の帝釈天に向かうことにする。
JRの日暮里駅では駅にクリスマスツリーがあった。このツリーは人形で出来ている。
何か、暖かいなぁと感じる。


先日、NHKのブラタモリで隅田川や荒川の特集で、帝釈天でロケしていたのを見て、なんとなく寄りたくなったため。
昭和22年のキャサリン台風のときは生まれていなかったが、昭和の後期まで江戸(東京)は台風のたびに水害にあっていた。
子供のころ、下町に住んでいたが、台風が来ると浸水して道はひざまで水浸しで畳が浮かんでいたこともあったっけ。 ブラタモリの番組を思い出しながら、なぁんてことが脳裏に、そして京成電車は高砂で乗り換え柴又へ向かう。

金町線の電車は寅さん電車でした


そして柴又駅で下車して、駅前の寅さんの銅像に会う。


帝釈天に向かう参道の小道を進む。 日曜日なので、人はまずまず。ボランティアの人たちが無料で説明をしてくれている。下町情緒あふれる町と感じた。





このあたりも戦後のキャサリン台風で浸水したが、帝釈天までは浸水しなかったとブラタモリでは言っていたが、なるほど、参道は微妙に傾斜している。

駅から参道に入り5分ほどで帝釈天に到着。


この瑞龍松が有名で枝ぶりもいい。 本道の屋根は銅瓦で青色が堂々としている。
松の傍には“寅さん”が居た。 観光ガイドとしてお客さんに何やら話している。
若い“寅さん”にポーズをとってもらった。




鐘楼も立派だ


帝釈天には日本庭園もある。 入場料は有料なのと、今日は時間がないのでパスしたが外からのぞくと景観はすばらしそう。 ここもじっくり見てみたい場所だ。



この帝釈天に江戸時代、浅間山の噴火で犠牲になった人の碑があると聞いていたので、どこにあるか探すがわからない。ボランティアの人に聞いたら墓地に移動し、墓地の場所はお寺から離れているという。 残念、今回は断念。 次回に、矢切の渡しの散策をかねて時間を作ろう。

参道を下り、“とらや”で草もちを注文。
この“とらや”は、寅さんの映画を実際に第1回から4回までロケをした場所。
今は新しい建物になっているが、当時の写真が飾ってあった。

現在のとらや


とらやの映画撮影当時の店


とらやで食べた草団子。 6個300円でした。


柴又の駅前で、寅さんの銅像の写真を写し、“フーテンの孫文さん”は成田空港へ向かう。


成田空港でいつも食べるもの、それはANAラウンジの蕎麦。
今回も、蕎麦・おにぎり・フルーツポンチなどを昼食としていただく。


クリームスープも美味しかったです。


フライトは着陸と離陸の便が重なって多いからだろうか、滑走路に向かうタキシングの途中でしばらく動かなくなり、離陸が遅れたので、北京への到着も予定より遅れた。疲れたので麦子店の足マッサージ店に直行する。

夕焼けの富士山


空港から足マッサージ店に直行。 旅の疲れを癒しました。